修羅場
ぎゅうと締め付けられる感覚がしたので俺は目を覚ましてしまった。
(えっ?)
誰かに抱きしめられている感覚である。
見ると、ローラが自分の布団からこちらに遠征してきていて俺の体をギュッと抱きしめている格好である。
(俺を抱き枕か何かと間違えたのかな?)
俺は息を吐こうとしたが、別の気配を感じていた。
(誰だ?)
そのまま顔を動かさずに視線だけ動かしてゆくと人のシルエットが見える。
思わず顔を向けるとそこには能面のように表情の抜け落ちた瑠美の顔があった。
「お、おはよう瑠美。き、今日もいい天気だねえ。」
そう言いながら俺は慌ててローラから抜け出そうとするがローラの締め付けは強烈でうまく抜け出せない。
俺がジタバタもがいたせいかローラが目を覚ました。
「ふわぁ」
ローラは俺から手を離し、あくびをしながら伸びをしている。
「全く、健斗は私が目を離すとすぐに女の子を連れ込むような浮気者だというの?」
瑠美の顔がだんだん般若の形相になってくる。
「いや、あの、これには事情があって…」
「はあ?問答無用じゃないの?何か言い訳でもしたいの?」
瑠美の口調がどんどんとキツくなってゆく。今までこんな瑠美は見たことがない。
「キャアキャア、修羅場修羅場、きゃははは」とサフルが飛び回っているが瑠美は気が付いてすらいないようである。
「ふわわ、旦那様、おはようございます。この女性はどなた?」
ローラが呑気にいう。
その言葉を聞いて瑠美の般若の形相がさらにパワーアップした。
「は?言うに事欠いて健斗のことを旦那様ですって?どういうことよ!」
「私は健斗様の番なのです。」
「は?」
「私と旦那様、えーと健斗様はいわばもう離れられない運命の二人ということなのですよ。」
ローラは平然というが、それは瑠美に爆弾を投げつけているのと同じである。
(ちょっと待て)
俺は二人を制止しようとしたが、瑠美の方が早かった。
「は?あんたが私の健斗と運命の二人ってどういうこと?この泥棒猫め!」
ローラは落ち着いて答えた。
「私は確かに猫獣人ですが泥棒ではありません。」
「は?泥棒猫って猫のことじゃないわよ。あなた何を言っているの?」
瑠美は混乱している。
「あの、瑠美、ローラの頭の上にあるものはわかる?」
「健斗も訳のわからないことを言わないで。耳でしょう?カチューシャなんじゃないの?」
「普通、寝ている時にカチューシャをつけている人はいないと思うんだ。」
その時、ローラの耳が動いた。
「はあ?あれって本物?」
「尻尾もあるわよ。」
ローラが俺のトレーニングウェアのお尻の部分をずり下ろすとそこから長くて優美な尻尾が出てきた。
俺は思わず赤面して顔を覆ってしまった。
瑠美は予想だにしなかったブツを見せられて固まっている。
「瑠美さん、私は猫獣人の王族なのです。王族は自分より強い者に接吻されるとその者に強い絆が生まれて番になるのです。」
「は?それじゃ健斗がこの猫女にキスしたってこと?」
「あ、あの時は不可抗力で。」
「言い訳なんてききたくないって言っているじゃない。キスくらいならこうしてやるわ!」
瑠美は俺の肩を両手で掴むと一気に唇を俺の唇に重ねてきた。勢いよくぶちゅっとキスしてきたので、俺の歯と瑠美の歯がカツンとぶつかったくらいである。
「これでどう。健斗のキスを上書きしてやったわ。」
瑠美が胸を張って言う。
「そんなの無意味ですわ。」
優雅にローラは言うと、今度はローラが俺の肩を掴んでゆっくりと俺の唇にチュッとキスをした。
「私は何度も健斗とキスができることは幸せですけれど。」
もう俺はおもちゃ扱いのようである。そんなにキスされまくると感覚が麻痺してくる。
「朝っぱらから喧嘩するんじゃありません。俺はもう朝ごはんを作ってくるよ。」
そう言って俺はキッチンに避難した。
残された二人はまだ語り合っている。
ローラ王女は獣人の倫理では女性は強い者を好み従うという。なので、自分を負かした健斗が他の女性と関係を持つことに倫理的な問題は感じにくいと言うのである。
「私の母上は女王だったから王配の父上は女王一筋だけれど、他の強い男性は多くの妻を従えているのが普通だと言うのである。
逆に強い女性が多くの男を従えていることもよくあるそうである。
獣人では自分の両親のように固定的な一夫一婦制を維持している方が珍しいのだとローラは言う。彼女は瑠美にローラが正妻であるという前提ならば健斗に側室がたくさんいるということは夫である健斗の強さの象徴になるから好ましいとまで言う訳である。
健斗をローラに取られるかもしれないという恐怖から無我夢中で健斗にキスしてしまった瑠美は健斗がキッチンに出て行ったことで冷静さを取り戻して自分の行動の無謀さを実感しており、なんとかこの場をうまく収めたいと言う気分でいっぱいだった。
そう言う瑠美なのでローラの獣人の倫理に頷いて(健斗を取られるのも嫌。だけれどもここでローラと喧嘩するのも嫌)という問題を解決しようともがいていた訳である。
少しすると、トーストとスクランブルエッグに簡単なサラダという朝食を作った健斗が二人を呼びにきた。
ローラは微笑んでおり、瑠美は打ちのめされた表情である。
俺はさあ食べようと二人をテーブルにつかせた。
ローラは上品に食パンとスクランブルエッグを口に運んだ。
瑠美はボソボソとパンを食べる。
「でもどうして王女様がこんなところまで来てしまったのよ。お城の中なら贅沢三昧じゃないの?」
瑠美が気を取り直したようにローラに聞いている。
ローラは言った。
「お城の中にいると15歳の誕生日に婚約者を決めなければいけないのよ。それは番じゃなくてもいいの。でもそんな婚約ってつまらないじゃない。」
「そうかしら。お城の中で安楽に暮らせるじゃない。それを幸せと思う人もいると思うわ。」
「私はそうではなかった。私の血は戦いを求めていたの。だから健斗と戦って倒された時にわかったの。この人こそ私の求めていた人だって。」
買い被りである。ローラがそこまで俺に英雄の虚像を求めていたとは。
俺はそんな英雄って柄ではない。中学校に入学していじめにあった陰キャであって、学校から逃げ出して田舎道場に逃げ出しただけの男でしかない。
瑠美が言った。
「そうね。健斗は一見優しいだけの男に見えるけれど、いざという時には助けてくれるの。」
よせ、ここに本人がいるんだぞ。こちらが恥ずかしくなるようなことを言うんじゃない。
俺の心の声など聞こえなかったようにローラも「そうです。健斗は強い。英雄の心を持っています。」と言う。
こいつらは俺を悶え死にさせたいのだろうか。
「ところであなたはまだ14歳っていうこと?」
瑠美が違う方向から攻め出した。
「ええ。もうすぐ15歳になります。お母様にはもう番がいるから婚約者は不要だと言って城を出てきたのです。」
ローラはおそらくよくわからずに返事している。
「いえ、あなたは私と同い年よ。つまり中学3年生。学校に行かなきゃならないと思うわ。」
俺は瑠美の暴走を止めようとした。
「瑠美、待て、ローラは獣人だよ。人間の学校に行くことが正しいかどうかわからない。」
「健斗、彼女のことはお父様に相談したいの。」
「いや、騒ぎを大きくしない方がいい。」
瑠美はムッとして言った。
「健斗はローラとここで愛の巣を作りたいのかもしれないけれど、それは不純だわ。うちの父なら色々と伝があるから上手い対処法を考えてくれるはずよ。」
「そうですね。あなたのお父様は健斗の剣術の師匠でもあると聞きました。それなら信用できるのではないでしょうか。」
ローラも賛成した。
俺は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、瑠美は一度家に帰ると言って足取り軽くうちを出て行った。