1.婚約破棄
「偽りの聖女、アリーシア!貴様との婚約は破棄する!」
玉座の間に響いた王子の声は、苛立ちと怒気を孕んでいた。麗しい青年、──王子エルネストは、アリーシアを睨みつけながら、堂々と断罪の言葉を吐き捨てた。
「エルネスト様……!」
その腕にすがりついているのは、アリーシアの義妹のベリンダ。
涙に濡れた頬を染め、麗しき王子に身を寄せる。
彼女は怯えたように体を震わせながらも、その唇の端にはわずかに笑みが浮かんでいた。
「……私が、“偽りの聖女”?」
アリーシアは、小さく呟いた。
聖女として神殿に見出されてから、誰よりも神に仕え、誰よりも祈り、誰よりも人生を捧げてきた。
だが、いまこの場では、誰も彼女を信じていない。
「神の名を語り、力を誇示し、聖女になりすましたのだ!」
「神殿も欺いた女だ、神罰を受けて当然!」
群衆の中から、次々に非難の声が飛ぶ。
その多くは、かつてアリーシアの足元に頭を垂れていた者たちだった。
(ああ、なるほど)
アリーシアの心に、奇妙な納得が落ちた。
この場はすでに整えられていたのだ。
ベリンダが庇護欲を煽る仕草を見せ、王子が断罪の台詞を用意し、臣下たちが“偽り”と罵る。
「最初から、私を排除するつもりだったのね」
冷たい視線が王子に向けられる。
だがエルネストは動じなかった。いや、勝利の余韻すら感じていた。
「神の加護を装い、聖女の名を汚した罪は重い。もはや、お前に王家の未来を託すわけにはいかぬ」
そう告げた彼の隣で、ベリンダが涙ながらに囁く。
「お姉様……どうして、こんなことに……私は信じていたのに……」
その声にすら、アリーシアは反応を返さなかった。
(どうして、私はここに立っているのだろう)
(何のために、神に祈ってきたのだろう)
(誰のために、この身を捧げてきたのだろう)
自問は続く。だが、答えはない。
アリーシアは、ただ静かに言った。
「聖女であることを理由に、全てを許せ……そう、神が、仰ったことはありませんから」
その声に、王子もベリンダも、そして臣下たちも一瞬言葉を失う。
にこりと、唇の端を吊り上げる。その笑みは、慈悲深い聖女のものではなかった。
「人としての怒りと、神の愛の間にある歪みを、あなたたちは教えてくれた。ありがとう」
言葉の意味を測りかねた王子が戸惑う間に、アリーシアはくるりと背を向けた。
高らかな声が、広間に響く。女神像の前で、アリーシアの背中は光に包まれるようだった。
「私はもう、すべてを愛しません。国を、民を、そしてこの世界すらも」
その宣言は、まるで断罪だった。
彼女の瞳が、確かに笑っていた。
けれどそれは、慈悲ではない。救いでもない。
底知れぬ──殺意だった。