入学式
明けて入学式の朝である。
相変わらずローラは俺を抱き枕のようにして抱きついて眠っている。ローラが寝ぼけている時にはキスまで迫ってくるので結構心臓に悪いことがある。いや、俺が寝ている時にキスされていても気がついていないだけかも知れないけれど。
朝にはすでに瑠美が来ていた。
「健斗、早く起きなきゃ学校に間に合わないよ。」
俺はローラを起こしてダイニングに向かった。
キッチンにはすでに瑠美が朝食を用意してくれていた。
瑠美は進級なので始業式はまだ数日先であるらしい。
俺たちは一緒に朝食を食べたのである。
朝食後はローラの着替えを瑠美に手伝ってもらった。
俺が新しい制服に着替え終わって身支度をして出てくると、ローラも着替え終わって部屋から出てきた。
「ふふん、どう?完璧でしょう。」
瑠美は自慢げである。
確かにパッと見ただけでは銀髪で白い肌なので日本人離れしているのではあるが、どこか外国の女の子という程度には仕上がっていた。
「今日は入学式とクラス分けのホームルームだけだから多分大丈夫だろう。」
俺は少し不安げなローラにそう言って微笑みかけた。
「はいはい、そんなところでイチャイチャしていないでさっさと行きなさいよ。」
瑠美は俺たちを追い出そうとする。
「べ、別にイチャイチャしているわけじゃないんだからね。」
俺はそういうとローラとガレージに向かった。
ガレージには自転車がある。俺たちは駅まで自転車で通うことにしていた。
ローラは結構運動神経やバランス感覚に優れていたので少し練習しただけで自転車に乗れるようになっている。
俺たちは自転車に跨って駅までの道を疾走していった。
駅に着いて自転車を自転車置き場に預けて駅に入った。
駅は閑散としていて、何人かのおばあちゃんが待合室に座っているくらいである。
俺たちは待合室を通り抜けてホームに向かった。
この辺りはローカル線なので朝の通勤通学ラッシュにはそれでも本数はあるのだけれど、それ以外の時間帯は1時間に一本がいいところである。
俺と同じような制服を着た男が数人いたけれど、この街からは他に迷宮科に進む人はいないと聞いているのでおそらくは普通科の生徒なのだろうと思う。
少し待っていると列車がホームに近づいてきた。
列車が警笛を鳴らした時、俺の左腕をギュッと掴まれる感触を感じた。
見るとローラが怯えた顔をして俺の腕をぎゅうぎゅう掴んでいる。
しまった。鉄道ってこの子にとって初めての経験じゃないか。先に予行演習しておくべきだった。
俺は彼女の背中を優しく撫でてあげて、「大丈夫だよ、心配ないよ。」と繰り返し小声で伝えた。
もう他の生徒は列車に乗り込んだようである。
「どうしよう。次の列車でも間に合うだろうか。」
俺は硬直したローラの背中をさすりながら列車が出発していくのを見送った。
列車が出てゆくと、俺たちはホームのベンチに腰掛けることにした。
ローラは「ごめんなさい。」と謝っている。
「大丈夫さ。次の列車が来るまでは20分くらいあるからゆっくり止まっていよう。」
俺は安心させるように言った。
「キスして欲しい。」
ローラは俺に小声で頼んでくる。
しかし待合室にるばあさんどもはもちろん俺たちの姿を鵜の目鷹の目で観察していることだろう。キスなんてやった暁には夜までに噂は町中に広まってしまうことは間違いない。
俺がそのことを小声で説明すると、ローラはクスッと笑ったようだった。
「それじゃあほっぺをくっつけるだけで許してあげる。」
多分それでも噂になるだろうけれど、ええい、ままよ。
腹を括った俺は背中にニヨニヨとした生暖かい視線を感じながらローラのほっぺに俺のほっぺたをくっつけたのであった。
その甲斐あってか、ローラは次の列車には無事に乗車することができたのである。
♢♢♢
無事に高校に到着したのだが、時間はもうギリギリである。パンを咥えた女の子にぶつかってしまうかもという妄想を抱きそうなくらい急いで校門をくぐった。
おそらくは教師であろう。スーツを着た男性が「入学式がもう直ぐ始まりますから早く席に着いて!」と生徒たちを急かしている。
俺たちも急いで会場の体育館に向かった。
体育館で一体どこに座ればいいのかとキョロキョロと見回していると見間違えようもない白い服を着た男がいる。あそこか。
俺は体育館の奥の一角を目指して歩いて行った。ローラはやはり不安なのかしっかりと俺の左腕にしがみつきながら歩いている。
普段の俺ならば赤面して座り込んでしまいそうだが、流石にそんなことを言っている場合ではない。とにかく目立つ勝太郎の方に向かってゆくと、彼も俺に気がついたようで手を振ってくれた。と買った。彼のそばにはまだ空席があった。
「よう烏天狗」と勝太郎が言ったので俺は面食らった。
「は?烏天狗?」
「そうだよ。あの入学試験で試合った時にお前のあだ名は烏天狗になったんだ。」
「は、ははは。どうもすごいあだ名をつけてくれてありがとう。」
「ところでお目の横にいるその美人さんは誰なの?」
「あ、そうだ、ローラ、こいつは入学試験の時に試合した男で勝太郎というんだ。」
そして勝太郎に向かって「彼女はローラというんだ。留学に来てな。よろしく頼むよ。」と言った。
ローラはカーテシーっていうんだっけ、スカートの裾をつまんで完璧な淑女の礼をしたのである。
さすがの勝太郎も面食らったのであろう。ちょっと震える声で「お、俺は布留那一刀流の嫡男、布留那勝太郎です。よ、よろしくお願いします。」と答えた。
その時。入学生諸君は着席して!という声がかかったので、俺たちはおとなしく席に座って入学式の進行を見てゆくこととなった。
新入生代表挨拶は首席が行う。今年の総代は女子だったようだ。彼女が朗々と新入生挨拶を読み上げていると、横から勝太郎が「あいつは俺の幼馴染で北畠清子という無想神念陰流のお嬢様だ。強いぞ。」と言ってくる。
「そうなんだ。」と俺は返したが、勝太郎はずいぶん眠たそうになっていた。
サフルは既に校長先生の長話で浮かびながら船を漕いでいる。
ローラも俺の腕に捕まりながらほわあとしていた。
時々、男子からも女子からも殺気を帯びた視線が向けられる。
入学式からイチャイチャすんなという羨みにも似た感情がぶつけられているということだろう。
でも仕方ないではないか。ローラはここまでくるだけでも大冒険のようなものである。彼女を守ってやるのは俺の仕事ということだろう。
やっと入学式が終わると教室に向かうことになった。
普通科の連中はよくある無機的な鉄筋の校舎だったが、俺たちの教室はまるで明治時代に建てられたのではないかというような瀟洒な煉瓦造りの建物だった。そばには学生寮もあって勝太郎や北畠清子などは学生寮を利用しているらしい。
「俺は自宅生だから。」と勝太郎にいうと、「いつでも招待してやるよ。」と鷹揚な返事をもらった。
クラス分けを見ると、A組からE組までの5クラスで、俺もローラも勝太郎もA組だった。
「俺のような優秀者は当然のことだな。」と勝太郎は胸を張った。
クラスに入ると俺たち3人はとりあえず後ろの席に座った。
すると、前の方に座っていた首席の北畠さんがツカツカとこちらにやってきた。勝太郎が「よう、清子」と挨拶しても無視である。
彼女は俺の方に来ると「あなた、入学式から女を引き摺り込んでイチャイチャしているなんて舐めているの?」と鋭く抉ってきた。
やばい。これは風紀委員だ。
「いや、ローラは日本に来たばかりで不安なんだよ。」
俺がそういうと北畠さんは「はあ?そんな言い訳なんて聞けないわよ。あとで必ず問題にするからね。」と冷たくいう。
勝太郎は「清子は潔癖だからなあ。」とニヤニヤしながらいう。
「勝太郎も同罪だからね。」と清子に冷たく言われた勝太郎は「許して下さいお代官様あ」と哀れっぽくいうが清子は視線すら合わせなかった。
次の瞬間、清子は目にも止まらぬ速さで木刀の小太刀を抜いてサフルに切り付けようとした。
俺は今日は得物を持ってきていない。腕で受けたら骨折するだろうと思いながら手首を出したが、それより早くローラがナイフを繰り出して清子の小太刀を受け流した。
サフルは何も気づかないように眠っている。
カンと弾かれて地面に落ちた自分の小太刀を見て清子は固まっていた。
「お、お前、学校にナイフを持ってきていたのか。」と俺も驚愕したが、ローラは「サフルを叩こうなんて悪い子よ。ね、健斗。」なんて平然と言っているのである。
勝太郎が清子の肩を叩き、「そろそろ先公が来るから席に戻ったほうがいいぞ。」というと、ややあって清子は「そうね」と言って自分の小太刀を拾うとふらふらと席に戻って行ったのである。




