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第6話



カノア王都に謎の死体が持ち込まれた翌日――王城の軍事戦略室では、緊急の会議が開かれていた。


あごひげを蓄えた細身の男、軍事長官ルドスが重々しい口調で口を開いた。


「昨日、王都に運び込まれた死体ですが、クレヴァスの者で間違いないようです」


「その根拠は?」 王ディクラムが問う。


「各国に潜入させていた我が諜報部が、男の顔を確認しております。男はクレヴァス軍の暗殺者の一人。間違いありません」


「……そうか」 ディクラムが顔をしかめる。 「面倒なことになったな」


「まったく、同感です」


カノアとクレヴァスの関係は、はっきり言って良好とは言えない。

もともと深い交流があったわけでもなく、表面的な外交で均衡を保ってきたが――《王権書院》の存在が明らかになってからは、互いにその“書庫の鍵”を巡って水面下の競争を激化させていた。


とはいえ、あくまで標的はクインズヒル王家であり、国同士が一線を越えぬよう慎重に動いてきた。大陸国家間で結ばれた《協定》の効力もある。協定では相手国への直接的な干渉は禁止されているため、いかにして先に鍵へと辿り着くか――その駆け引きが続いていたのだ。


だが、その均衡が、今まさに崩れようとしている。


なぜカノアの王都で、クレヴァスの暗殺者が死んでいたのか。

これは、外交上きわめてデリケートな問題だ。


カノアにクレヴァスの諜報部員が潜伏しているのと同様に、カノアの動きもクレヴァス側に筒抜けとなっている可能性は高い。おそらくこの情報も、少なからず向こうに伝わっているだろう。


だが、問題は情報の“伝わり方”だ。


たとえ熟練した諜報員の報告であっても、伝聞には必ず主観や解釈が混ざる。真相がどうあれ、カノアがこの件に関与していないという事実が、正しく伝わる保証はない。

まして、こちら側の調査だってまだ不十分なのだ。


「死体を運んでいた者たちは、見つかっておらぬのか?」 ディクラムが尋ねた。


「いまだ行方はつかめておりません」


そう言ってルドスがわずかに眉をひそめる。


今のところ、事件の鍵を握るのは馬車を置いて姿を消したふたりの人物。

ひとりは子どものような背丈で、もうひとりは長身。ふたりともマントで身を隠していたという。


昨夜から衛兵を総動員して王都内を探し回ったが、いまだ手がかりは得られていない。宿屋、空き家、商業区……あらゆる場所を探ったが、2人が潜伏している痕跡はなかった。


「城門では徒歩で出入りする者を1人残らず確認しておりますので、おそらく王都内に留まっているかと。また、念のため馬車を購入した者も洗い出しましたが――」


「該当する者は?」


「ひとり、特徴に合致する男がいました。ですが出自が明確だということで除外しております」


「誰だ?」


「セバス・グウィナーという男です。昨日、闘技場で試合に出たあと、商人ギルドを通じて馬車を購入した記録があります」


「セバスだと……?」 ディクラムが渋い表情を浮かべる。


「何か、問題が?」


「……ああ、いや、気にするな」


――ディクラムは、昨夜の娘との会話を思い出していた。



――――


「お父様……負けてしまいましたわ」


書斎の扉を開けるなり、サリアはそう口にした。


「負けた……? お前が……か?」


思わず問い返すディクラムの声には、素直な驚きが滲んでいた。


サリアの“趣味”を、国王としてではなく、父として受け入れるようになってから、もう随分と経つ。


別名を使って剣闘士として戦う娘の姿に、思うところはあったが――その意思の強さを前にしては、もはや反対することすら無意味だと悟っていた。


サリアが剣の道へ進むきっかけは、兄である王太子が剣術を始めたことだった。

幼い彼女は、兄の姿を真似て「私もやってみたい」と言い出したのだ。

当然、周囲は反対した。女にはふさわしくない、と。ディクラムも例外ではなかった。


だが、王妃――彼女の母が娘の意志を尊重したことで、空気が変わる。

ディクラムも渋々ながら「いずれ飽きるだろう」と、許しを与えた。いずれどこかの貴族に嫁がせねばならぬ娘だ。それまでの間だけでも、やりたいことをさせてやろう。そんな親心もあった。


だが――サリアは剣を手放さなかった。それどころか……才能を開花させてしまったのだ。


兄を越え、王城の剣術師範さえも凌駕し、ついには「国内に彼女を教えられる者はいない」とまで言われた。悶々とした日々を送る娘を見て、ディクラムは決断する。異国に住む剣聖を招いたのだ。


サリアは剣聖のあらゆる教えを血肉とし、技のすべてを貪欲に吸収した。

やがて教えることのなくなった剣聖は、サリアに名を継がせる。


かつて戦いの神に愛された最強の女戦士、ライザ・クラウディアの名を。


剣聖は彼女の意志を継ぐ13代目のライザだった。そして14代目を、サリアが受け継いだ。


サリアは戦いの場において、ライザを名乗るようになった。

そして名乗る以上、負けてはならないし、戦いをやめてもならない。それが剣聖との誓約だった。

サリアは戦いの場を求めるようになった。

ライザの名を継いだ責任からではなく、自らの心を満たすために。


ディクラムはもはや諦めるしかなかった。

サリアの剣の才は本物。それを今さら取り上げることなんて出来ない。

だから、ディクラムは闘技場を作った。戦いを求めどこか遠い地へ行ってしまうくらいならば、せめて目の届くところで戦って欲しいと。


そんなサリアが――負けた。


「一体誰がお前を……」


「セバス・グウィナー……という男です」サリナが静かに答えた。


男、という言葉にディクラムは一瞬、息をのむ。


「……ならば誓いは……?」


“女剣闘士ライザの誓い”は闘技場の客にも、選手にも、広く知られている。

それは、自分を倒した者の“妻になる”という誓い。

相手が同性であればまだ交渉の余地はあったが、男である以上誓いは絶対のはずだった。


「破りました。誓いを守れないことを相手にも伝え、慰謝料も支払いました」


「そうか……」 とディクラムは呟いた。


安堵とも、失望ともつかぬ吐息が漏れる。


どこの馬の骨かも分からぬ者に娘を渡さずに済んだ――本来なら喜ぶべきことだったが、サリアの表情には、深い悔しさが宿っていた。

その感情を前にして、父として軽々しく安堵など表に出せなかった。


「誓いを破るつもりはありませんでした。ですが……私には優先すべき立場があることは自覚しているつもりです……」


サリアは、ディクラムに提案していた。

――自分がクインズヒル王家に嫁ぐことで、書庫の鍵を手に入れてはどうか、と。


ならばもはや他の男の妻になるわけにはいかない。たとえ誓いを破ることになっても。


「慢心……していたのでしょう」 サリアがぽつりと呟く。


こんなにも早く、自らの誓いを突きつけられる日が来るとは思っていなかった。


負けるはずがない、と。

ここ最近の戦いのすべてが予定調和であり、“ライザ”の名声を揺るがす存在などもはや現れることない。漫然とそう思っていた。


「あの男に放った言葉がすべて自分に返ってきました……」


サリアの目がかすかに揺れる。


ディクラムは何も言わず、そっと娘の手に、自分の手を重ねた。


「ですが……ライザ・クラウディアの誓約だけは、破るわけにはいきません。約束通り、私は剣を置きます」


その唇は、固く結ばれていた。


「本当に、それでいいのか?」


「……ええ。負けた私に、ライザを名乗る資格はありませんから。けれど、これでよかったのだと思います。もし無敗のままクインズヒルに嫁いでいたら……私は戦いをやめられなかったでしょうから」


その言葉とともに浮かべた微笑みに、ディクラムもまた、ふっと口元を緩めた。


「ああ、お前は……そうだな」



――――


セバスという男の名を聞いて、そんな会話を思い出したディクラムだったが、ふうっと小さく息を吐いて思考を現在へと引き戻す。


「今回の件、いずれクレヴァスの耳にも届く話だ。先にこちらから事情を話す場を設けたいと思うが、どうだ?」


ルドスがうなずく。「確かに、それが最も傷を浅くする方法かと」


事が露見するのがクレヴァス側の諜報員からではまずい。それがふたりの見解だった。


なぜ黙っていたのか、後ろ暗いことがあったからではないのか。そんな外交上の隙を見せるくらいならば、先手を打って事情を正直に伝える方がマシだった。


「では早々に会談の場を設けるよう手配しましょう」


そのとき、会議室の扉がノックされた。


「失礼いたします」入ってきたのはルドスの部下にあたる諜報員だった。


「何か進展か?」とルドスが問う。


「はい、死体の男に関してご報告が……」


諜報員の疲れた様子から、ふたりは、あまり良い話ではないだろうと想像した。


「……諜報部の一人が、男の動向をいくらか知っていたようです。その情報によれば――」


言いよどんだ諜報員に、ルドスが視線を傾け、無言で続きを促す。


「……男は、クレヴァスがクインズヒルへ送り込んだ暗殺者だった可能性が高いようです」


それを聞いて、ルドスが眉間に深い皺を寄せた。同時にディクラムが天を仰ぐ。


「……これは、こじれるな」


その可能性を排除していたわけではない。だが、できれば確証が出るまでは誰も口にしたくなかった。


「クレヴァスがクインズヒルに刺客を送ったのは、我々も掴んでいたが……」 とルドスが苦々しく呟く。「よりによって、我が国を巻き込むか……凶王め」


これで、クレヴァスとの外交はますます困難を極めるだろう。


なぜクインズヒルに向かった暗殺者が、カノアで死んでいたのか。クレヴァスはあらゆる可能性を疑うはずだ。


そのなかで最もあり得ると彼らが結論づけるのは恐らく――“クインズヒルとカノアの内通”。


それ自体は許容される範囲だ。調略によって書庫の鍵を得ることを咎められる筋合いはない。

だが、クレヴァス側の暗殺者殺害にまで関与していたと見なされれば、話は違ってくる。


《大陸国家間協定》に明確に違反する行為になるからだ。


大陸国家間協定――それは、各国が結んだ“紳士協定”のようなものだ。


王権書院の権利を巡り、野心に燃える国々が直接ぶつかれば、やがて大陸中に戦争の火種が落ちる。

そうなれば書庫どころの話ではない。大陸各国の首脳たちは戦争を抑制するため、当事国であるクインズヒルを除き、国家間のルールを取り決めた。


――『王権書院の利権を巡り、他国に対していかなる武力的干渉・妨害を行ってはならない』

――『王権書院を包括する国家・クインズヒルに対し、戦争を仕掛けてはならない』


つまり、暗殺者をクインズヒルに送り込むことは黙認されても、他国がそれを邪魔してはいけない。また戦争を仕掛けてクインズヒルそのものを滅ぼしてもいけない。


表向きはあくまで“平和的”に、陰では“静かなる知略戦”を繰り広げる。それが、この争奪戦のルールであり、違反した国家には相応の罰が与えられる。


もちろん、例外もあった。


たとえば複数の国が同時に刺客を送り、運悪く鉢合わせしてしまった場合などだ。

その結果、どちらかが死んだとしても、「事故」と見なされれば、それで済まされる。証拠がなければ、罪には問われない。それがこの協定の“抜け道”でもあった。


だが――今回ばかりは、そうはいかない。


クレヴァスが送り込んだ暗殺者が、よりによって今、カノアの首都で死体になって見つかったのだ。

偶然? そんなもの通るわけがない。これは、どう言い繕っても “他国の暗殺者への妨害” に他ならない。


つまり、カノアは今――協定違反の当事者にされたも同然だった。


「どうなさいますか、陛下」 顔色を変えたルドスが問う。


「……釈明の手紙を送れ。……通じはすまいがな」


ディクラムは重いため息を、ひとつ吐いた。



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