第9話
「なぁ、あの連中が襲ってきた理由、本当に知らねぇのか?」
馬車の向かいに座るリゼが、ディランに問いかける。
フィーネは、農夫から借りた荷馬車を操っており、ランはリゼと交代で御者台に座っている。
「うん、知らない」
「けどあいつら、王女がどうこうって言ってたぜ?」
「ああ、言ってたね。そういえば」 ディランは思い出すように頭をかき、首を傾げた。 「あと誰だっけ……サリア様?」
「そう。サリアって名前が出てたな。あたいの記憶が正しけりゃ、カノアの第三王女だ」
「へえ? 会ったことないな」
リゼは疑わしげに目を細める。
「その第三王女とお前が、何か関係あるから襲ってきたんだと思うぜ? あいつらは」
「誤解なんだけどなぁ。会ったこともないのに、関係も何もないじゃない」
「……ふーん」
リゼは腕組みをし、それ以上は追及しなかった。
見た目に反して“凶王”と恐れられるディランのことだ。
どうせ何か企んでいて、自分には話すつもりがないのだろう——そう勝手に解釈したのだ。
やがて、カノア王都を囲む高い城壁が視界に入ってきた。
***
「え? クインズヒル王の御一行……? あなた方が?」
質素な馬車と、それに続く行商用の荷馬車を見て、城門の衛兵が戸惑いの声を上げた。
「これ、カノアの王様から」
ランが衛兵に差し出した招待状は、どう見ても本物だ。
「確かに我が王家の証印がありますが……」
「分かったらさっさと通して。時間が無駄」
「わ、分かりました。お時間を取らせてしまい申し訳ありません……」
ランは不満げな顔のまま馬を進める。しかし衛兵が再び呼び止めた。
「あの、すみません! 荷馬車には何を積んでいるのでしょう?」
「それは……」 ランが答えに詰まったところで、ディランが窓から顔を出す。
「やあ、ご苦労さま」
「は? ああ……はい」
「王様へのお届けものだよ。あぁ、でもカノアから来たものだから、お返しに来たって言ったほうがいいのかな……?」
「? ええっと……おっしゃる意味が分かりませんが……国王陛下への贈答品ということでしょうか?」
「うん、まあ、そんなところ」
「そ、そうですか……では通って構いませんので、王城で検査を受けてください」
「ありがとう、お仕事頑張って~」
「おい、今のがクインズヒルの凶王か?」
先ほどの衛兵に、別の衛兵が小声で話しかける。
「そうらしいな……ずいぶん若いが」
「荷馬車の検査をしなくて良かったのか? 先日の件以来、例外は作るなと厳命されているだろ?」
「けど、凶王に目をつけられたくないだろ。王城に入る時にも検査はあるし、問題ないさ」
「……ならいいが」
しばらく王都を進むと、大通りの先にカノア王城が見えてきた。
「……なあ。死体を城まで持っていくのはいいけどよ。なんて言って渡すつもりなんだ?」
城の方を向きながらリゼが横目で尋ねる。
「え? 正直に説明すればいいんじゃない?」
「襲ってきたから殺した……って言うのか?」
「そう」
「マジかよ……まあ実際、正当防衛だとは思うけど」
「リゼ、ディラン」 そのとき、御者台のランが顔をのぞかせた。 「様子が変」
二人が外に目を向けると、王城から物々しい兵たちがこちらへ向かってくるのが見えた。
「ちっ、また襲ってくるつもりか? ……けど数が多いな」
「ううん。剣は腰に差したまま。たぶん敵意はない」
「じゃあ今度こそ出迎えに来てくれたんじゃない?」
兵たちの後ろには、ひときわ豪華な馬車も続いていた。
その馬車が目の前に停まり、並々ならぬ威圧感を漂わせた人物が降り立つ。
「クインズヒル王……で間違いないか?」
銀髪と立派な髭をたくわえた人物が問う。
「さようでございます。……カノア国王陛下」
軽やかに御者台を降りたランが、いつもとは違う丁寧な口調で答えた。
「うむ」 カノア王は頷くと、自分が乗ってきた馬車へ視線を送る。
するともう一人、同じ銀髪を持つ若く美しい女性が、馬車を降りて姿を現した。
「このような場所ですまぬ、クインズヒル王よ。不躾ではあるが、無事な顔を見せてもらえないだろうか?」
馬車の中でリゼがつぶやく。 「……まさか、王様自ら出迎えだと? たぶん、襲ってきた近衛兵たちと関係あるな。つうか……ほら、主役が揃わないと話が始まらねぇだろ? さっさと降りろよ」
ディランが窓に顔を寄せて尋ねる。 「あの人がカノアの王様?」
「お前……隣国の王の顔も知らないのかよ。それと後ろの女がたぶん第三王女だぜ? ほかの王族の顔は知ってるが、あの女だけは見たことがない。王が箱入りにしてるって噂で、これまで表に出たことがないらしい」
「ふーん。でも、どっかで見たような……見てないような」
そうこうしているうち、リゼが馬車を降りたので、その手を借りてディランも馬車を降りる。
「本当は王城へ行く前に、新しくできたケーキ屋に寄りたかったけどなぁ」
ディランは残念そうに呟いた。
「お父様……」
サリアは緊張した面持ちで父王を見つめる。
「心配するな、サリア。ここへ来られたということは、ガリアスたちとは行き違いになったのだろう……」
それは――ディランたちがクインズヒルを発つ少し前のことだった。
***
「私たちは断固、反対ですっ!!」
近衛兵隊長ガリアスが、王族の朝食室へと乱入してきた。そこでは、ディクラムと第三王女サリア、そして王妃スレイナが朝食の席についていた。
「騒がしいぞ……」
ディクラムは手にしていたパンを置き、困ったように言った。
「ですが!! サリア王女を、あの“凶王”に差し出すなど……我らは納得できません!!」
ガリアスの背後には、同じく近衛兵の男たちが十数人、きっちりと並んでいる。
「何度も説明したはずだ。書庫の鍵を得るには、カノアとクインズヒルが手を結ぶしかない。そのためには、誰かがあの王家との架け橋にならねばならぬのだ」
「……恐れながら、他にも方法はあるはずです! そもそも、我が国が全力で攻め入れば、あのような弱小国など――」
「国家間協定にこれ以上触れるわけにはいかぬだろう!」
ディクラムの声が苛立ちを帯びる。
「先んじて、クレヴァスから正式に抗議の文書が届いた。国家間協定に違反し、クインズヒルに放った暗殺者を横から妨害したことへの抗議だ。我々が弁明するよりも早く、すでに様々な憶測が飛び交っている。……これで、カノアも孤立した。当事国クインズヒルと同じ立場になったのだ」
「やつらの汚い策に乗せられてはなりません……陛下!!」
「ガリアス、もはや選択肢などない。これがクインズヒルの策だったとしても、かの国と共同体になり、書庫の知識をもって大陸の主導権を握る――それしか生き残る道はないのだ……」
クレヴァスの使者の遺体がカノアに運び込まれた件について、カノアはまったく身に覚えがない。
だがそんな言い訳が通用しないのが国際社会だ。
協定に反すれば、それに与するクレヴァス以外の各国とも敵対したことになる。
いかにカノアが大国でも、多勢に無勢。
各国から制裁を受ければ、国としての運営が成り立たないどころか、国家が瓦解することさえ有り得た。
ならば、生き残る術はひとつ――クインズヒルと組み、“王権書院”を確実に手中へ収めること。
書庫の権限があれば、それが切り札となり、他国との交渉の道が開ける。
今は、その賭けに出るしかなかった。
「お前たちが長年、王女サリアの近衛として仕えてくれたことには感謝する。……だが、これはサリア自身の提案でもあるのだ。その意思を尊重する気はないのか?」
「ですが……歴史ある我が国が、あのような小国に踊らされるなど……!」
「あら?」
それまで黙っていたサリアが、微笑みながら口を開く。
「歴史だけなら、クインズヒル王家の方がカノアより長いわよ?」
そう言って微笑む。
「サリア様……、我らは近衛として貴方を守る義務がございます。このような馬鹿げた婚姻、絶対に認めるわけにはいきません……!!」
「馬鹿げている……かしら? この縁談は、クレヴァスの件が無くても進んでいた話よ。それが少し早まるだけでしょう?」
「死体を送りつけてくるような狂った国ですよ!?」
その言葉に、サリアはわずかに表情を歪めた。
サリアとて何も思わないわけではない。しかし、王族の一員としてもう決めたことなのだ。
今さら個人的な感情を優先することは、王族として育んできた誇りや責任を捨て去る行為だった。
「ガリアス、これは政治的戦略よ。近衛兵である貴方たちに反対する権限はありません。下がりなさい」
語気を強めてサリアが言った。
ガリアスは「くっ……」と不満そうに呻き、背を向ける。
「私は……絶対に認めません……。我らは貴方様を守ると誓ったのです……!」
最後にそう言い残し、配下の兵を連れて部屋を去った。
「まったく、軍人上がりは短気で困る」
朝食を続けながら、ディクラムがため息をつく。
「うふふ、サリアが美しいからかしら。あれでは忠誠心というより、ただの嫉妬ね」
淡々と食事を続けていた王妃スレイナが、楽しげに笑った。
「お母様……笑い事ではありませんわ。あの様子では、クインズヒル王陛下にも無礼を働きかねません」
「そうね。……いっそ、クインズヒルに連れて行ってしまえばいいのではなくて? 彼らは置いていかれるのが寂しくて駄々をこねているんでしょう?」
そう言ってスレイナが紅茶を口にする。
「あんなにぞろぞろと連れていけませんわ、お母様。ましてあのような態度では、クインズヒル王に警戒されてしまいます」
サリアが疲れたように答えた。
「サリアの言う通りだな。王家の決定にあれほど反対するとは……家臣の領分を超えている」
ディクラムが背もたれに深くもたれた、その時――。
「陛下……!」
再び朝食室に駆け込む者があった。王城を警護する親衛兵の男だ。
「まったく騒々しい。今度はなんだ!?」
「たった今、ガリアス隊長が武装して城を出ました! クインズヒル王のもとへ向かったようです!」
「なんだと!?」
ディクラムの顔から血の気が引く。サリアも慌てて立ち上がった。
「まさか……クインズヒル王を直接……!? 馬鹿な!」
確かに、ディランを殺せば王権書院は手に入る。
少し前であれば、その手段も選択肢になっただろう。
だが今は違う。
カノアと各国の関係が悪化したのは、クインズヒルと組んで他国を妨害した、と信じ込まれているからだ。
それが今度は、クインズヒルさえ裏切り、王を殺した――そんな噂まで流れたら、カノアの評判は地に落ちてしまう。
国際社会はルールとモラルで成り立つ。
それをあまりにひどい形で破れば、「野蛮な国」という烙印が押される。
そうなれば、いくら書庫の権限を持っていようと、交渉のテーブルにつくことは出来ない。
対等な教養と倫理観を持った相手でなければ、交渉というものは成立しないのだ。
もしも、目先しか見ない短気な近衛兵たちのせいで国際社会から、「王権書院を奪うためなら何でもやる無法国家」と見られてしまったら……。
「即刻、兵を集めろ! 奴らを止めるのだ!!」
王の怒号に、親衛兵は慌てて部屋を飛び出した。
「兵だけでは足りないわ。ディクラム、サリア、あなたたちも行きなさい」
スレイナはデザートのワッフルを口に運びながら言う。
「……やむを得まい」
「はい、お母様」
親衛兵が追いついても、説得は難しい。
暴走した近衛兵たちを止められるのは王とサリアだけだった。
こうして二人は急ぎ支度を整え、王城を発った。
だが、直後――王都を進む一団に早馬が駆けつけて、クインズヒル王の到着を告げた。
運良くガリアスたちとは行き違いになったということだろう。
二人は胸をなで下ろし、せっかくだからとディランたちをそのまま出迎えることにしたのだ。
***
そして現在――、やってきた馬車から降りてくる人物に、サリアの目は釘付けになった。
――……セバス・グウィナ?
そう。先日、闘技場の試合で自分を地に伏せさせた、唯一の男。
最強だと自負していた誇りをあっという間に打ち砕いた相手。
闘技場での誓いを破った償いとして、多額の慰謝料を運営を通じて支払った。
後腐れはないはず――なのに、気まずさと悔しさ、そして言い知れぬ感情が胸にこみ上げる。
――そう。クインズヒル王に仕えているのね。
あれだけ知名度のあったライザ・クラウディアを打ち破ったのだ。
どこかの王族が護衛に雇っても不思議ではない。
サリアは、セバスに続いてクインズヒル王本人が馬車を降りるのを待った。
……しかし、先に降りた侍女らしき女性はセバスが降りるのを手助けし、そのまま扉を閉めてしまった。
そして、カノア王の前に進み出て、恭しく礼をする。
「恐れ多くも、このような場所までお迎えいただき感謝申し上げます。こちらが我が国の王、ディラン・クインズヒル陛下でございます」
暗殺者として様々な場所に潜入していたリゼとランは、社交の礼儀も完璧に身に着けている。
普段とは別人のようなリゼに驚きつつ、ディランは笑みを浮かべて歩み出た。
「やあ、初めまして。本日はご招待ありがとうございます。――ディラン・クインズヒルです」
その言葉を聞いた瞬間、サリアの心臓が跳ねた。