第3話
ふたりは人通りの多い大通りへ出て、ギルド会館に向かって歩き始めた。
カノアでは、王政府直属の中央ギルド庁が、職人・商人・騎士・錬金術師など、あらゆるギルドを統括しており、それらを一つの建物に集約している。
それが、王都のランドマークとも言える巨大建造物――ギルド会館だ。
その高くそびえる姿は、王都のどこからでも目に入る。
会館へと辿り着いたふたりは、周囲の衛兵に気を配りながらそっと中へ入る。
中は思いのほかにぎわっていた。
フィーネはそのあまりの熱気に押され気味だったが、ディランはお構いなしに奥へとズンズン進んでいく。
「ちょ、ちょっとディラン様、もう少し警戒してくださいよ!さっきの死体のせいで騒ぎになってるかもしれないんですから!」
慌てて声をひそめるフィーネに、ディランは「まさか~」と気楽に笑った。
「みんな楽しそうだよ。何か面白いイベントでもあるんじゃない?」
そう言われ、あらためて周囲を見渡すと、確かに群衆は不安というよりは高揚しているようだった。
「……催し物、でしょうか?」
「だね、ちょっと聞いてみようか」
ディランはそう言って、「案内所」と書かれた看板の下に座っていた獣人の男に声をかけた。
獅子のような顔をした、いかつい風貌の男だ。
「ねぇ、今日は何かお祭りでもあるの?」
「おう、今日はライザ=クウラディアの試合があるんだ」
見た目に反して、男が愛想よく答える。
「試合? どこで?」
「この地下にある闘技場さ。連戦連勝の女剣闘士、ライザって言えば知らない奴はいないぞ? 賭けたいなら、あっちの通路から受付に行ける」
「……闘技場かぁ」
ディランは、カノアのギルド会館には合法の国営闘技場が併設されていることを思い出した。当然、試合に金を賭けることも可能だ。
ディランは楽しげにキラキラと目を輝かせながら、隣のフィーネを見つめる。
「……ダメですよ、ディラン様」
フィーネは即座に首を振った。
「ここでは馬を手に入れるんでしょう? 商人ギルドに行かないと――」
この地に長居するほど、衛兵に捕まる可能性は高まる。
試合などに浮かれている場合ではない。
「たのむよ、フィーネ。一試合だけ!ライザって人の試合を見たら、すぐに馬を探しに行くから!」
「あのねぇ、ディラン様……」
「ああ、ライザの試合ならあと10分だぞ?」
フィーネの言葉を遮るように、獣人の男が追い打ちをかける。
「見たいなら、そろそろ客席に行った方がいい」
「お金ないんだけどさぁ。観るだけってできる?」
それを聞いて男がにっかりと笑う。
「もちろんさ。見学だけのやつも多いしな。あんたみたいに金のなさそうな奴も、な」
「ありがとう! フィーネ、試合もうすぐだって! 行こう!」
「……ハァ」フィーネは深いため息をつき、首を横に振った。
「もういいです。馬は私がなんとかしますから、試合はディラン様おひとりで見てきてください」
言い出したら聞かない。
こんなときでも通常運転のディランに辟易しながらも、ディランをがっかりさせるのが嫌でついついフィーネは妥協点を探してしまう。
「えー? 僕ひとり?」
「そうです。私は効率的に動きたいので」
「しょうがないか。じゃあ、馬は頼んだよ」
ディランは言い終わらぬうちに背を向けた。
「商人ギルドにいますから、試合が終わったら寄り道せずに来てくださいね?」
「分かってるってー!」
そう言いながら、ディランは楽しそうに闘技場へ向かって駆けていく。フィーネは、まったくもう……と、心配そうにその背を見送った。
✣ ✤ ✣ ✤ ✣ ✤
闘技場の入口はどこだろうか。
地下へ続く階段を下りながら、ディランはきょろきょろとあたりを見回す。
そして、ちょうど通路の先に扉があるのを見つけ「ここかなぁ」と言って扉を開け、中に踏み込んだ。
中は、薄暗くて狭い通路だった。
そして、鼻を突くのは汗と血が混じったような、荒々しい臭い。
「……うわ、さすが闘技場。匂いまで戦場みたいだね」
鼻をつまみながら通路を進むと、行き止まりに小部屋が現れた。
入口の横には、金属のプレートで「選手控え室」と刻まれている。
さすがのディランも、道を間違えたことに気づいた。
「うーん……今から引き返したら、試合に間に合わないかも」
しかし、控え室ということは、いずれ試合会場へと繋がっているはずだ。
選手の邪魔さえしなければ、通り抜けるくらい問題ない――そう判断したディランは、ためらいなく扉を開け、小部屋へと足を踏み入れた。
控え室の中には、ふたりの人影がしゃがみ込んでいた。
ディランに気づいた人影は、ゆっくりと立ち上がる。
頭からつま先まで黒布に包まれ、露出しているのはギョロリとした目だけ。
性別も種族も判然としなかったが、体の線からして女性だろうとディランは察した。
「誰だ?」
片方が問いかけてきた。やはり女性の声だった。
ディランは咄嗟に口を開く。
「ああ……掃除しに来たんだ。ここってけっこう汚いから」
ふたりが出場選手の関係者だと思ったディランは、無断侵入を咎められないようとっさに嘘でごまかした。
「掃除?」
女は値踏みするようにディランを見つめ、細い声で続けた。
「……へぇ。ずいぶん早い到着じゃん」
そう言うと、もう一人に目配せをし、再びディランに向き直る。
「こいつ、遺物は持ってなかった。ハズレだね。あとは適当に処分しといて。よろしく」
そのまま、ふたりは音もなく去っていった。
「お任せを~」
訳が分からないが、とにかくいなくなってくれるならラッキーだ──そう思っていたディランだったが、すぐに異変に気づく。
──先ほどまでふたりが立っていた場所に、誰かが倒れている。
それは軽装の鎧をまとった男だった。
褐色の肌にスキンヘッド、口元からは大量の血が溢れている。
ディランは慌てて駆け寄った。
「えっと、だいじょうぶ……?」
男の目がゆっくりと開き、ディランを見つめた。
次の瞬間、目を見開いて声を絞り出す。
「ディラン坊っちゃん……!? なぜ、ここに……」
「え?」
記憶をたぐる。──どこかで見たことがある顔。少しして思い出す。
かつてクインズヒルで騎士長を務めていた男──セバスだ。
「やあ、セバス。久しぶりだね」
傷の深さに動揺しつつも、どう声をかけていいかわからず、とりあえずいつもの調子で笑いかけた。
「……ふ、やはりすべてお見通しだったんですね……それで、わざわざ俺のもとへ……っ、面目ありません……」
何のことを言っているのか、ディランにはまったく分からない。
怪我のせいで混乱しているのだろう。
そう思って起き上がろうとするセバスの肩をそっと押さえた。
「いまは動かないほうがいいよ? 医者を呼んでくるから──」
「いや……もう、いいんです。自分の身体のことは……分かってます」
セバスはディランの制止を振り切り、左腕に装着されていた“何か”を外す。
「これが……あれば、ライザに勝てた……それで……カノア王家の血を、クインズヒルに……けど……組織に嗅ぎつけられて……」
「うんうん、ちょっとよく分からないけど……とりあえず横になろっか? 血がすごいよ?」
それでも、セバスは語るのをやめなかった。
「聞いてください……坊っちゃん。組織の連中は、まだ……“認識阻害”魔法の存在を知らない……」
彼の手には、いつの間にか黒いブレスレットが握られていた。
それを、ディランの左手へそっとはめる。
「んーと、これは?」
「……古き王の遺物。9つあるうちの9番目……。こいつは……王の後継でなければ、本来の力を発揮しない……だから、坊っちゃんに渡せて……良かった……」
セバスの身体から力が抜けていく。
「あれ? セ、セバス?」
「ディラン様……我ら『王権の騎士』は……クインズヒル王とともに──」
それが、最期の言葉だった。
ディランはセバスの顔に手を添え、わずかに開いていた瞳をそっと閉じる。
混乱はしていない──というより、ディランは理解が及ばない事態に直面すると、いったん思考を止める癖があった。
分からないことに悩むのは時間の無駄、とさえ思っている。だから今は、目の前の事実だけを受け止めた。
──両親に仕えていた騎士長が、この地で何者かに殺されたという事実。そして犯人は、先ほどの黒装束の二人組らしいということ。
……だが、もう一つ重要な事実にディランはまだ気づいていなかった。
それはここが“選手控室”であることから容易に推測できる。
それに思い至らないまま、セバスを放っておけず誰かを呼びに向かう。
薄暗い空間の奥、まばゆい光が差すほうへ。人々の声が響くほうへ。
そして視界が開けた瞬間──
場内に轟いたのは、耳をつんざくアナウンスの声だった。
「さあ! 登場するのは、期待のルーキーッ! セバス・グウィナァァーー!!」
その声に合わせ、地鳴りのような歓声と振動が舞台を包み込む。
「そして! 皆さまお待ちかね! 闘技場史上、最強最悪の女剣士──ライザ・クラウディアァァ!!」
熱狂が巻き起こる中、ディランは茫然とその場に立ち尽くした。
石造りの荒々しい舞台の上。
赤黒い染みがあちこちに残るその場に、なぜか自分と、銀のプレートアーマーに身を包んだ美しい──ライザと呼ばれる女が向かい合って立っていた。
彼女は軽く観客に手を振り、白銀の髪を革紐でまとめながら、足元のヘルムを手に取って左腕に抱える。
──どういう状況?ディランの思考がゆっくり回り始める。
そして、気づいた。
ああそうか、セバスはこの試合でライザの対戦相手だったのだ、と。
しかし彼はもういない。今、舞台に立っているのはディランだ。
観客も、司会者も、ライザさえも、自分をセバス・グウィナだと思い込んでいる──かもしれない。
「両者、舞台中央へ!」
そのアナウンスが決定打となる。完全に誤認されていると確信し、ディランは声を上げる。
「あー、すみません。僕はセバスじゃなくて……」
しかしその声は、熱狂にかき消されて届かない。
控え室に戻ろうと振り返った瞬間──
ズンッ!
鋼鉄の扉が、重い音を立てて閉じられた。
「あーあ……」
肩を落とすディラン。
仕方なく、ライザに直接説明しようと歩み寄る。
距離が縮まり、ようやく会話できる距離になると──
「私を、舐めてるの?」
ライザが冷たく言い放った。
「え? なんで?」
思わず聞き返すディラン。
「これから戦うってのに、その格好? 冗談よね?」
確かに、ディランの服装はただの平民服。
防具もなければ、武器すら持っていない。
「……武器は? 丸腰で私と戦うつもり?」
「武器? そんなもの必要ないよ」
──だって、戦う気なんてないから。
そう言おうとしたところで、再び司会の声が場内に響き渡った。
「さぁっ、これまで数多の戦士が勝負を挑みながらも、誰一人、彼女の背を地に付けることは叶いませんでした! そして今日、再び彼女を手に入れようと登場したこの男──セバス・グウィナー! 果たして彼は本物か、偽者か! 勝利を掴むのはどちらだぁああ!!」
会場の熱が最高潮に達する中、ライザはディランをじっと見据える。
「武器が必要ない? ふふ、それは楽しみね。英雄か、ただの無謀か──確かめさせてもらうわ」
「いや、そうじゃなくて──」
その言葉が終わるより早く、ライザはヘルムをかぶり、顔を隠した。
そして細身の剣を抜いて、構える。
もはや誰にも自分の声が届かず、「ああ、やっぱり僕は……不運だなぁ……」とディランが人ごとのように呟いたその時──
試合開始の合図が、鳴り響いた。