第10話
「はるばる来てくれたこと、感謝する。クインズヒル王よ」
ディクラムが胸に手を当てる。カノア式の親愛を示す所作だ。
「ああ、全然。お隣ですから、大した距離じゃないですよ」
ディランも同じ仕草を返す。
「そうだな。我らは隣国同士なのに、これまで交流を深めてこなかった。これからは、ぜひ友好を築いていきたいものだ」
「ええ、そうですねぇ」
気さくに笑うディランを、サリアは目を逸らさず観察していた。
――ディラン・クインズヒル。この男が……?
なぜ偽名を使って闘技場に潜り込んでいた?
なぜ、一国の王があれほどの強さを持っている?
なぜ、第三王女である自分にわざわざ接触してきたの……?
疑問は尽きない。
自分が「ライザ・クラウディア」として闘技場に出場していたことも、きっと知ったうえでの接触だ。
しかも圧倒的な力で屈服させた。
そこにどんな意図があったのか――考えれば考えるほど霧は深まる。
その無防備な笑みの裏に何が隠されているのかを読み取れず、サリアは胸の奥に小さな棘を抱えたまま、笑顔を保っていた。
「ああ、それとこちらが――我が娘、第三王女のサリアだ」
ディクラムの紹介に合わせ、サリアが優雅にカーテシーする。
「ようこそおいでくださいました、クインズヒル王陛下」
「君がサリアさん? やあ、初めまして」
――あくまで初対面を装うのね?
笑みを崩さぬディランに、どのような態度で接するべきかサリアは慎重に探った。
「さて、ここで立ち話というわけにもいくまい。続きは城で改めよう」
ディクラムが促す。
「ああ、それはぜひ。……ところで、カノアではいつもこうやって出迎えてもらえるんです?」
ディランが何気なく尋ねる。
「ああ、いや……はるばる来てくれた相手には、時々こうして出迎えることも……ある」
実際には、王が直々に出迎えたことなどない。
だが「近衛兵が暴走し、安否確認のため来た」などとは言えなかった。
「なるほど。気を使ってもらってすいませんねぇ」
「気にするな。……ところで、その荷馬車はそちらのものか?」
王の視線に、荷馬車のそばにいたフィーネがびくりと肩を震わせる。
「ええ、そうなんです。そちらにお返ししようと思って」
ディランは悪意のない笑みを浮かべた。
「……返す?」 ディクラムが首をかしげる。「返してもらうものなど心当たりはないが……」
(オイ! あいつ、ここで死体を渡す気だぞ!?) リゼが小声でささやく。
(うん、あの顔はそう。絶対にそう) ランも同じくささやいた。
「本当はこんな形でお返しするのは心苦しいんですけどねぇ」
ディランは本心でそう言っているが、傍らで聞いているリゼやフィーネは内心穏やかではなかった。
「ふむ? それは一体……」
「お父様、せっかくお届け物だというのですから、拝見させてもらっては?」
「あ、ああ……そうだな」
「フィーネ、荷台の布を取って」
ディランが荷馬車に近づきながら言う。
「ほ、本当にいいのですか……?」
布を握るフィーネの手が震える。
「? うん。どうせ返すんだし、早い方がいいでしょ? 腐っちゃ悪いし」
(いま“腐る”って言ったぞアイツ! バカだろ!?) リゼが再びささやく。
(うん、ディランは頭がおかしい。さすが凶王) ランが答える。
――腐る?
サリアが首をかしげた。
荷馬車の話題になってから侍女たちの様子もおかしい。
何が積まれているのか――。
その時、布が取り払われた。
「ひぃっ……!」
親衛兵の一人が悲鳴をあげる。
「……これは……」 ディクラムが重く呻く。
「ガリアス……」 サリアが小さくつぶやいた。
そこに横たわっていたのは、今朝顔を合わせたばかりの近衛兵隊長ガリアスだった。
首は不自然な方向に曲がり、白目を剥いている。
その下には、見知った近衛兵たちが何段かに積まれていた。
――みんな……死んでる?
サリアの膝から力が抜け、心臓がひやりと縮む。
そして思わずディランを見やった。
だが彼は、死体にも、周囲の反応にも、まるで関心を示していない。
「こちらの国の近衛兵で間違いないです?」
そして、何でもないことのように問いかける。
「あ……ああ……間違いない」
ディクラムが声を詰まらせた。
「いやー急に襲われたもので。僕らも身を守るために仕方なかったんです……本当に申し訳ない」
「ああ……いや……こちらこそ申し訳ない。実は、こやつらが勝手に暴走したのだ。我々王族が命じたわけではないと……分かってほしい」
「まさか。隊長さんも何か勘違いしてたみたいですし。まあ……死んじゃったんですけど。遺体も返すわけですし、正当防衛ってことで」
「……もちろんだ。この件で罪を問うことはない……すまなかった」
ディクラムの声に疲労が滲む。
サリアは横目に死体を観察した。
皆、的確に急所を突かれている。おそらく対峙して数秒も経たずに屠られたのだろう。
――誰に?
……決まっている。
この男に殺されたのだ。凶王、ディラン・クインズヒルに。
クインズヒルの一行は、剣を振るう者には見えない華奢な侍女二人と、小柄なハーフリングの付き人。そしてディラン・クインズヒル本人だけ。
一見、近衛兵を殺せそうな者は誰もいない。
……だがサリアは知っているのだ。この男の恐るべき強さを。
――臨戦態勢の王国最強の近衛兵を、まるで息をするように殺した?
恐怖と同時に、サリアの心の奥で別の感情が芽生える。
危険な者への本能的な畏怖と……否定したいのに、どうしても惹かれてしまう興味。
――この男は、一体何者なの?
「貴殿の厚意に感謝する。この者たちは故郷に埋葬しよう……お返しいただき、礼を言う」
ディクラムが頭を下げる。しかし、その横顔は複雑だった。
近衛兵を殺された失意と、その暴力への恐怖。
現実を直視するのを拒むように、ディクラムはきつく目を閉じた。
「……では荷馬車はこちらで。クインズヒルの皆さまは城へご案内いたしますわ」
サリアは気持ちを切り替えるように声を張った。
しかし胸の奥では、得体の知れない棘がじわりと広がり続けていた。




