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第25話


「おい、あの女、間違いないよな……」


廊下の影で、リゼがひそかに呟いた。

来賓室に紅茶を運び終え、扉を閉めた直後のことだ。


珍しい客の登場に、彼女の心臓はまだ落ち着かない。


「うん、間違いない……グルセナ・ハートネス。組織のボスの右腕」


隣に立つランの声も、どこか緊張を帯びている。


「だよなぁ……どうしよう。ひょっとして、あたしらを始末しに来たとか? ダリオの野郎からアークの情報、買ったばっかりだし」


リゼは顔をしかめる。


「分からない。でも、彼女を連れてきたのはディラン。もし始末するつもりなら、真っ先にディランを狙うはず」


「そっか……。けど、あたいらの王様もあの女も、考えてることがさっぱり分かんねぇ奴らばっかりだな」


「そもそも、組織の大幹部とディランがなぜ一緒? それが最大の謎。敵対関係ならまだ理解できる」


ランもまた、首をひねる。

二人は顔を見合わせ、珍しく同時に深いため息をついた。


グルセナ・ハートネス。

かつてリゼとランが身を置いていた組織の最高幹部の一人。

そしてふたりはまだ知らないが、今は再び剣聖ライザと名乗っている。


末端の構成員であった二人が直接顔を合わせる機会は滅多になかったが、その尋常ならざる強さは裏社会の誰もが知るところだった。


そして今日、間近で彼女の姿を目にし、改めて二人はその恐ろしさを痛感する。


まさに「化け物」のような女剣士――。

二人がどんな策を弄しようと、彼女には到底敵わないだろう。


グルセナの全身から放たれるただならぬ気配は、まるで心臓を直接掴まれるような圧迫感があった。

ちらりと視線を合わせただけで、自分たちが容易く屠られる光景が脳裏に浮かぶ。


「触らぬ神に祟りなし、だ。極力、あの女には近づかないようにしようぜ」


リゼが提案する。


「うん。紅茶のおかわりを頼まれても無視する。私には、グルセナの相手なんて無理」


ランはきっぱりと言い放った。


「……いや、無視するのは、もっとまずいんじゃねぇか?」


リゼの不安げな呟きは、虚しく廊下に吸い込まれていった。





その頃、来賓室では――。


「師匠が負けた……ですか?」


ライザの隣に座るサリアは、信じられないといった表情で問いかけた。


「……はい。正確には……『あの若き王は、私を殺すことができた』と言った方が正しいかもしれません」


ライザは伏し目がちに答える。


「その……師匠とクインズヒル王……つまり、ディランが戦ったということなのでしょうか?」


サリアは困惑を隠せない。


「いいえ、そうではありません」


ライザは金色に輝く冷たい瞳をちらりとサリアに向けた。


「クリュードと名乗った、先ほどの騎士……彼と戦い、まさに雌雄を決するその時でした」


サリアは黙って、続きを待つ。


「まるで子どもの喧嘩を止めるかのように……。他愛もなく、我々の死に至る一振りを、彼の放った弾丸が止めたのです」


「弾丸……ですか?」


サリアが目を丸くする。


「魔石銃です。おそらく、私の部下から奪ったものでしょう」


話が全く見えないとばかりに、サリアは瞬きを繰り返す。


「彼の弾丸は、いつでも私、あるいはクリュードさんを殺すことができた……。ですが、彼はそうしなかった。……私たちの生死など、彼にはあまり興味がないようでした」


サリアはライザの言葉の端々を補完しながら、彼女が何を言いたいのかを頭の中で整理していく。


ライザは決して饒舌に語ることはない。

思いついた言葉を淡々と、不規則に並べるだけだ。

だからその行間を読み、意図を察する行為は、かつて弟子入りした頃に散々慣らされていた。


「……つまり、師匠と先ほどのクリュードさんが何らかの理由で戦いになり、決着がつきそうになったところで、ディランが止めに入ったのですね?」


ライザは静かに頷いた。


「ですが、それでどうして師匠が負けたことになるのでしょう?」


「容易く殺される可能性があった。それだけで負ける理由には十分なのです」


ライザの言葉は揺るぎない。


「中立の立場から申し上げれば……お二人が正式に試合を行えば、結果はまた違うのではないでしょうか?」


サリアは食い下がる。しかしライザは首を振った。


「たとえ試合ではなくとも……直接対峙していなくとも……。生殺与奪の権限を一度でも相手に与えてしまったならば……それは負けたことになるのですよ、サリアさん」


剣聖の重責を受け継ぐ者は、異常なまでのストイックさを戦いに求められる。

特にライザは、死線を脅かされることさえ、剣聖の名を継ぐ者にあってはならないと考えていたことを、サリアは思い出した。


「……師匠……」


サリアの胸に、重いものが込み上げる。


「本当ならばサリアさんのように、ライザの名は先代にお返しすべきでしょうが……私の師は残念ながらもう生きてはおられません。ですから、負けた償いを抱えながら、私はこの名を背負い続けるつもりです……」


そっと、サリアの手がライザの手に重なった。二人のいる部屋に、しばしの静寂が流れる。






その頃、クレヴァスの騎士クリュードは、室内の二人の様子などまるで気にせず、バルコニーの手すりに寄りかかってぼんやりと外を眺めていた。

つい先ほどまで死を覚悟したのが嘘のように、今は静かで、のどかな光景が広がっている。城の厨房からだろうか、いつの間にか美味しそうな夕食の匂いまで漂ってきた。


――さて、どうするか。


クリュードは頬杖をつき、思考に耽る。

クインズヒルの敵情視察に訪れ、あわよくば国王暗殺でもしてやろうと意気込んでいたはずが……。

突然の剣聖との戦い、それを止めたクインズヒル王の狂気じみた手管。


それらのせいで、すっかり毒気を抜かれてしまった。

正直なところ、今の自分のままでもう一度剣聖と戦いたいとは思わないし、クインズヒル王の暗殺なども、すっかり興味を失っていた。


――クレヴァスに帰るか……。


そんなことを考えていたとき、バルコニーの扉が開き、フィーネが呼びかけた。


「クリュード様。夕食のご用意ができましたので、ご案内いたします」


「夕食? ……いや、俺は……」


「クインズヒル王陛下の希望ですので、お急ぎの用がないのでしたら、ぜひ」


そう言われると、断るのも気が引けた。

それに先ほどから漂う、食欲をそそる匂いの元を確かめたい気持ちもあった。


「では、お言葉に甘えさせていただきます……」


わざわざやってきて、夕餉を馳走になるなど、いったい自分は何をしているのだろう。

そんなことを考えながら、クリュードはフィーネのあとに続いた。

先に声をかけられていたライザとサリアも、一緒だった。



案内されたのは、食堂でも客間でもなく、城の厨房だった。

普通、客人が立ち入るような場所ではない。

しかしフィーネは少し恥ずかしそうに目を伏せながら言った。


「このようなところで本当に申し訳ありません……。この城は使用人が少ないもので……立場の区別なく皆ここで食事をとるのです。お二方にもぜひ、この城の習わしに沿ってみんなと食事をしてほしいと、陛下よりお言葉を賜っております……」


「……なるほど。作ったそばから料理を食べる。……合理的で良いですね」


ライザが感情の無い声で言った。

その声色から、皮肉ではなく本心でそう思っているのだろうとサリアは感じた。


「まあ、あまり見かけない光景ではあるが、俺はさほど気にならないな。しかし肝心のクインズヒル王陛下はまだのようだが……」


クリュードが周囲を見回しながら言う。


「申し訳ありません、今、呼びに行っておりますので、先に召し上がっていてください」


フィーネがちらりとグリムドルを見ると、グリムドルは待ってましたとばかりに次々と料理を運び始めた。


「……まだ寝ているのかしら?」


サリアが小声でフィーネに問いかけた。


「どうでしょう……リゼさんとランさんを呼びに行かせたので、直に来るとは思いますが……」


ややディランのことが気になる二人をよそに、食卓には美味しそうな料理が山のように並べられていった。


読んでいただいてありがとうございます。

もしお話が面白い、続きが気になる、などあればリアクションやコメントで教えてください。

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