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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

1945年、盆は終わらず

作者: 海山 里志

 夜の海は、全てを呑み込むような暗さを持つ。波は陸へと手を伸ばし、海へと引き込む。誰かの話し声も聞こえる。

「繧ッ繝ゥ繧、……、繧オ繝薙す繧、……」

「よう浦崎、こんなところにいたのか」

「九重……」

 俺の戦友、九重が声をかけてくる。そしてそのまま、俺の横に腰を下ろした。

「ここは、いい場所だ。真っ暗な中、海の声だけが聞こえて……、思考を巡らすにはちょうどいい」

 俺の何気ない呟きに、九重も何の気もなく返す。

「故郷が心配か?」

「なっ、そんなこと……!」

「いい。俺の前では取り繕わなくてもいいんだ」

 俺は海越しにあるはずの、近くて遠い故郷を見て答えた。

「天一号作戦、日本の決戦艦隊が沖縄に向かったと聞いている。時を同じくして菊水作戦も始まった。先日の菊水八号、無二の親友渡口も、御国のために飛び立った。鬼畜米帝に故郷が奪われるなんて、あり得ない」

「読めないな。お前が護りたいのは国体か? 故郷の人か?」

「なっ!? お前、軍法会議もんだぞ!」

「いいから。お互い本音を知らないと連携も取りずらいだろ」

 俺は頭を掻く。九重はいつも口がうまかった。

「ったく。俺は、那覇に恋人を残してるんだ。佳代といってな。気立てのいい人だった。出征前夜、皆んなが赤ら顔で笑う中で、佳代だけはこっそり泣いてくれていた」

「俺も同じだ」

 意外な答えに俺は九重の方に顔を向ける。九重は海を向いたまま続けた。

「俺の故郷は長崎でな。そこに美江という恋人がいる。この千人針も、美江から手渡されたんだ」

 そう言って九重は千人針を見せてくれた。この一つ一つの結び目に、幾ばくの想いが込められているのか。そしてそれを手渡した美江という女性の想いは、如何なるものだったのだろうか。そう想いを馳せていると、九重は千人針を引っ込めてしまった。

「話しすぎたな。今夜のことは他言無用な」

「ああ、お互いにな」

 その言葉を最後に、俺たちは口をつぐみ、静かに潮騒を聞いていた。波が岸辺にぶつかり、砕けていた。


     *     *     *


 それからの鹿屋での日々は、緊張感こそあれ、出撃らしい出撃もなく過ぎていった。自分としては、故郷のため、渡口のように、いつでも命を捧げる覚悟であったのだが。

 8月15日、朝。正午に陛下御自ら放送ありとの予告があった。その日は朝から晴れ渡り暑かった。

 正午、音質の悪いラジオに一同耳を傾けていた。陛下が何を仰せかとても聞き取れたものじゃない。放送が終わると、司令は静かに口を開いた。

「日本は無条件降伏した。武装も解除する」

 最初司令の言っていることの意味が分からなかった。では決戦艦隊は? 特別攻撃隊は? 沖縄はどうなったのか?

 それから俺たちは、司令の指示の下、とるものもとりあえず、あらゆる書類を焼却した。ただ、その日の食堂にて。出された食事を口に運ぶーーができなかった。渡口の死は空しく、家族や佳代も安否不明。俺だけが、生きている。生き残って、しまっている……。箸を持つ手が震える。

 その手にそっと、温かい手が置かれた。九重だった。

「食べよう。生きてないと家族に会うことも英雄を弔うこともできないぞ」

 俺は頷く。そして食事を口に運んだ。味がした。美味しかった。俺は初めて涙した。

 それからの連合国軍の進駐も降伏文書調印も陛下のGHQ本部行幸も、俺にとってはどこか他人事だった。俺の関心は、那覇に残した家族と佳代の安否だけだった。


     *     *     *


 11月30日、勅令により海軍省が廃止され、ようやく俺たちは任を解かれた。

「機会があったら長崎に来いよ! 案内してやるよ! だから俺のこともいつか沖縄に呼んでくれ!」

「ああ、約束だ」

 それが俺と九重との鹿屋での最後のやりとりだった。

 俺は帰郷を目指したが、すぐさまそれは諦めざるを得ないことが判明した。沖縄は米軍統治下にあり、封鎖されていたのだ。

 人がダメなら、郵便はどうか。一縷の望みを託して、手紙を出した。

 一ヶ月後、封筒が届いたーー見たことのない切手が貼られて。送り元住所はアルファベットで書かれていて読めなかった。差出人の名前は父で安心した。

 俺は慌てて封筒の口を破る。便箋には、残った家族は無事であること、故郷は壊滅したこと、アメリカによる占領後家族は収容所に押し込められたこと、佳代は去年の夏対馬丸で長崎に疎開したことなどが書かれていた。

 米帝による破壊への怒りと占領の屈辱は耐え難いが、家族の無事が分かっただけでもよしとせねばなるまい。俺は遠い海の向こうの故郷に想いを馳せた。

「繧ッ繝ゥ繧、……、サビシイ……」

 また声が聞こえた。「サビシイ」と言っていた。長崎に行こう。佳代に逢いたいし、もしかしたら九重とも逢えるかもしれない。そう思い立って省線の停車場へ足を向けた。


     *     *     *


 鮨詰めの列車に、果たしてどれほど揺られたのだろうか。車窓に俺は信じられないものを目の当たりにした。全くの更地である。おまけにひどく臭う。列車はゆっくりと停車場に滑り込んだ。仮設の手書きの駅名板だけが、そこが長崎駅であることを告げていた。

 焼け落ちた駅舎を抜けると、すぐに見知った背中を見つけた。彼は駅の上り口に腰を下ろし、俯いていた。

「九重!」

 それに応え上げられた顔には、憂いが深く刻まれていた。

「……浦崎? 浦崎か!?」

 九重は目を丸くする。驚いたのはこちらの方だ。

「九重! 何があったんだ!?」

「……終戦前、8月9日、ここ、故郷長崎に新型爆弾が落とされた。家は全焼。焼け跡から家族の遺骨が見つかった。美江は、溶け落ちた姿で見つかったよ……」

 九重は背中を震わせる。その背を摩ることさえできなかった。冷や汗が止まらない。佳代は無事なのか?

「伊波佳代の安否は分かるか? 対馬丸で長崎に来ているはずだが」

「対馬丸? いや、長崎には来てない」

 頭が真っ白になる。では、対馬丸はどこに向かったんだ? 佳代は、どこに行ったんだ?

「1944年8月21日、暁空丸、和浦丸、そして対馬丸で構成されたナモ103船団は、確かに那覇から長崎に向けて出航した。ただ長崎に到着したのは、暁空丸、和浦丸と護衛の蓮、宇治だけだ」

「どういう……ことだよ……」

 九重は口を開いては閉じ、開いては閉じした。やがて身を震わせて、口を開いた。

「対馬丸は、道中敵潜水艦の奇襲を受け、撃沈された。生存者は僅か。そこに、お前の恋人、伊波佳代の名前はなかった」

「……っ! くっ! ううぅ……」

 俺はその場に蹲ってしまった。佳代との思い出が、美しい沖縄の景色が、彼女の眩しい笑顔がフラッシュバックする。

「クライ……サビシイ……」

 その声にはっと顔を上げる。今度ははっきり聞こえたーー愛しいあの声で。佳代、ずっと俺を呼んでいたのは、お前だったんだな。

「九重、御免!」

 俺は弾かれるように立ち上がり、何かに突き動かされるように駆け出していた。

 辿り着いたのは夜の浜辺だった。白砂と紺碧の海、そこに境目などあるだろうか。

「寂しかったよな。これからはずっと一緒にいよう、佳代」

 俺は1月の冷たい海へと身を沈めた。

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