秘密
夜遅く帰ってきたローラと清子はサッキュバス姿の横田先輩を見てさすがに驚いていた。
「健斗、こんな魔族を捕まえてどうすんのよ。」
「ああ、杉山さんに連絡したら明日来ると言っていた。」
「あら?魔族のこと知っていたの?」
眠っていたかと思っていた横田先輩はパッと目を開いた。
清子はいらない情報を出してしまったかと体をこわばらせた。
俺は気にするなというように清子を優しく抱きしめた後、横田先輩に向き直った。
「そりゃ知っていますよ。」
「へえ、どこで知ったの?」
「ダンジョンリークスだよ。」
「へえ、そんなのあるんだ。」
「単に世界中の噂をまとめたものだけれどね。ところで、ご両親とは養子縁組されたの?」
「私はどうしてここに来たのかはわからないのよ。物心ついた時には児童養護施設にいたの。職員の人が言うには産院の前に置かれていたんだって。」
「じゃあ本当の両親のことは。」
「手掛かりすらないって言われたわ。でも横田夫妻に特別養子縁組で親になってもらって私は幸せだった。」
「でもそれならなぜサッキュバスに?このまま幸せな人生を送れるはずじゃない。」
「それは……」
横田先輩は横を向いて会話を拒否していた。
「もしかして魔王軍?」
はっと横田先輩が体をこわばらせるのがわかった。
「何よ、あなた知ってたの?」
「ま、まあな。」
「魔王軍って魔族と人間の連合軍だっていうものね。」
「もしかして魔王軍にスカウトされたの?」
「あ、ええ。これ言っちゃっていいのかな。あの、姉が来たの。」
「横田先輩って寮でしたよね。」
「ええ。実家は千葉だよ。」
「その姉っていう人は寮の部屋に?」
「そうね。急に夜中に現れたの。」
「それでなんて言ったの?」
「誰か一人でもサッキュバスとして陥落させれば魔王軍に入れてあげるって。だから健斗、私はあなたを陥落させたかったの。」
「あ、そ、そうなんだ。」
「あなたとなら私も一生添い遂げたいじゃない。」
その時、後ろからローラが来て「健斗は私の番なの。あなたのものじゃないのよ。」と言って俺に抱きついてきた。
うう、尋問が続行できない。
「そうなのでしょうね。私が全力で誘惑をかけたけれども彼には効果がなかったもの。」
横田先輩はちょっと寂しそうに言った。
思わず俺が「あの、横田先輩」と言いかけるとローラは遮った。
「健斗が優しいのはわかるけれど、サッキュバスはダメ。側室にはふさわしくありません。」
「そうか、やっぱり?」
「健斗君は優しい子よね。サッキュバスの私にも裏切られているのにまだ優しい。」
横田先輩の口調も以前のように優しいものだった。
「魔王軍は魔族と人間との混成軍だけれど、それと戦うのは勇者だわ。勇者は獣人やエルフ、ドワーフといった亜人を率いるの。あなたは勇者の優しさを持っているのかもね。」
ゆっくりと瞼を閉じたサッキュバスの横田先輩の頬には一筋の涙の跡があった。
「さあ今日は私と子作りしましょう。」
「待て、ローラ。今夜は横田先輩を取り返しに別の魔族がくるかもしれないのだからそんな余裕ないって。」
「ぶう。」
「ローラ、キスしてあげるから機嫌を直して。」
俺はローラの額にキスしてあげた。
ローラはこっちにも、って唇にもせがんでくるので唇にもキスをする。
「健斗、やっぱり一緒に寝よ。」
ローラは俺にくっついてきた。
「ローラ、ダメですよ。」
そこで俺とローラを引き剥がしたのは清子である。
「ローラはもう旦那様にキスしてもらったんだから大人しく引き下がりなさい。今日は旦那様と私が不寝番をやりますから。」
「えっ?ぐぬぬ。」
ローラが口ごもった。
瑠美がおずおずと清子にいう。
「あの、清子お姉様、私も不寝番に参加したいですわ。」
「まあ、瑠美ちゃん。大歓迎よ。一緒に見張りましょう。」
清子がローラには入れない鉄壁の空間を作ってしまったのでローラはしょぼくれて退散しようとする。
「ローラ、お休み。今日は大変だったよね。」
俺が声をかけるとローラがうええんという表情で俺のところに来て「旦那様お休みなさい。今日は不寝番を頑張ってくださいね。」と言ってニコと微笑んで部屋を出ていった。
残った清子と瑠美は俺の両側に座ったが、もう俺を空気のように無視して瑠美と清子が語り合っていた。
瑠美はお菓子を持ってきてもう気分は女子会なのであろう。延々と喋っていた。
多分、師匠の道場を継がなければいけないということが負担なのかもしれない。
それに、そろそろ夏休みも終わり、志望校を決定したはいいけれど、実技に対する不安はあるようだ。
「まあ俺も何の準備もしていかなかったけれど、勝太郎と相打ちで合格したぜ。」
俺は安心させるように言ったが、瑠美にはさほど効果がなかったようである。
「全中(全国中学生武道選手権)の優勝者と相打ちだったらそりゃ合格しますよね。」
瑠美はズーンと打ちひしがれた顔をしている。
「瑠美、お前、破魔の術はすごいじゃないか。あれなら実技パスで行けるんじゃないか?」
「お父様が道場の娘が実技なしって許されないだろうっていうんです。」
師匠めいらんことを。
「じ、じゃあダンジョンで鍛えるのはどう?」
清子が苦し紛れに言い出した。
「えっ?ダンジョンに連れていってくれるのですか?」
瑠美がぱあっと顔を明るくした。
俺が慌てて口を挟む。
「瑠美、ダンジョンに入るには探索者ギルドに所属しなくてはいけない。その基準は15歳以上だ。で、中学生の場合、保証人が必要だけれど、師匠、あ、いや、君の父上の承諾が必要だよ。」
「私、今月には15歳になるわ。父には保証人について相談してみます。」
あ、そうだった。瑠美の誕生日はもうすぐだった。
「あら、それじゃ誕生パーティしなくちゃね。誕生日プレゼントもいるわね。」
清子はいきなり話を変えてきた。
「健斗様も誕生日プレゼントを買うのですよ。」
「は、はい。」
俺は慌てて相槌を打った。
「健斗から誕生日プレゼントをもらう……」
瑠美のほっぺはポポポって赤くなっている。
「うん、かわいいわ、瑠美ちゃん。」
清子は瑠美の頭をなでなでしている。
そのまま瑠美はスヤスヤと眠ってしまった。
時計を見たら、もう真夜中を過ぎて時刻は2時近くである。
「旦那様の横にいられるのは久しぶりですわ。」
そう言いながら清子は俺の体にピタリとくっついてくる。
清子とは取り留めもない話をしていたが、3時を回る頃には清子もスヤスヤと夢の中である。
はあ、あとは俺一人で朝までか。師匠たちはいつ来てくれるのだろう。
俺はそう思いながら伸びをして長期戦に備えた。
もう9月だけれど、さすがに4時を回ると辺りが薄ぼんやりと明るくなってきた。
横田先輩は相変わらず眠っているし、清子と瑠美もクークー眠っている。
俺は簡単に体をほぐして座り直した。もう一息である。
その時、廊下からミシッという音が聞こえた。
俺は軽く剣に手を添えて待機する。探知でも邪悪なものは見つかっていない。
襖がそっと開く。
現れたのはローラだった。
「あのね、おはよう健斗。一人で寝ていたら寂しかったの。」
ローラはそう言って俺のすぐ横に座った。
「私は眠ったから代わりに番をするわ。健斗は私の膝で寝ていて構わないから。」
そうして俺の頭をローラの膝に誘った。そんなことをされればすぐに眠気が襲ってくる。
どう見ても俺の頭をかき抱く事に全力のローラに重要なことは横田先輩の監視だぞと言いたかった俺だったが、心地よさに何も言えずに意識を手放してしまったのである。
♢♢♢
「フン、カエラスティンのやつ、あっさりバレて本性をばらされてドジにも程があるわ。」
横田佳枝、すなわちカエラスティンを監視していたサッキュバスのオーセレーヌは吐き捨てるように独り言を言った。
「おや、でも健斗様はカエを切り捨てる様子ではないわね。もう少し様子見でいいかしら。」
健斗を魔王軍に入れたいオーセは妹のカエに健斗を誘惑させたのである。けれどもカエの誘惑はあっさりと跳ね返されて作戦は失敗に終わった。けれども健斗のカエに対する親愛の情は切れていなかったのである。
オーセはカエに念話で伝えた。
「カエ、あなたは健斗のそばにいて魔族に対する好感度を上げるのです。魔王軍への勧誘は急がなくても構いません。」
まだ魔王の復活は始まってすらいない。
焦る必要はないのである。健斗の番だと吠えている猫獣人は要らないが、あの人間の女二人は魔王軍に入れば健斗の良い補佐役になるだろう。
オーセは仄暗い笑みを浮かべた。「健斗、あなたはもう魔王軍のものよ。」




