独身生活を謳歌していたら凶悪と噂される黒騎士様に溺愛されました
黒狼のような鋭い目付きの彼は、私にこう言った。
「婚姻届にサインしろ。今すぐにだ」
呆然とする私を見つめなぜか黒いオーラを放つ彼の名は、全身に漆黒の鎧を身に付けた黒騎士――ギディオン・リュゲート。騎士の中でも特に戦闘能力の高い者は、黒騎士の称号と専用の鎧を与えられるが、彼もその一人だ。
黒騎士は常に戦いの前線に出ることを強いられるため、彼の目の周りには大きな火傷の痕、頬には刃物で切り付けられたであろう傷痕が残っている。他にも体のあちこちに傷痕があり、敵を威圧するためか表情は常に引き締まっている。眉間に寄った濃いシワは、怒っているのだと他者に感じさせるほど。
そんな彼がなぜ私に婚姻届を突き出しているか、理解不能なので少し思い返してみることにした。なんでもない、彼との出会いから――。
***
「黒騎士様、脚を引き摺っておいでですが、治療は受けないのですか?」
思えば、私の方から声をかけたのだ。隣国との些細ないざこざを解決するため駆り出された黒騎士たちが、圧倒的な武力を行使して早々に問題を解決し、帰還した夕暮れ時だった。
黒騎士ギディオンは、上手く上がらないであろう脚を無理やりに動かしながら、戻ってきたばかりの王城の門を出ようとしていた。
「その脚、早く治療しないと長引きますよ」
「……なんだ、お前は」
不審な女を見る目付きで睨まれるが、そんなことより脚の方が気になってしまった。引き摺り方からして、怪我はかなり酷そうだったから。
「私、ノエル・ヘンダーと申します。普段は王城の蔵書を管理しております」
「名前なんか聞いていない。なんの用で話しかけたのか聞いている」
「だから、その脚。放っておくと使い物にならなくなりますよ」
「……それだけか?」
「それだけです」
自己紹介も程々に脚の怪我について脅しをかけると、彼は驚いたように眉を引きつらせた。
「お前……俺を知らないのか……?」
全く脚と関係のない質問を投げかけられて、脳内に疑問符を浮かべたとき、薄らと周囲の人の声が聞こえた。
「黒騎士のギディオン様、今日は一段と不機嫌そうね……きっと戦い足りないのだわ……」
「凶悪騎士だもの。何人殺せば気が済むのかしらね……」
「先の戦いでも狂乱めいた戦いぶりだったらしいぞ……恐ろしいから、早くどこかへ行ってくれないだろうか……」
口々に吐かれる黒騎士の話題に、私はこっそり耳を傾ける。皆、遠巻きに彼の悪い噂を口にしていた。そこでようやく理解したのだ、彼が人々に恐れ戦かれていることを。
黒騎士はその鎧で〝最強〟であることを証明するが、その分人々にも恐れられる存在だ。圧倒的な強さを得た代わりに、その強さが無意味に人を傷つけるのでは、と一般人に遠ざけられる。そんなことは知っていたが、にしたって酷すぎる。
彼ら黒騎士は誰よりも危険な場に向かい、様々な危機を乗り越え、非力な私たちを守ってくれている。時には体の一部を欠損し、名誉だなんだと無意味な称号を与えられ、少ない金を渡され隠居する者もいる。そんな、常に危険と隣り合わせの勇気ある黒騎士を、遠巻きにして悪く言うだなんて。理不尽にもほどがあるだろう。
「……俺はここにいるべきではない。お前も早くあっちへ行け」
彼の伸びた黒い前髪が、目元に影をつくる。前髪の隙間から僅かに見える赤い瞳は、どこか寂しげに映った。
そしてまた足を引き摺って門を出ようとする彼に、私は懲りずに問いかけた。
「その脚はどうするのですか」
「自分でなんとかする」
「王城の治療師がダメなら、いい治療院を紹介しましょうか?」
「必要ない。俺が行くと治療師が失神してしまう」
遅い足で構わず門を出ようとする彼の腕を、私は思わず掴んで言った。
「それなら私が治療します!」
「……なに?」
振り向いた彼の目は、鋭さを失い丸くなっていた。眉は非対称に吊り上がり、驚愕とも取れる表情をしている。
「な、なにを言っているんだ、お前は?」
「治療の経験はありませんが、医学書ならいくつか読んだことがあります。あなたは大雑把な雰囲気がありますし、私の方が上手く治療できるかもしれません」
「そういうことを言っているんじゃない!」
声を荒らげた黒騎士を、周りの人々は小さく悲鳴を漏らしてさらに遠ざけた。しかし私は腕の力を強め、もう一度脅しをかける。
「適当に処理なんてしたら、まともに歩けなくなります。治療師があなたを怖がることを危惧しているなら、少しでも知識のある者が治療をすべきです」
別に知識に自信があるわけでもないけれど、少なくとも脚の怪我より周囲の視線を気にしている彼よりは、私の方が治療に適していると感じた。
一切腕を離さず彼の目を捉える私に、彼は小さく問いかける。
「……俺が、怖くないのか?」
つまらない質問に、私は答えとも取れない返事をした。
「世の中には、恐怖なんて感情よりも優先すべきことがあるんです」
早くゆっくり来てください、と彼の腕を引いた。私よりも大きく強い彼は、どっちなんだ……と呟きながらも大人しく着いてきた。
――城の裏、人気のない草むらに彼を座らせ、治療用のバッグを借りてきた私はうろ覚えの知識でギディオンの脚を治療した。まっすぐな棒を脚に宛てがい、布で強く固定する。激しい痛みが走っているはずなのに、彼の眉間は常にシワを寄せているため、察することができなかった。
「痛くありませんか?」
「痛い。もっと優しくしろ」
「あぁ、痛いんですか。分かりませんでした」
「…………」
優しくってどのくらい? と考えながら治療に専念していると、彼が自ら口を開いた。
「……なぜ、俺にそんな態度ができる」
「どんな態度ですか?」
「不遜……というか、強気な態度だ」
「さぁ……? よく分かりませんが、強いて言うなら〝失う物もなく無敵だから〟でしょうか」
「……どういう意味だ?」
考えなしに答えると、ギディオンは心の底から不思議そうに顔を上げた。私は脚の治療に意識を集中しつつ、取り繕わずに答えた。
「友人もなく、夫も子供もおらず、あげく両親に見放されているので、失う物は何もないんです」
「……友人はともかく、なぜ結婚しない? お前くらいの歳の女は、結婚や子供を生きがいにする者も多いだろう」
「私の生きがいは本だけです。もちろん相性の合う方に出会えたら結婚も子供も考えますが、まだ出会えていないのでどうでもいいですね」
変な女だ……と小さく聞こえた気がするが、聞こえなかったフリをする。
「そもそも、メガネにそばかすの地味な女を前にしたら、男性はみんな離れていきますから。結婚は難しいでしょうね」
おまけに髪は三つ編みで、地味の定番である三セットが揃っている。そう言って他人事のように笑うと、ギディオンは否定せず「そうか……」と呟く。自分で言っておいてなんだけれど、ひと言否定があってもいいんじゃないだろうか。
「そういうわけで、失礼な態度をとって黒騎士様の怒りを買い、殺されたところで、私に痛手はないのですよ。気になっている本の続きが読めなくなるくらいです」
「本好きにとっては、続きが読めず死ぬのは最悪の末路なんじゃないのか」
「その通りですが、よくご存知ですね」
意外にも本好きの気持ちを理解した言葉を告げてくるギディオン。もしかして、彼も本を読むのだろうか。彼の顔を覗いてみるが、表情はやはり変わらない。
いや、そんなわけないか。そう息を吐いて彼の脚に視線を戻し、全体を確認して頷く。
「はい、もう大丈夫です。私にはこの程度しかできませんが、放置するよりはよっぽどマシです。できれば安静にしてくださいね」
「……あぁ、助かった。ありがとう」
素直に礼を言われて笑みを返すと、彼は素早く目を逸らした。怪我のせいで熱でも出たのか、耳が赤い。早く寝た方がいい、と助言だけして立ち上がり、私はその場を離れた。
――以降、なぜか彼は私の務め場所を訪れるようになった。
「すごい数の蔵書だな。これをたった数人で管理しているのか?」
「はい。でも楽しいので苦ではありません」
「本当に本が好きなんだな……」
そんな他愛もない話をしにわざわざ訪ねてくるギディオンは、他の女性陣には目もくれず私に声をかけてくる。まぁ、女性陣はみんな彼を恐れているのだから、当たり前なのだが……。
怪我は二十日もしないうちにすっかり良くなったらしく、普通に歩けているので安心した。私の下手な治療で逆に長引いたら、因縁をつけられるかもしれない、と密かに気を張っていたから。
ただ不思議なのは、彼の態度だ。
あの出会いの日は私を妙な女だと認識していたはずなのに、いつの間にかやけに普通に接してきている。傷は多いけれど、勇ましく目鼻立ちのハッキリした男性的な色気を持つ顔は、黒騎士の鎧さえ脱げば多くの女性を虜にするはず。それなのに、どの女性よりも私とのくだらない会話を優先しているようだった。
王城では話し相手がいないのだろうか。そう同情して会話に応じていたけれど、ある日ギディオンが同僚と接しているところを目撃してしまった。同じ黒騎士の男性に腕を回され、楽しげに笑みをこぼしながら話す姿に、私は更なる疑問を覚えた。
話し相手いるじゃん、と。
相手が同性だからといって、私と違い友人という存在がいることには変わりない。わざわざ地味な女を訪ねなくとも、話し相手はいるじゃないか。周りに遠巻きにされているからといって、私と話す必要性を感じない。
それなのに、彼はかなり頻繁に現れた。仕事で留守にするとき以外は、ほぼ毎日のように私を訪ねてくる。すれ違えば必ず声をかけ、私の予定を細かく聞いてくる。
休日に外出したときも、行きつけの本屋で待ち伏せされており、なぜか共に過ごすことになったり。楽しいおひとり様ライフが削られ、私は若干のストレスに頭を抱えた。
彼はべつに私を困らせようとしているわけではないらしく、私が本に集中していても、黙ってただそばにいてくれる程度には気を使ってくれていた。それは理解している。しかし、如何せん表情が怖い。黙って見つめてくる瞳が私の顔を貫きそうで、何度も集中力が切れてしまうのだ。
「あの、黒騎士様」
「ギディオンだ」
「……ギディオン様、そんなに見つめないでくれませんか?」
「……べつに見つめてなんかいない。そばかすを数えていただけだ」
「数が増えそうなのでやめてください」
指摘すれば妙な言い訳をして顔を逸らすし、自分の言ったことが恥ずかしいのかすぐに耳を赤くするし、本に視線を戻せばまた凝視してくるし……。
嫌いではないし、あまり害もなく寧ろ心地はいいのだけれど、そろそろ我慢が効かなくなっていた。
そして今日も訪ねてきたギディオンに、単刀直入に聞いてみたのだ。
「ギディオン様、たかが怪我を治療しただけの女に毎日毎日会いに来て、何が目的ですか?」
「目的……?」
壁一面の蔵書を整理しながら問いかけた。しかしギディオンは首を傾げる。
「何の話だ?」
「何の話もなにも、私に一体どういう目的で声をかけているのか聞いているんです」
少し苛立って聞き直すと、ギディオンは口篭る。その態度に、やはり何か目的があるのだと察することができた。
「最初は治療をしたことに恩を感じてくださっているのかとも思いましたが、なんだかそういう感じでもないですし。本に興味があるのかというと、そういうわけでもないですよね?」
「そ、それは……」
分かりやすく顔を逸らすギディオン。そんなに分かりやすくて黒騎士が務まるのか、と些か心配になる――が、この際もっと強気で聞いてみようと思った。
「一体なんなんですか? 御用があるならハッキリ仰ってください。女性と話したいだけなら、鎧を脱いで街にでも行ってください。ギディオン様ならたくさんお相手してもらえますよ」
「なっ……!?」
ギディオン様の漏れ出た声に、驚きと苛立ちが含まれているのが理解できる。ちょっと嫌味が過ぎたか、とさすがに反省したが、顔は見ずに返答を待った。
鋭い視線が横から眉間をくり抜きそうなほど刺さっていることに、気づいていたからだ。
「……そうか、お前がそこまで聞きたいなら……ハッキリと言ってやろう」
不穏な気配を察知して思わず顔を向けると、目の前に一枚の紙切れが突き出された。
一番上に、婚姻届と明記されている。
「……なんですか、これは?」
「婚姻届だ」
「どうして婚姻届を私に見せるんですか? 証人欄にサインしたらいいんですか?」
「違う。お前がサインするのは〝妻〟の欄だ」
え? と声を漏らしてすぐ、ギディオンは告げた。
「俺と結婚しろ、ノエル・ヘンダー」
――頭が真っ白になり、言葉が出なかった。そんな私に一歩距離を詰めるギディオンは、容赦なく話を続けてくる。
「お前は大人しそうな見た目のわりに俺を恐れない妙な女だが、人を偏見で選ばず平等に接するところは好感が持てる。ドライなようでいて人が良い面もあるし、本好きなのに言葉に品性を感じないところも面白い」
褒めているのか貶しているのか分からず反応が遅れる。その遅れた数瞬で、ギディオンはさらに続けた。
「お前は『相性の合う男に出会えたら結婚を考える』と言ったな? 俺はお前が本を読む時間を邪魔もしないし、蔵書管理の仕事も自由にさせてやる。子供も強制はしない。常にお前の気持ちを尊重すると誓う。それに、俺とお前はそれなりに波長が合っていると思うが?」
「……なんですか? つまり、私を『好きだ』と言いたいのですか?」
結婚の利点をいくつか挙げられる中でようやく思考が整理されてきた私が問うと、ギディオンは途端に頬を赤らめた。そして、少しして決意したように返答する。
「そうだ。俺はお前を愛しているから、妻にしたい」
――なんて真正面から真摯な言葉だろう。一瞬そんなことを思ってしまったが、すぐに『なぜ?』と疑問が脳を占める。
「あなたに愛されるようなことは、全くしていませんが……」
「過程はどうだっていい。俺の今の気持ちがそうなんだから、理由付けなんて必要ないだろう」
「なんて勇ましい……」
貴重な蔵書を落としそうになって、必死に手の力を込め直す。
「えーっと……お気持ちは嬉しいのですが、その……」
正直、断るべきか受け入れるべきかは判断がつかなかった。提示された利点は確かに魅力的だったし、波長も合わないことはない。面と向かって想いを告げられたことなんか経験がないし、なんだか嬉しいような気もしてしまう。
しかし、好きかと問われると疑問が残る。私はまだそこまで彼を知らない。本ばかり読んできたせいで、恋の表現技法はいくらか知っているが、それらが本当に体に現れる現象なのかも分からないのだ。
動悸は今もしているが、ただの動揺かもしれない。顔は燃えるように熱いが、病気かもしれない。そんなことを考えたら、ますます恋や愛が理解不能になってくる。
顔を見れずに蔵書を見つめると、再び視界に紙切れが映し出された。ギディオンが顔の赤みを包み隠さず婚姻届を突き出している。
「さっさと書け。そんな顔をしておいて断るなんて許さない」
「そ、そんな顔とはどんな……」
「女の顔をしてるだろう!」
「女の顔とはなんですか! 具体的に説明してください!」
混乱して説明を求める私に、ギディオンは眉間のシワを濃くして舌打ちする。そして綺麗に蔵書が並んだ棚に、大きな音を鳴らして手をついた。顔の横に青筋が浮かんだ筋肉質な腕が勢いよく過ぎったことで、私は喉を鳴らしてしまう。
「いいから、婚姻届にサインしろ。今すぐにだ」
とても理想的なプロポーズとは思えない態度なのに、なぜか動悸は治まらず、激しくなる一方で。私は口をついて、
「……はい」
と返事をしてしまったのだった。
こんにちは、鈴木です。
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