表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/23

第4話



――ライザは、じっと目の前の男を観察していた。


相手は、どこかの王国で騎士長を務めていたという話だった。

それなりに名のある剣士だとも。


しかし、今この場に立っている男がその人物だとは、とても思えない。


平民のような服を着て、武器も持たず、舞台を間違えた素人といった風情。


それでもここは名の知れたカノア闘技場だ。

観客がうっかり迷い込むような場所ではない。

ならば、この男は紛れもなく“対戦者”として、この場に立っているということだ。


――ならば、受けて立つだけだ。

たとえ相手がどれだけ愚かで無謀に見えようとも。


ライザはこれまでも、女だからと侮って挑んできた者たちを幾度となく退けてきた。

名声を得てなお、「たかが女」と見くびる者は後を絶たなかったから。


だが、彼らは皆、無残に叩き伏せられ、ライザを甘く見たことを悔いながら、静かに表舞台から消えていった。

それでもさすがに武器も持たず挑んでくる馬鹿は、今まで一人もいなかった。


開始の合図が鳴り響く。


ライザは初手から全力だった。


――豪速の一閃。


ライザの剣は、常人では目で追うこともできない。

肉体の動きから先読みできたとしても、対処のしようがない速さだ。


熟練の剣士であれば受け止められるかもしれないが、凡人がどれほど努力を積み重ねようと、初見でかわすなど不可能な代物だった。


だが――その一撃を、男はすり抜けた。


それは避けたというよりも、風に舞う紙のように、自然と刃の流れを受け流したような動きだった。

意図も力も感じられず、ただ、そこにいた存在が、いつの間にか“いなかった”。


ライザは驚いたが、即座に体勢を立て直し、二撃目を放つ。


魔石を組み込んだ特製の剣が、唸りを上げる。

魔導機構により増した斬撃の鋭さ、ライザの剛腕が加わったその一撃は、幾多の戦士を一太刀で屠ってきた。


それが当たる直前――またも男の姿が蜃気楼のようにかき消えた。

次の瞬間、踏み込んだライザの左側に、いつの間にか男が立っている。


「なっ……!」


さすがに動揺を隠せず、ライザはバックステップで距離を取った。

観客席は水を打ったように静まり返る。

誰もが、目の前で起きた現象を理解できずにいた。


中でも一番困惑していたのは――他でもない、ディラン本人だ。



初撃を見た瞬間、ディランは悟った。「あ、死んだな」と。


だが、死は訪れなかった。

目の前を斬撃がかすめるどころか、まるで空気のようにすり抜けた。

体がふわりと浮いたような奇妙な感覚のあと、気がつけば剣は空を斬り、ライザの姿が少し離れた位置に見えた。


二撃目も同様だった。

恐怖が凝縮されたような一閃。

空気すら切り裂く剣に、ディランは確実に終わりを覚悟した。

だが――気づけばまたしても、彼は別の場所に立っていた。ライザのすぐ横に。


訳が分からない。自分の体が勝手に動いたような気さえする。

足元がふらつき、まるで馬車酔いのような不快感が湧き上がった。


目の前のライザは、さきほどまでの軽やかな表情を消し去り、獣のような目でこちらを見ている。

もはや戯れや余裕はない。真剣な殺意を、その瞳に宿していた。





✲ ✲ ✲ ✲ ✲ ✲


――9つあるうちの9番目。それは、帝国時代以前に発掘された古代の遺物を指す。


何らかの理由で滅びた、古代超魔導文明。

その名残が“アーク”と呼ばれる、原理の解明されない謎の力を秘めた魔装具。


それは帝国史の中で次々と権力者の手に渡り、帝国の崩壊後、歴史の影に消えた。

今では、実在したことすら定かではない。


だが、アークは確実に存在する。


大陸各地に散逸していたそれらは、徐々に、歴史の表舞台へと引きずり出されていた。


そのひとつ。

9番目のアークこそが、今まさにディランの左腕に装着されている腕輪である。


このアークが宿す力は、“エンリルの加護衣”と呼ばれるもの。


風の神・エンリル──太古の人類が信仰したとされる神格。

その加護を宿すこの魔装具は、装着者に迫るあらゆる攻撃を、自身が風となってすり抜け、無力化する。衣のように纏う風がすべての敵意を受け流し、その身に一切の傷を許さない。


そして“加護衣”は、持ち主に危機が迫ったときに自動で発動する仕様となっていた。


たとえ、ディラン自身がライザの動きを視認できなかったとしても──その肉体は風のように舞い、斬撃を避け続ける。


✲ ✲ ✲ ✲ ✲ ✲




ライザは冷静に、次の攻め手を思案していた。


この男が単なる傲慢ゆえに無防備な格好をしているのではないと、先の二手で理解した。

初撃を避ける者は過去にもいたが、二撃目まで無傷でかわす者など、これまで見たことがない。


只者ではない──そう確信したことで、むしろ彼に対する興味が湧いていた。


だが、負けるわけにはいかない。

ライザはこの試合に、とても理不尽な“条件”を自ら課している。


それは、「敗北したならば、妻として勝者に嫁ぐ」という、傍から見れば馬鹿げた誓い。

そして美しい容姿を備えたライザだからこそ成立する誓いだ。


自分でも狂気じみていると理解している。

もし人格破綻者にでも負けてしまえば、後の人生などたやすく地獄に変わるだろう。


それでも、この場に立ち続けるためには必要な誓いだった。


「女」である自分が、真剣勝負の場で対戦相手を得るために──強者を装った凡夫たちに“戦う理由”を与えるために、撒いた餌。


すべては、戦いという刹那の時のために。

命を懸け、血を流し、泥にまみれる。そんな戦いのなかにだけ、自分の存在意義を見出せるのだ。


戦場だけが、心を熱くし、研ぎ澄まし、生きている実感をくれる。

父には何度も止められたが──こればかりはやめられない。


ライザは風の魔法を剣にまとわせ、必殺の一撃を放つ準備を始めた。

魔石に魔力を注ぎ込む。剣先を中心に、渦巻く風が舞う。


風を穿つ雨(スピラ・イヴェル)”。


剣技と魔法の融合によって編み出された、師より授かった最強の技。

全方位から無数の風刃が襲いかかり、回避は不可能とされる。

どれほど手強い対戦者であっても、例外なくこの技で倒れてきた。


だが──


その嵐のような斬撃のすべてを、ディランは回避した。


厳密には、ディランの意志ではない。

“エンリルの加護衣”が、すべての斬撃を自動的に躱してしまった。


ディランにとって、それは極めて不快な体験だった。


勝手に体が動き、次から次へと不可解なステップで斬撃を避け続ける。

初めて馬に乗ったときのような強烈な酔いが、彼の平衡感覚を揺らしていく。


やがて斬撃の雨が止んだとき──

ディランは、ライザの目と鼻の先に立っていた。


「っ……!?」


驚愕したライザが体勢を整える間もなく、ディランが彼女の肩を押し、地面に倒れさせる。

体制を整える前だったライザは、そのまま背中から倒れ込み、あっさりと地に伏した。


――そしてディランは……


(オエッ……き、気持ち悪っ……)


心からそう思っていた。


あまりに理不尽な動きに翻弄されたことで、完全に三半規管がやられていたのだ。

その場にへたり込み、偶然にもライザの上に覆いかぶさるような格好となった。


「……そろそろ、いいかな」


ディランが苦悶を抑え、低く問いかける。


みんな僕を人違いしてる、だから、そろそろここを出たい。そう訴えたつもりだった。

けれど、これ以上言葉を続けると胃の内容物がこぼれ出そうだ。


だから、ライザはその短い言葉の続きを、脳内で勝手に補完する。


そろそろ、いいかな──君の剣が通じないことは分かったはず。それでも続ける?


その瞬間、ライザは悟った。

武器も防具も、この男にはまさしく必要のないものだと。


「……私の、負けね」


ライザが静かに告げる。


やがて、静まり返っていた観客席が、一転して歓声に包まれる。


「「おおおおおおお!! ライザが負けたぞ!!?」」

「「まさか、誰も勝てなかったライザが……!!」」


悲鳴と歓喜が入り交じるなか、司会者が絶叫する。


「とんでもない番狂わせだぁああーー!!! ……ということは……ついに今日、彼女の誓いが果たされるのか!? ライザ・クラウディアを妻にできる幸運な男、その名は……セバスっっ、グウィナーぁぁあああ!!!」


場内の熱狂など無関係とばかりに、ライザは目を伏せ、静かに言った。


「……ごめんなさい。事情が変わったの。私は、あなたの妻にはなれない」


ディランにも司会者の言葉は聞こえていた。

だが、セバスの遺体をそのままにしてあることが気になり、それどころではなかった。


「対価は支払います。だから……」

「いや、かまわないよ、別に」


ライザは少しだけ驚いたように眉を上げる。


「……でも、私と結婚したくて試合に出たんじゃないの?」


「違うよ」


じゃあなぜ……そう口にしかけたライザに向かってディランは真っ直ぐ答える。


「ライザ・クラウディアを、ひと目見たかっただけさ」


その瞬間、背後の鋼鉄の扉が音を立てて開いた。

ディランはすぐに気づき、立ち上がる。


「じゃあね。会えて良かったよ」


そう言い残し、彼は舞台の袖へと消えていった。


ライザは、その背中をただ呆然と見送る。

胸の内に湧き起こる、これまで感じたことのない不可解な感情に戸惑いながら──




✣ ✤ ✣ ✤ ✣ ✤




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ