3.歪んだ聖性
神に選ばれし聖女。
その称号が、どれほどのものか──アリーシアは身をって知っていた。
神殿に来て数年、彼女はあらゆることを学び、覚え、そして疑い始めていた。
「聖女様は祈り続けることが務めです。感情を表に出してはなりません」
「人々の象徴である以上、品位を損なう振る舞いは禁じられます」
「怒り、嫉妬、哀しみ──俗な感情は、神の愛を穢すのですよ」
神官たちの教えは、常に“理想”だけで構成されていた。
アリーシアは完璧に従った。だが、その心の奥底で、じわじわと黒い疑問が燻り続けていた。
(私の心は、穢れているの?
悲しんじゃいけないの?
泣きたいと思うことすら、間違っているの?)
神に愛されているからこそ、感情を捨てよと強要される矛盾。
それでも彼女は、祈りをやめなかった。唯一、自分を肯定してくれる存在──“神”だけは、彼女を愛していると信じていたからだ。
祈りを捧げるアリーシアの姿は、神々しかった。
彼女が目を閉じ、祈りを捧げるたび、空気が震え、光が集まる。
その身を包む聖力は、純粋で、澄み切っていた。
彼女が生まれつき持つこの力は、神の愛そのもの──のはずだった。
しかしその時、背後から聞こえた小さな声が、集中を断ち切った。
「……またあの子か。うぬぼれてるくせに」
「どこが聖女よ、あんな陰気な子。癒しじゃなくて呪いの光でしょ」
神官見習いの女子二人が、くすくすと笑った。
(ああ、やっぱり)
自分は、ここでも“歓迎されていない”。
「やめて……」
その瞬間、アリーシアの感情が爆ぜた。
心の中で何かが軋み、聖力が暴走する。
──パリンッッ
「水晶が……割れた……!?」
彼女から放たれた光は、癒しではなく──爆風だった。祭壇の上、聖堂の天蓋に大きなひびが入る。
一礼もせずに逃げ出す神官たち。
その顔には明確な恐怖が浮かんでいた。
アリーシアはただ、困惑したように目を伏せた。
彼女は、何もしていない。ただ、祈っただけだった。
その夜、神殿上層部の会議が開かれた。彼女をどうするべきかという議題のもと、重苦しい話し合いが行われた。
「……あれは、神罰ではないのか?」
「いや、あれほどの力……暴走すれば、聖都ごと吹き飛ばすぞ……」
人々の不安が、日々の礼拝の中に入り込んでいく。
いつしか“聖女アリーシア”は、神の寵愛を受けし者ではなく、制御不能の異物として扱われはじめた。
──数日後、正式な布告が下った。
王家が、“聖女アリーシア”を王宮に迎え入れるというものだった。
表向きは「神託によって選ばれし者を、国の象徴として尊び守る」という高尚な文面。
だが神殿内では、静かな安堵が広がっていた。
「これで……我々の手を離れる」
「後は、王家が責任を持つことだ」
アリーシアが“王子の婚約者”として王宮へ迎えられることを知ったのは、その数日後だった。
(ただの駒……)
アリーシアは理解する。
神は、アリーシアを選んだ。
だが、世界は彼女を拒んだままだった。
神に選ばれたというだけで、誰からも祝福されなかった少女。
誰にも求められていないと、彼女はようやく悟った。
──そして、アリーシアの心はその夜、完全に壊れた。