英雄はいらない、平穏をくれ
世界を再構築してから、三日が過ぎた。
『魔王』という概念が消滅した世界では、魔族たちはただの「魔力が強い種族」となり、人間との不毛な戦争はピタリと止んでいた。
俺は王都の片隅にある、小さな宿屋の二階で目覚める。
「……静かだな」
窓の外を見れば、そこには「勇者システム」の恩恵を失い、自分の足で歩き始めた人々がいた。
かつてのように奇跡を待つのではなく、自ら汗を流して街を直している。
その時、部屋の扉が激しく叩かれた。
「アルト! アルト、いるんだろう! 出てこい!」
……また、あいつらか。
俺はため息をつきながら扉を開けた。そこには、見る影もなく落ちぶれたゼクス、クラリス、マイアの三人が立っていた。
「勇者」の加護を失ったゼクスの髪は白く濁り、聖女だったはずのクラリスの肌からは神々しさが完全に消え失せている。
「アルト……頼む、何とかしてくれ! 世界を直したんだろ!? なら、俺たちの『勇者の力』も元に戻せるはずだ!」
ゼクスが俺の靴に縋り付く。
「もう戦う必要はないんだ。力なんていらないだろう」
「そんなわけあるか! 俺は勇者なんだ! 人々に称賛され、最高の贅沢をして、特別扱いされる……それが俺の人生なんだよ! このままじゃ、俺はただの『才能のない男』じゃないか!」
クラリスも涙ながらに訴える。
「そうよ! 私、今までお祈り以外何もしてこなかったのよ!? 今さら畑仕事なんてできないわ、お願い、聖女の力を返して!」
俺は冷たい目で彼らを見下ろした。
彼らはまだ、自分たちが「世界のために」戦っていたのではなく、「自分の虚栄心のために」俺を利用していたことに気づいていない。
「……分かった。一つだけ、お前たちを『最適化』してやる」
「本当か!? ああ、やっぱりお前はいい奴だな!」
期待に目を輝かせるゼクスたち。
俺は指先をパチンと鳴らした。
「【自動最適化:記憶の整理】」
「え……?」
一瞬、彼らの瞳から光が消えた。
俺は、彼らの中から「俺に関する記憶」と「かつての栄光への執着」だけを削除した。
「……あれ? 僕は、ここで何を……?」
「さあ……。仕事を探しに行かなきゃいけないのに、何でこんなところにいたのかしら」
彼らはポカンとした顔で立ち尽くし、やがて俺の顔を見ても「誰だこの男は?」という表情で、トボトボと階段を降りていった。
復讐でもない。謝罪でもない。
彼らにとって最も残酷な結末——それは、「自分が特別だったという記憶」さえ失い、一生「何者でもない凡人」として泥にまみれて生きること。
それが、俺が彼らに与えた最後の最適解だった。
「……これで、本当に片付いたな」
部屋の影から、エルセが姿を現した。
「よろしかったのですか? 彼らは貴方をあれほど苦しめたのに」
「恨むのもエネルギーを使うからな。それより、エルセ……その格好はどうしたんだ?」
見れば、彼女は豪華な法衣を脱ぎ捨て、動きやすい旅装に身を包んでいた。背中には大きなリュックサック。
「『聖女』という役割も、アルト様が消してしまいましたから。今の私は、ただの『アルト様に付いていきたい女の子』なんです。……ダメ、ですか?」
隣ではシルバーが、当然のように「俺も行くぞ」という顔で尻尾を振っている。
「……はは。スローライフへの道は、まだまだ遠そうだな」
俺は苦笑いしながら、自分のステータス画面を閉じた。
そこには、世界を書き換えた代償として、見たこともない称号が刻まれていた。
【称号:世界唯一の管理者】
神様になんてなったつもりはないが、どうやらこの世界は、まだまだ俺に隠居させてくれるつもりはないらしい。




