天使に恋をした悪魔
かつて。
「それ」を前に、思わず手をのばしていた。
眼に映るのは、幼い自分の手。
生まれ落ちてまだ時はそれほど過ぎておらず、飛ぶこともできない自分の羽がはじめてもどかしいと思った。
それまで空を飛ぶことなど憧れたこともなかったのに。
「あー」
言葉さえも操れない。
幼子。
だが、それでも「それ」の背を飾る真っ白い羽がとてもきれいだと思って・・・それだけは真実の瞬間。
それから、1年の時が流れた。
「わ、待って。あーちゃん」
いつまでも子供扱いする「それ」が腹立たしく。
「うるさい!」
思わず乱暴な口調になってしまう。
びっくりするようなまなざしを自分へ向けてくるが、その色には心配するものだけ。
「それ」には、腹立たしいなどという感情はない。他の生き物のようにおびえているというわけでもない。
赤子の姿から、1年経ずして大人へと変わった自分が何かも分かっているはずだ。
おびえても良いのだ。
自分は「それ」とは違う。
おびえてくれれば、簡単にこれまでしてきたように引き裂いてしまうのに。
誰よりもか弱い存在なのに・・・自分を庇護する存在と思って止まない。
同時に、自分の仲間からも、こんな存在にとらわれた自分をあざける声が止まない。
だが、決して弱いわけではなかった。
あざけった仲間たちは、引き裂き、二度とその声を上げられぬほどの痛みを負わせた。
同時に自分が何であるかを痛感する瞬間でもあった。
仲間であっても、生きているものを切り裂き、引き裂き、その断末魔を聞く快感。その甘美なこと。
そして想像する。
「それ」を同じようにしたら、自分はどんな気分になるだろう・・・。
「あーちゃん」
沈黙した自分にいつものようにそっと手を伸ばして、自分のゴワゴワした漆黒の髪を撫でてくる。
白い生き物。
神が天使と名付けたその生き物は、儚く、誰にでも優しい。そう・・・天使の敵である悪魔にでさえも。
無防備に。
自分がどんな風に見られているかも知らないで。
「触るな」
その手を振り払わなければ・・・。
大人になるということは、心が黒く塗り替えられていくということ。
完全にこの心が黒くなってしまえば、「それ」を引き裂くなど容易いこと。
だから、その前に離れなければ。
嗚呼。
「大丈夫?」
なのに、なぜ振り払えない。
どうして抱き寄せてしまう。
いつの間にか、自分よりもずいぶん小さくなってしまった「それ」を腕の中に収め。
ふわふわとして、きらきらと金色に輝く髪に唇を埋め。
甘い匂いに酔う。
「あーちゃん。大好き」
抱き返してくる細い腕。
その体を心ごと引き裂きたい。
「それ」から流れ落ちる血で全身をぬらし、のどから出る断末魔に浸りたい。
「天ちゃん」
なのに。
こぼれ落ちたのは、自分の口からこぼれたとは思えないほど小さな声だけ。
いっそのことあの瞬間に見えなければ良かったのに・・・と。
そう思えない自分が呪わしい。




