母子手帳
翌日から瑠美は来なくなった。
代わりに大使館のシェフが来ている。
ローラのつわり対策ということだが当然、他の食事を作ってくれるわけである。
携帯で瑠美に連絡はしてみたが、「ご飯作ってくれる人がいるからもう私はいらないよね。」って取り付く島もない返事だった。その後も何度か連絡はしているけれど既読はついても返事をくれることはない。
一方でローラの体調が心配だからとロドリーゴ大使は大使館の自動車で送り迎えすると言ってきたのである。シェフは朝、運転手さんの運転する自動車でうちに来る。
朝食後はシェフを大使館まで送り返すが、その時に俺たちも同乗していて、そのまま学校まで送ってくれるという手筈になった。
ついでに侍女たちも代わりばんこで一人づつローラについて学校に来る。
運転手さんは人間のおじさんで、シェフは獣人である。犬獣人と言っていた。30歳くらいの男の獣人だが、人間のレシピ収集するのが目標と言っていた。彼によるとやはり大使館の獣人たちは故郷の料理が恋しいらしい。
侍女たちはローラより猫っぽさは強いけれど、塩見町長のパーティをきっかけに獣人の情報が解禁されていることからひそひそ声はあるのだが、大きな騒ぎにはなっていない。
時々、物珍しそうに見に来る上級生たちもいるが、そういう連中には凶悪な目つきで睨んでやると驚いて逃げ出してくれる。
ローラも既に帽子を取っちゃっているので頭の上にピョコンと出ている耳が可愛い。
問題は侍女が俺を寄せ付けないことである。
休み時間などにローラの横に行こうとすると「姫様は大事なお体なのですから。」と言って追い払われることがほとんどである。
昼休みにお弁当を食べるときはさすがに一緒に食べるが、他の時には近づけない。
ローラは「妊娠したらこうなるのが普通なの。だから今は側室の子達とおしゃべりしてきていいよ。」ってちょっと寂しそうに言ってくれる。けれども、そう言われてしまうと、何だかそれをするのは負けた気分である。
とは言え、ローラは今は運動系の授業はすべて見学か欠席だし、授業が終わるとすぐに帰ることが多いので、清子と一緒に過ごす時間が増えていることは間違いない。そのため清子はご機嫌である。清子に聞いてみたら瑠美とは定期的に連絡を取っているみたいで、それほど心配しなくてもいいんじゃない?と軽く返されてしまった。
宮本先生の研究室で俺は火の上級魔法を会得しようとしている。清子も水魔法のレベルアップに取り組んでいるらしい。
横田先輩はサッキュバスの記憶は消えているようである。
これは保健室の早川先生によるとわざと消したままにしているらしい。
早川先生はサッキュバスのオーセさんである。
♢♢♢
そんな感じでのんびりした日々を過ごしていると、高柳生徒会長から「そろそろ全迷連の大会があるから準備しなきゃね。」と言われたのである。
全迷連ー全国迷宮科連合は日本の迷宮科高校の集まりである。
全国に8つの迷宮科高校があり、その集まりが全国迷宮科連合であるらしい。
この迷宮科の生徒を集めて年一回行われるのが全迷連技術競技会である。
大雑把に言えば各迷宮科代表が行う運動会のようなものである。
競技の華は模擬戦である。これは学年別の団体戦と個人戦があるらしい。
一年はローラが出場しないので団体戦は俺と勝太郎と清子で決まっている。
今年はウチが幹事校なので大きな準備は教員に任せてもレセプションなどの準備を生徒たちがやらなければならないらしい。
「渉外担当の海崎君の手腕には期待しているからね。」
高柳先輩は爽やかに笑う。
「マジで?」
俺はつい真顔になってしまった。
すかさず横田先輩が「大丈夫よ。さすがに一年生に任せきりにはしないから。」とフォローしてくれた。
サッキュバスになっていない横田先輩は神である。
ローラも「私は参加できないけれど裏方でできることはやるから健斗も安心して。」と言ってくれる。
ローラはもう生徒会でも帽子は取っているので頭の上でぴょこぴょこしている耳は丸見えである。時々斎藤先輩がローラの耳をボーッとみているので俺と侍女は斎藤先輩がローラの耳を触るという暴挙に出ないかどうかヒヤヒヤしながら見張らざるを得ないのである。
♢♢♢
時々は保健室に行くと早川先生が暇そうにしていることがある。そういう時に話を聞くと、どうやら魔族たちの魔王復活プロジェクトが進行しているらしい。
「ああ、日本ではのほほんとしているけれど、世界では魔族と超大国の同盟ができているらしくてそこがメインでプロジェクトを推進しているから、今から正義感を出して阻止しに行くなんて子供向け番組みたいなことは無理だからね。」と早川先生はいう。
某超大国はもしかすると魔王軍と連合して亜人の国を攻め取りたがっているかもしれないと早川先生はいう。もちろん今の地球上に亜人の国はないので異世界の亜人の国ということである。
「彼らは失ってしまったフロンティアをもう一度見つけたいみたいね。」
「それってローラやルシーダの国のこと?」
「それはありうるでしょうね。だからこそ日本政府も異世界への道は容易に侵略されないように厳重にしているらしいわね。」
「………」
「日本が異世界の国々と国交を結んだという情報はもう公知になったから今度の全迷連の大会にはそれにかこつけてエージェントが送り込まれてくることは間違い無いでしょうね。」
「え、それじゃ俺と勝太郎は勇者として迎え撃たなきゃならないのか。」
俺がそういうと早川先生はちょっとずっこけて「そこは魔王軍なんだから魔王としてって言って欲しかったわね。」と言う。
俺はまだ魔王軍に入るなんて一言も言っていないのだが。
「それと…」
早川先生はちょっと言い淀んだ。
「どうしました?」
「アウタープレーンのことだけれど。」
「何かあったのですか?」
「まだ確証はないのだけれど。もし外世界からの侵略が始まれば大変なことになるでしょうね。今回のことはたまたまかもしれないけれど、調べてみたら最近、似たような事例が増えているみたい。」
「じゃあローラが受けたような事件がまた起こりうると言うこと?」
「そうならなければいいのだけれど。もしそうなったらのんびりと『新しいフロンティア』なんて言っている余裕は無くなるでしょう。」
「そんな事は起こってほしくないです。」
「まだ可能性の段階だから取り越し苦労をする必要はないのだけれど。」
「何か引っかかることでもあるのですか?」
「ちょっと神々が騒いでいるのよね。」
「えっこの世界って神々が存在するのですか?」
俺はちょっと驚いた。
「当たり前じゃない。当然この地に神々は存在するわ。けれども信仰が薄くなっているから『神託ポイント』が減っちゃって神々とはコミュニケーションが取りづらくなってきているのも事実だわ。」
「ソ、ソウデスネ。」
この世界に神々がいようがいまいがとりあえずタンマである。そんなのに関わっている余裕などないのだ。まずはローラのこと、そして亜人の国を守ることが優先である。
俺たちは早川先生にまた何か変わったことがあったら教えてくださいと言って保健室を出た。
俺は一度自宅に帰ると例の大使館の自動車に来てもらって町役場へと向かった。
もちろんローラのために母子手帳を貰いに行くためである。
役場の保健課に行くと割とあっさりと母子手帳を貰えた。
表紙にはかわいいイラストが印刷されていた。
「これならローラも気に入りそう。」
俺はそんなことを考えながら家に戻ってきたのである。
ローラにそれを見せると果たして母子手帳を気に入ってくれた。
「次に病院に行く時には持って行こうね。」
ローラはニコニコして母子手帳を大事にしまい込んだのである。




