古典落語「竹の水仙」
古典落語「竹の水仙」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約35分
必要演者数:最低3名
(0:0:3)
(2:1:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
左甚五郎:京都にて左官を朝廷から頂戴した当代一の大工・彫刻師。
1600年の20~30年前後に活躍した人物。
日光東照宮の眠り猫を彫るなど多くの逸話があるが、
歌舞伎や講談など、それらの逸話が独り歩きし、複数の人物像
が重なって左甚五郎という人物が生まれたのではないかという
説もある。
この噺の他にも「三井の大黒」、「ねずみ」、「叩き蟹」にも
登場する。
大黒屋金兵衛:旅籠・大黒屋の亭主。
自他ともに認める欲の深そうな名前だが、本人はそこまで
欲が深くない。
甚五郎に金が無いと知るや、罵ったりなどの態度を取るが
、左甚五郎と知るや手の平くるりんぱ。
わりと憎めない人物。
おかみ:金兵衛の妻。
こちらも左甚五郎と知るや手の平クルックルワイパー。
綿貫権十郎:細川越中守の家来。
竹の水仙の価値や作者の事を知らなかったばかりに、
あやうく主人の越中守から切腹、お家断絶を命じられかけて
しまう。
細川越中守:この頃の肥後熊本細川家は、三代目当主の細川綱利であった
と思われる。石高はおよそ五十五万五千石。
赤穂浪士事件の際、大石内蔵助らの身柄お預かりをした事で
も知られる。
藤兵衛:江戸は表駿河町三井八郎衛門のところの番頭で、甚五郎の元へ大黒
様を彫ってほしいとの依頼を持ち込む。
女中:神奈川宿の呼び込み女中。
ご隠居様ご一行…言うまでもなく例のあのお方たちですな。
じーんせーい、らーくーあーりゃ(rya
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
甚五郎・綿貫:
亭主・藤兵衛・越中守:
おかみ・女中・語り・枕:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:世の中には名前を残した方というのは数多くいらっしゃいますが、
何か発見、発明をして名前を残した方、あるいはこの善行を積んで
名前を残した方、あるいは自分で建てた寄席を自分で潰して名前を
…これはちょっと残し方が違いますけども、大工さんのほうで、
それも彫り物で名前を残した方にご案内の通り、甚五郎利勝という
人物がいらっしゃいまして、飛騨山添の住人だったそうでございます
。十三の時に弟子入り、二十才の折には師匠が目を見張るばかりの
上達を遂げておりました。
もう教える事は何もない、京の玉園の元へ行って修行に励むがよいと
添状を渡されます。
京の伏見に住んで日々働いていたところ、朝廷の御所から何か珍しい
ものを拵えろとご下命を受ける。
甚五郎も腕試しというので、竹で水仙をこしらえて献上した。
これが認められて目通りの上、大層お褒めの言葉をいただきました。
この時に左官を授けられ、左甚五郎と名乗ることとなったそうです。
彼の名は瞬く間に日本全国津々浦々にパーっと広がりました。
しかしもともと変わった人ですから、そういう事を鼻にもかけず、
相変わらず伏見でぶらぶらしていたところ、ある日、一人の男が
やって参りまして。
藤兵衛:ごめんくださいまし、ごめんくださいまし!
甚五郎:はぁい?なんだい?
藤兵衛:ちょっとおうかがいを致しますが、左甚五郎先生のお宅はこちら
でございましょうか?
甚五郎:ああ、甚五郎のうちはここだよ。
藤兵衛:恐れ入りますが、甚五郎先生にお目にかかりたいのですが。
甚五郎:お目にかかりたい?
もうお目にかかってるよ。
藤兵衛:あ、あなた様が有名な左甚五郎先生で?
甚五郎:そうだよ。
何か不審な事があるのかい?
藤兵衛:いえ、そうではございませんで、大変失礼をいたしました。
実は手前、江戸は表駿河町三井八郎衛門のところの番頭で、
藤兵衛と申す者でございます。
このたび、主がさるお方から運慶先生のこしらえました、
恵比寿を一体手にいれました。
しかしどうも恵比寿だけでは具合が悪い。
それで、このたび左官を許されました甚五郎先生に、
大黒様を彫っていただきたいのでございます。
運慶先生の恵比寿、甚五郎先生の大黒と一対にいたしまして、
商売繁盛の神として残したいのでございます。
この旨ぜひともお願い致したく、うかがった次第でございます。
甚五郎:運慶先生のこしらえた、恵比寿を手に入れた…?
お前さん、そこにもってきてるのかい?
藤兵衛:はい、ここにございます。
甚五郎:ちょいと、こっちへ見せてもらうよ。
【二拍】
藤兵衛:どうぞ。
甚五郎:これかい?
はあぁぁ…さすがに運慶先生だけの事はある。
いい出来だなぁ…お顔がいい。
福々しいお顔をしていらっしゃる。
…よし、わかった。大黒様を彫ろうじゃないか。
藤兵衛:お引き受け下さいますか!
ありがとう存じます!
それで、失礼ではございますが、お代はいかほどで…?
甚五郎:ああ、百両だな。
藤兵衛:えっ、あの、大黒様一体で百両でございますか?
甚五郎:高いと思ったらよしたがいいよ。
私のほうから彫らせてくれと頼んだわけじゃない。
お前さんのほうから彫ってくれと頼んできたんだからな。
しかしお前さんに一つ聞くが、三井は百両の金で土台がぐらつく
のかい?
藤兵衛:いえいえ、とんでもない話でございまして。
それではなにぶん、よろしくお願いいたします。
して、手付けはいかほど置きましたらよろしゅうございましょう
?
甚五郎:そうだな、三十両もらっておこうか。
藤兵衛:承知いたしました。
…ここに三十両ございますのでどうか、お納めのほどを。
百両のうちから手付けに三十両、残りの七十両はできあがりまし
たら、お届けにあがりますので。
それで、いつごろできますでございましょう?
甚五郎:それはわからないな。
藤兵衛:では手前、できますまでこの地に逗留いたしまして、
できあがりましたら江戸に持って帰りたいと思います。
甚五郎:そりゃあ無理だ。
一年先になるか、五年先になるか…。
だいいち、この京でできるか江戸でできるか、
奥州でできるかどこでできるかわからない。
できた時にはこっちからそっちへ知らしてやるから、
お前さんのほうからそこまで取りにおいで。
もしできなかった時にはこの三十両、
香典だと思って諦めてくれ。
藤兵衛:これは恐れ入りました。
それではなにぶん、よろしくお願いをいたします。
甚五郎:ああ、道中気を付けてな。
…京の町も見飽きてしまってたとこだ。
いま繁盛を極めている、江戸の見物にでも行って来ようか。
語り:三十両の金が手に入りました甚五郎先生、
玉園へこの事を相談しますと、「何事も修行の為だ。のんびりと
と行ってこい」と許しが出ました。
さっそく身支度を整えておいおい江戸にまで下って参りましたが、
もともと呑気な人であるためまっすぐ江戸には入らず、
あっちに見物してふらーっ、こっちで遊んでぶらーっ、とやってい
るうちに、あと一歩で江戸という神奈川の宿にかかりました時には
、嚢中無一文素寒貧。
着ている着物も垢じみて汚れ放題、猫の百尋みたいな帯を締めて、
擦り切れた草鞋を引っかけているという有様。
昔の宿場というものは暮れ方になりますと、道の両側に
宿の客引き女中という者が立ち並びます。
赤い前垂れを掛けて顔へ真っ白に白粉を塗りまして、
お神楽のお面のような顔をして盛んにお客を呼び込むわけです。
甚五郎:はあ、だぁれも俺に声をかけねえのな…。
女中:もし、そちらのお客様、お泊まりではございませんか?
甚五郎:お。俺の事かい?
女中:いいえ、うしろのご隠居のご一行様で。
甚五郎:…嚢中一文無しなのが透けて見えてんのかねえ…?
早く声かけてくれねえと、宿を出ちまうぞ…。
また野宿になっちまうのかね…呼んでくれたらそこへ潜り込んじ
まうんだが…はえぇとこ呼んでくれねえかなぁ…。
大黒屋:もし、そちらのお客様!
お泊まりではございませんか!?
甚五郎:!俺の事かい?
大黒屋:へえ、さようでございます。
甚五郎:【手を一回叩いて】
しめた!
大黒屋:?なんでございます?
甚五郎:ぁいやいや、よく呼んでくれたよ。
そちらの宿に厄介になろう。
大黒屋:こらぁどうも、ありがとう存じます!
どうぞこちらへ!
おぉい、お客さまだよ!
おすすぎのお支度をして!
ようこそおいでをいただきまして。
え~手前が当宿の主、大黒屋金兵衛と申します。
甚五郎:大黒屋金兵衛…欲の深い名前だね。
大黒屋:その代わりと言っては何ですが、手前どもは奉公人をいっさい
置きませんで。家内と二人、親切を旨としてやっております。
甚五郎:そうかい、私はね、そういううちが大好きだ。
事によるとね、当分ここに厄介になるよ。
大黒屋:ありがとう存じます。
ごゆっくりお過ごしくださまし。
甚五郎:私は酒が好きでね、飲ましておくれ。
大黒屋:えぇどうぞ、お召し上がりくださいまし。
甚五郎:ちなみに、一日三升だよ。
大黒屋:えっ、三升?
甚五郎:朝に一升、昼に一升、夜に一升、私はね、一日三升の酒を飲まな
いと、二日酔いになるんだ。
大黒屋:そうですか、いや、たんと召し上がってください。
甚五郎:ここは神奈川だ。
美味い魚はいくらでもあるだろう。
亭主に任せるから、美味い魚を食べさしてくれ。
大黒屋:承知いたしました。
甚五郎:それからね、茶代だの紙代だの、いちいち出すのは面倒だ。
まとめてでいいだろう?
大黒屋:ええどうぞ、お気づかいなく。
手前どもの宿では、何十日お泊まり下さいましても、
お発ちになります時に、まとめて頂戴をさしていただいておりま
すので。
甚五郎:そうかい、それを聞いて安心したよ。
あぁそれからね、怒っちゃいけないよ、いいかい?
お前さん達を決して疑るわけじゃない。
実はね【腹をポンと叩いて】この懐のものだ。
大黒屋:へえ、大層ふくらんでますな。
甚五郎:重くてしょうがない。
大黒屋:さようでございましょうな。
甚五郎:帳場へ預けなくてはいけないんだが、私は自分の物は自分の身に
つけてないと心が落ち着かないんだ。
これはひとつ、勘弁してくれ。
大黒屋:それもお客様のご自由でございます。
ただ、十分お気を付けになってくださいまし。
甚五郎:それからね、色んなことを言ってすまないが、
静かなとこの好きな人間だ。静かな部屋に入れてくれるかい?
大黒屋:【ポンと膝を叩いて】
ちょうど良い部屋がございます。
二階のこの一番端に、上段の間というのがございますので。
甚五郎:冗談の間?
ふざけながら入るんだな?
大黒屋:え、何です?
甚五郎:冗談の間。
大黒屋:こらどうも、恐れ入りました。
どうぞ、ごゆっくり。
語り:なんてんでさぁ甚五郎先生、朝一升、昼一升、夜一升と
三升の酒を毎日毎日呑んで、部屋でゴロゴロゴロゴロしております
。
日数が経つにつれまして、台所を預かっているおかみさん、これが
黙っちゃいないわけでして。
大黒屋:今日も今日とて、よくまあこう毎日毎日酒を呑むもんだね…。
おかみ:ちょいとちょいと、ちょいとお前さん!
大黒屋:な、なんだよ。
急に大声出すんじゃないよ。
おかみ:なんだい、あの二階の客は!
大黒屋:二階の客てな、どの客だ?
おかみ:なに言ってんだいこの人は。
うちには今、一人しか泊ってないじゃないか!
毎日毎日、酒を呑んで部屋でゴロゴロゴロゴロして…!
大黒屋:いいじゃねえか。
客が宿屋の二階で酒呑んでゴロゴロしてる事の、
それのどこが悪いんだよ。
これが醤油飲んでゴロゴロしてるんだったら気味が悪いけどな。
おかみ:なに言ってんだい、本当にもう…!
酒の支払いが滞ってんだよ!?
食べる魚だってそうだよ!贅沢なことばっかり言ってさ!
鯛やヒラメやタコやイカって、竜宮城みたいなこと言ってんだよ
!
お前さんの前だけどね、あの人はそんな贅沢なこと言えるような
身分じゃないと思うよ。
着ている着物をごらんよ、着ている着物を。
ありゃ正宗だよ!
大黒屋:なんだい、着物が正宗ってのは。
おかみ:触ると斬れるよあれは。
ああいう着物は正宗ってんだよ!
それに泊まってから一文の宿賃も入れないでさ!
台所の物はみんな切れちまったんだよ!
米は切れるし麦は切れるし砂糖は切れるし塩は切れるし味噌は
切れるし醤油は切れるし薪は切れるし
炭は切れるしさ!
切れないのは包丁と二人の腐れ縁だよ!
大黒屋:よく喋るねお前は…。
おかみ:どうもこうもないよ!
半分だけでもいいから、宿賃もらっといでよ!
大黒屋:それがダメなんだよ。
おかみ:どうしてさ。
大黒屋:あの人が泊まる時に、
「何十日お泊まり下さいましても、お発ちになる時にまとめて
頂戴します」って言ってるからな。
おかみ:言ったかもしれないけどさ、探りを入れてみるんだよ!
大黒屋:なんだいその、探りを入れてみるってのは。
おかみ:「毎日ゴロゴロしていたんではお退屈でございましょう。
いかがでございます。金沢八景でもご見物なさいませんか?
いま時分ですと、兜島がたいそう綺麗に見える頃でございます。
なんでしたら、こちらでご案内申しあげてもよろしゅう
ございますから」ってさ。
行かないってったら…危ないんだからね。
それか、
「実はこのごろ神奈川宿で決まったことでございますが、
どんなお馴染みのお客様でも、五日に一ぺんずつはお勘定をいた
だくようになりましたから」
ってさ!
背に腹は代えられないんだから、
そう言ってもらっといでよ!
大黒屋:だから、お前が言ってくればいいだろ。
おかみ:お前さんが行きなよ!
大黒屋:お前が行けよ。
おかみ:お前さんが行きな!
大黒屋:だからお前が行けって。
おかみ:お前が行けよ!
…あたしの目をごらん。
本気の目だよこれは。
優しく言ってるうちにーー
大黒屋:【↑の語尾に喰い気味に】
~~行くよ!行けばいいんだろ!
…おっかねえかかあだなぁ…家に嫁いできた時はもっと可愛かっ
たのになぁ…!
人の顔を見りゃギャアギャアギャアギャア言いやがってよう…!
昔の無口は無い口で、今の口は六つの口ってなもんだよ。
よく喋るよほんとに…。
きっと名前が悪ぃんだ、富士子ってんだからな…。
あいつがグダグダグダグダ言うから、「富士子る」って言葉が
生まれたんじゃねえのか…冗談じゃねえよ本当に…。
ごめんくださいまし、ごめんくださいまし!
甚五郎:おぉ、ご亭主か。
まぁまぁこっちお入りよ。
汚い部屋だが私の家だから、ここは。
大黒屋:【大きな声で言いかけて】
いや私の家だよ。
っゴホン。
甚五郎:それにしてもここはいいね。
私は綺麗な宿ってのはどうも性に合わないんだが、その点、
ご亭主のとこはいいね、汚い。
それもただ汚いんじゃなくて小汚い。小汚いというのはいいね。
わざとらしくない、自然に、何気なくそれとなく汚いってのは
いいよ。国破れて山河在りなんて事いうけど、あの障子をごらん
。障子破れて桟ばかり、結構だねえ。
大黒屋:ははは…恐れ入ります…。
【声を落として】
言いたい放題だなおい…。
甚五郎:あと私はあまり人に世話を焼かれるのが好きじゃないんだ。
この宿はその点、ほっときゃほっときっぱなしだ。
結構なもんだよ。布団の上げ下ろしくらい自分でやるからね。
大黒屋:時に、毎日そうやってお部屋でゴロゴロゴロゴロなすっていては
、退屈でございましょう?
甚五郎:いや?退屈しないな。
この窓から下を見てると面白いな。
女は通るし男は通るし、犬と猫は追っかけっこするし、退屈しな
いよ、面白いね。
大黒屋:っいかがでございましょう?
金沢八景でもご見物なすっては?
いま時分ですと、兜島がたいそう綺麗に見える頃でございますが
。
甚五郎:あー、絵で見てるからいい。
大黒屋:ぇ、絵で!?
甚五郎:絵の方が腹が減らないし、くたびれないな。
大黒屋:【つぶやくように】
…危ねえな、どうも…。
っじ、実はですな、近ごろ決まった事でございますが、
当神奈川宿では、どんなお馴染みのお客様でも、
五日に一ぺんずつはお勘定をーー
甚五郎:【↑の語尾に喰い気味に】
くれるのかい?
大黒屋:いやそうじゃございませんで!
その、頂戴をする事になったんでございますが。
甚五郎:勘定か。
そろそろそれを言ってくるころだと思った。
だいぶさっきから下のほうで、キーキーキーキー黄色い声が
聞こえてきたからな。
で、いくらになったんだい?
大黒屋:ありがとう存じます。
書き付けをこちらへ持って参りましたんで。
ただ今までのお勘定が、しめて二両三分三朱でございますが。
甚五郎:二両三分三朱…間違いないかい?
大黒屋:ええ、間違いじゃございませんで。
甚五郎:安いね…安すぎるよ。
あれだけ呑んで食って二両三分三朱ってのは安いよ。
こんな安い宿は初めてだ。
大黒屋:ありがとう存じます。
お客様本位で、ぐっと勉強させていただいておりますので。
甚五郎:しかし、二両三分三朱というのは半端だ。
どうだ、そこへ私が一朱足して、三両にしてご亭主に渡そう。
それでいいだろ?
大黒屋:これはどうも、ありがとう存じます!
甚五郎:ん、ご苦労様。
大黒屋:え…いやあの、お勘定が二両三分三朱でございますんで。
甚五郎:だからさ、そこへ私が一朱足して、三両にしてご亭主に渡そう。
大黒屋:ありがとう存じます。
甚五郎:それでいいだろ?
大黒屋:はい、結構でございます。
甚五郎:ん、ご苦労様。
大黒屋:…ぇッ…、お金が出ませんな?
甚五郎:金かい?
大黒屋:ええ。
甚五郎:金は、ない。
大黒屋:ははは……無いィィィ!!?
てことはあんた何かい、一文無しかい!?
空っケツかい!?
甚五郎:なんだいその空っケツてのは。
無いんだよ。
大黒屋:無いんだよって、落ち着いてんなおい!?
甚五郎:何を言ってるんだい。
落ち着いてなんかいないよ。
人前でもって男が金がないなんてことを打ち明ける、これほど
恥ずかしい事は無いんだ。私はいま、恥をしのんで打ち明けて
いるんだよ?
大黒屋:じょ、冗談言っちゃいけねえ!
今年であんたを入れて二十人目だよ、一文無しを泊めたの!
どういうわけか客引きすると金を持ってない奴だけ引っかかるん
だ。おかげでかかぁが大分へそ曲げちまってんだ!
あんた、商売は何だい商売は?
甚五郎:商売か。
番匠だ。
大黒屋:なんだいその番匠ってのは?
甚五郎:江戸で言う大工だな。
大黒屋:大工!ぁそう、だったらなんだな、
宿賃の代わりにどっか痛んでるとことか、
直してもらおうじゃないか。
そうだ、試しにこの辺に、ちょいと棚を吊ってくれよ。
甚五郎:やめた方がいい。
俺の吊った棚は、物を乗せると落ちるぞ。
大黒屋:やな大工だねおい。
甚五郎:そうガタガタ言わなくてもいい。
裏にだいぶ立派な竹藪があるな?
大黒屋:おう、ありゃうちの自慢の竹藪だよ。
春先になるってェと、良い筍がピコピコ飛び出すんだ。
甚五郎:すまないが、よく切れるのこぎりを一丁持ってきてくれ。
大黒屋:どうすんだよ?
甚五郎:のこぎりを持って、一緒に竹藪の中に来てくれ。
そこで宿賃を払う算段をする。
大黒屋:のこぎり持って竹藪って…俺をバラバラにするつもりだな!?
甚五郎:バカな事を言うな。
ご亭主に宿賃も払わないで怪我をさせようなんて、
そんな下らねえ事は考えてないから、早く持って来な。
大黒屋:ぅわかったよ!!
【二拍】
おっかぁ、おめえは目が高い。
アレは一文無しだった。
おかみ:そうだったろ?
どうも目つきの悪い嫌な奴だと思ったよ。
本当にお前さんは、ろくな客を引っ張り込まないね!?
どうすんのさ!
大黒屋:俺もどうすんだって聞いたよ。
そしたらよく切れるのこぎり一丁を持ってこいってんだよ。
おかみ:のこぎりなんかどうすんのさ。
大黒屋:のこぎり持って、裏の竹藪の中へ一緒に来い。
竹藪の中で宿賃を払う算段をする。
おかみ:のこぎり持って、裏の竹藪へお前さんが、一緒に?
…どうも二、三日前から影が薄いと思ったんだよ。
お前さん、バラバラにーー
大黒屋:【↑の語尾に喰い気味】
おぉい待て待て、変なこと言うなよ、ったく…。
【二拍】
おい、一文無し!
甚五郎:いちいちそう一文無しと言うなよ。
のこぎりは持ってきたかい?
大黒屋:持ってきたよ。
甚五郎:よし、じゃあ裏の竹藪へ行こうか。
【二拍】
おぉ、良い竹が揃ってるな。
大黒屋:さっきも言った通り、自慢の竹藪だからな。
これはみんな孟宗竹ってやつだ。
甚五郎:ちょいと待っててくれ。
うむ、決めた。
この竹とこの竹を二本、長さを三尺くらいに揃えて切っておくれ
。
大黒屋:自分で切りゃいいだろ自分で!
甚五郎:私が算段をするんだから、ご亭主が切ってくれ。
人間、体を動かさないと鈍るぞ。
大黒屋:おめえにそんな事言われるとは思わなかったよ。
【ぶつぶつこぼす】
ッ…ッ…なんでッ、俺がッ…ッ…ッ…こんな事ッ…ッ…ッ…。
甚五郎:切れたか?
ちょいと待っててくれ。
ああ、これがいいな。
ここに細めの竹がある。これも長さを揃えて切っておくれ。
大黒屋:それもかよ!
ッ…ほんとにッ…とんでもッ、ねえなッ…ッ…ッ…!
ほら、切れたぞ!
甚五郎:切れたかい?
じゃあそれを部屋まで運んでくれ。
大黒屋:いやせめて自分で運べよ!
甚五郎:だから、私は算段をする、そういうのはご亭主の役回りだ。
大黒屋:まったく…何が役回りだよ。
とんだ厄が回って来たようなもんだよ!
甚五郎:そう言わずに。
じゃ、そこへ置いてくれ。
ご亭主、宿賃を払う算段が付いたら呼ぶから、それまでは決して
中をのぞいてはいかんよ。
もしのぞいたら、私は支払いの算段しないからね。
大黒屋:~~のぞかないよ!
俺にはそういう趣味はねえんだから、早いとこ算段しとくれよ!
語り:ご亭主、ピタリと障子を閉めて下へ降りていく。
じっとそれを眺めていた甚五郎先生、おもむろに懐から取りいだし
ましたるは、最初の晩にご亭主が金と勘違いした皮包み。
開けると中から出て来ましたのは、飛騨の国を発つ時に師匠から
譲られた、命よりも大事な大のみ小のみ。
目の前に置かれた竹を手に取り、
心魂を込めて、コツコツカリカリコツコツカリカリ何かやり始めま
した。
その間食事も水も酒も摂らず、やがて夜も更けて真夜中近く、
終わったのか甚五郎先生、声高に呼び立てます。
甚五郎:【以下リズム良く】
【手を二回叩く】
ご亭主!
【手を二回叩く】
これよ!
【手を二回叩く】
ご亭主!
【手を二回叩く】
文無し捜しの名人!
大黒屋:うるせえ!変なあだ名に変な節付けんな!
文無しのくせに威張ってやがる…!
人がせっかく寝かかったってのに大きな声で呼びやがって。
まったく、変な客を引っ張り込んじまったなぁ…。
なんだ一文無し!
甚五郎:いちいち一文無しと言うなよ。
算段が付いたから、こっちへお入り。
汚い部屋だがーー
大黒屋:そっちこそ汚ねえ汚ねえって言ってるじゃねえか!
…なんだよ。
甚五郎:できたよ。
大黒屋:何が?
甚五郎:宿賃の算段だよ。
ほら、これだ。
大黒屋:?…なんだいそりゃ?
甚五郎:なんだいそりゃって、見て分からないかい?
大黒屋:竹っぺらの先に何だか丸いもんがぶる下がってるね。
竹の団子かい?
甚五郎:竹の団子という奴があるか。
竹の水仙の花のつぼみだ。
大黒屋:はあ?竹でできた水仙?しかもつぼみ?
どうせなら花が咲いてるとこ作りゃあいいじゃねえか。
つまらねえ物をこしらえて…どうするんだよそんな物。
甚五郎:同じくここに、竹でこしらえた花立てがある。
この花立ての中に水を一杯に汲んで、この水仙を差したらな、
宿の表の一番目につくところに掛けておくんだ。
そして紙に売り物と書いて貼っておくんだ。
明日になれば必ず買い手がつく。買い手がついたら宿賃を払う。
大黒屋:買い手がつい”たら”?
「たら」なんてのは、あまりあてにならねえな。
鍋にするとうめえけど。
甚五郎:それと言っておくが、
くれぐれも花立ての中の水を切らさないようにな。
取り返しのつかない事になるから。
大黒屋:ぁ~わかったわかったよ、本当に…。
夜遅いんだから、それこっちに貸しなよ。
…やれやれ、まぁ騙されたと思ってやってみるか…。
語り:何のかんのと言っていましても、そこはやはり人の良いご亭主。
花立ての中に水を一杯に満たしますと竹の水仙を差し、
表へ出ますと目立つところの釘に引っ掛けました。
さらに言われた通り、紙に「売り物」と書いて貼り付けると、
あくびをしながら布団へ潜り込みました。
宿屋稼業の朝は早いもので、暗いうちから大戸を開けます。
大黒屋:ふああぁ~…。
ああ、そういえばあの竹細工は…。
…お?これ漏ってるんじゃねえのか?
ずいぶん水が少なくなってるぞ。
漏るような花立てをこしらえるなんざ、ロクな腕じゃねえな。
ああ、水切らすなって言ってたな…。
語り:減った水を足してやり、掃除を済ませますと亭主はまた奥へ引っ込
みます。
この時、何かの事情でもって朝早くにこの神奈川宿に入って参りま
したのが、肥後熊本、五十五万五千石の大大名細川越中守様のお行列
でございます。
越中守の御駕籠が大黒屋の前に差し掛かりましたその時、お天道様
がパーッと差して来ました。
それがちょうど表に掛けられていた竹の水仙にあたりますと、
どういう仕掛けがしてあったのか、パチっと小さな音を立てて、
つぼみだった水仙が花開いたのであります。
同時にあたり一面、何とも言えない良い香りが漂い出します。
越中守:なんじゃ、このえも言われぬ良い香りは…。
む、あれか……!?よもや、あれは…!
これ、駕籠を止めよ!
【じっと竹の水仙を凝視して】
~~………間違いない、あれはまさしく…!
これ権十郎、綿貫権十郎はおらぬか!?
綿貫:はっ、権十郎これに控えおりまする。
お呼びでございましょうや?
越中守:うむ。
予はあれに掛かっておる竹の水仙、たいそう気に入った。
よって所望したいゆえ求めて参れ。
予はこのまま本陣まで進む。
よいな。
綿貫:かしこまって候。
【二拍】
うちの殿様も物好きな御方だ。見るもの見るものみんな欲しがる。
あんなゴミのような細工物、非番の日にそれがしがこしらえて
さしあげるものを。
金子を出してまで求める事もあるまいに…。
まぁ致し方ない、これも役目じゃ。
しかし汚い、見すぼらしい宿だな。
あーこれこれ。
この宿の主はおらぬか?
大黒屋:!これはお武家様、いらっしゃいまし!
綿貫:おお、その方が主か。
大黒屋:はい、手前が当宿の主、大黒屋金兵衛にございます。
綿貫:…欲の深い名前だな。
大黒屋:よく言われます。
何か御用でございましょうか?
綿貫:それがし、細川越中守様の側用人、綿貫権十郎という者である。
大黒屋:はぁ、変わったお名前ですな。
おたぬき様とおっしゃられますか。
綿貫:誰がおたぬきだ。
綿貫だ。
大黒屋:これはご無礼いたしました。
それで、どのようなご用で?
綿貫:うむ、今しがた我が殿が御駕籠でご通行になられた折、
あれに掛かっている竹の水仙をたいそうお気に召された。
よって所望したいのだが、値はいかほどであるか?
大黒屋:え、何でございます?
綿貫:聞いておらんかったのか?
我が殿があれなる竹の水仙をたいそう気に入られた。
所望したいが、値はいかほどだ?
大黒屋:あたいですか…うちはあたいはございません。
夜中に蕎麦屋が引っ張ってくるのが屋台でございます。
綿貫:なにを申しておる。
その方よもや異国の者ではあるまい!
値段はいくらだと聞いておるのだ!
大黒屋:なぁんだ値段ですか…値段なら値段と、そうおっしゃってくださ
いまし。
あたいだあたいだっておっしゃられるから分かんない……。
【はたと思い当たる顔をしている】
綿貫:?いかがいたした?
大黒屋:ぁいやいや、あれをこしらえたのが二階におりますので、
急いで聞いて参ります。
恐れ入りますが、しばらくこれにてお待ちを。
おぉいおっかあ、お武家様にお茶を差し上げておくれ!
【二階へ駆けあがっている】
はっ、はっ、はっ…おい一文無し!
空っケツ!
甚五郎:また始まったな。
どうしたんだい。
大黒屋:喜べ、買い手がついたぞ!
甚五郎:ほう、買い手がついたかい。
相手はどんな奴だ?
大黒屋:どんな奴だなんて、そういう事を言うと口が曲がるぞ。
聞いて驚くな、肥後熊本の細川越中守様だぞ!
甚五郎:おぉ、越中が来たか。
大黒屋:んなっ、ふんどしみたいな言い方するな!
けどお前さん、珍しい腕を持ってるじゃないか。
今朝早く見た時はまだつぼみのままだったけど、今さっき見たら
こう、花みたいに開いてるじゃないか。
まああんなものは売ったってせいぜい五文か十文だが、相手は
大大名だ。どうだい、思い切って一朱くらいの事を言ってみるか
い?
甚五郎:バカな事を言いなさんな。
この宿の勘定が二両三分三朱だろ。それを一朱で売ってどうする
んだい。
大黒屋:じゃあ、いくらで売るって言うんだ?
甚五郎:そうだな、他の大名であれば今少し欲しいだが、越中守様ならば
二百両もらっておこう。
そう言ってくるといい。
大黒屋:ちょちょ待て待て、そんな大それた額…自分で言ってこいよ!
その侍ってのがな、おたぬきて名前なんだがまるでツキノワグマ
みてえな顔してんだよ。こんな髭がブワッと生えて目がギロッと
してておっかねえんだ。
そんな顔にうっかり言ってみろ、たかだか竹でこしらえた水仙を
二百両とは足元を見るにもほどがある!
って長い奴をぎらり引っこ抜いてスパッと首でも斬られてみろ、
明日から表歩くのに方向がつかなくなっちまうんだ。
甚五郎:むやみやたらに刀は抜くものではない。
せいぜい殴られるくらいだ。
大黒屋:それだって嫌だよ!
なんだってお前の代わりに殴られなけりゃならないんだ?
甚五郎:ご亭主の前だが、この世に人と生まれて何が苦しいと言って、
金儲けをするくらい苦しいことは無いんだ。
行って苦しんでくるといい。
大黒屋:お前が行けよ!
甚五郎:ご亭主が行くんだよ。
大黒屋:いやお前が行けよ!
甚五郎:ご亭主が行くんだ。
大黒屋:だからーー
甚五郎:【↑の語尾に喰い気味に】
私の目を見るんだ。
優しく言ってるうちに行きなさい!
大黒屋:ぅわ、わかったよ…!
~~なんだよ、うちにはおっかねえ奴らそろってんな…!
本当に言うのかよ…。
まったく、こっちの身にもなれ…!
大変、長らくお待たせをいたしましてーー。
綿貫:な、なんだ、どこぞの司会者みたいに出てきたな?
して、いかほどであると申しておった?
大黒屋:えぇ、あの、それなんでございますがね、
これは手前の申す事ではございませんで、あの、二階にいる
一文無しの空っケツが申す事なんで、苦情があれば直にそちらに
ーー
綿貫:いいから早う申せ。
大黒屋:奴の申しますには、他の大名であれば今少し欲しい
ところであるが、んんっ、越中ならばーー
綿貫:なにィ!?
大黒屋:ぁいやいや!私めではなく、二階の奴がそう申しましたので!
うんと怒っておきましたから!
そんなふんどしみたいな言い方をするなって!
綿貫:いやお主の方が失礼だな!?
~~で、いくらだと申した?
大黒屋:ですから、あの二階の奴が申しますには、
ほか、他の大名であれば今少し欲しいとこであるが、ごほん、
越中守様であればぁぁ…二百両【←ここは
崩して言う。何と言っているか聞き取れない感じで】
綿貫:…大丈夫かお主?
はっきり申さぬか。いくらじゃと申した?
大黒屋:っで、ですから、他の大名であればーー
綿貫:そこは分かった、いくらじゃと申した?
大黒屋:で、ですから、越中守さまであれば、【指を二本立てている】
これだと申しておりました。
綿貫:ほう、指を二本立てたな。
他の大名ならばともかく、越中守様ならばこれじゃと申した
か。
うむ、二十文であるか。
大黒屋:【声を落として】
桁が違うよ…!
話がまるで合わねえな…
っに、二百両だと申しておりました。
綿貫:な、なに二百両!?
たかだか竹でこしらえた水仙を二百両とは、
足元を見おって!
武士を愚弄するにもほどがある!
このッたわけ者ッッ!【殴る・SEあれば】
大黒屋:ッづうッッ!!
綿貫:まったく…たわけておるわ、ふんっ…!
大黒屋:あたた……
ほら言わんこっちゃねえ。だから殴られるって言ったんだ。
殴ったって買ってくんならいいけど、買わねえで真っ赤になって
怒って帰っちまったよ…。
おいっ一文無しの空っケツッ!
甚五郎:まだ言ってるよ。
どうした、殴られたか?
大黒屋:当たり前じゃねえか、あんなのに二百両なんて言ったら、
殴られるに決まってるだろ!
どうするんだよ。
甚五郎:怒るな怒るな。
しばらく表で立っているといい。
そうしてれば、いまご亭主を殴った侍が必ず青くなって戻ってき
て、
「主、最前は手荒な事をしてすまなかった。どうかあの竹の水仙
をそれがしに譲ってもらいたい」
と、両手をついて頭を下げるから。
大黒屋:ほんとかよおい…。
どうもおめえの話は夢で屁を吹っ掛けているようであてにならね
えけど、じゃ、立っててみるよ。
語り:いっぽうその頃、物を知らないおたぬき…ではない、綿貫権十郎は
カッカカッカカッカカッカしながら細川越中守の休息している
本陣まで戻って参りました。
綿貫:まったく…あんなものが二百両とは、それがしを侮るにも程がある
…けしからん!
だがこれも役目、復命せねばなるまい。
殿、綿貫権十郎、ただいま立ち戻りましてございます!
越中守:おお権十郎か、待ちかねておったぞ。
求めて参ったか?
綿貫:それが、あまりと申せばあまりに高価でございまして…。
買わずに戻って参りました。
越中守:なに、高いと申すか。
いかほどじゃ?
綿貫:は、それにござりまするが…
これは、それがしの申す事ではございませぬ。
あの宿の主が申しましたことゆえ、苦情があれば直にお願い申し上
げまする。
宿の主が申すには、他の大名であれば今少し欲しい所であるが、
越中ならばぁぃいやいやいや、越中守様であれば、
【二本指を立てている】
これぐらいではないかと、無礼な事を申しておりました。
越中守:なに、他の大名であれば今少し欲しい所であるが、予であれば
これじゃと申したか。
指を二本立てたという事は…そうか、二万両か。
綿貫:えっ、に、にまん…ぃいやいや殿、ちと桁が多うござります。
二万両ではなく、二百両じゃと、そう申しておりました。
越中守:なに、二百両?
権十郎、そのほう、それが高いと申して求めて来なんだと申すか。
たわけめ、物を知らぬにも程があるぞ。
あれを作りし者を誰じゃと思うておるか。
綿貫:はい、あの宿の二階にいる一文無しの空っケツだとーー
越中守:【↑の語尾にやや喰い気味に】
たわけた事を申すな。
よいか、あの竹細工はな、このたび左官を許された名人、
甚五郎利勝の手になるものぞ!
綿貫:えッ、ひッ、左甚五郎!!?
越中守:どんなに金を積まれても、気が乗らねば仕事に及ばぬ名人の
細工物。
あれと同じものは京の大内山にひとつ、
そしてさきの旅籠と合わせてもこの世に二つしかないという逸品じゃ。
それをたかだか二百両が高いと買わずに参るとは、
このたわけめッッ!!
すぐに取って返して求めて参れッ!
首尾よく手に入らばそれで良し、もし万が一売り切れでもして
おった折には綿貫権十郎、その分には捨て置かぬぞ!
役目不行届きのかどにより家は断絶、その身は切腹を申しつくる
ぞ!!
綿貫:えっ、そ、そんなッ!?
越中守:ぐずぐずするでない、早う行って参れッ!
綿貫:はっははぁーッ直ちにィッッ!
語り:ところ変わってこちらは旅籠の大黒屋。
言われた通り、さっきからぼーっと与太郎みたいな顔をして
つっ立っているご亭主。
大黒屋:あの文無し、あんなこと言ってたけど、本当に戻って来るのかね
……って、お、おぉ?
あっちから走ってくるのは…さっきの侍だ。
ほんとに来たよおい。
な、なんだありゃ、片っぽが下駄履いてて、片っぽが草履つっか
けてるじゃねえか。
文無しの言う通りになったぞ…あの野郎、さっき人のこと
殴りやがって、ようし、どうするか見てろ。
語り:ご亭主、仇を取るのはこの時とばかりに、表に掛けていた竹の水仙を
いそいそと店の中に隠し、代わりに炭黒々と「売り切れ」と書いた
札を掛けた。なかなか意地の悪い事であります。
そこへ息も絶え絶えにやってきた綿貫権十郎。
綿貫:【ドンドン戸を叩く・SEあれば】
主ッ!主はおるかッ、主ッ!!
大黒屋:へい、どちら様でーーああ、これはどうもこだぬき様。
綿貫:誰が子だぬきじゃーーぃいや子だぬきでも良い。
主、最前は手荒な事をして済まなんだ!
どうかあの竹の水仙、それがしに二百両で譲ってもらいたい!
大黒屋:ああ、あれですか、いや、残念でございます。
先ほど手前をひっぱたいた後、どこかへ行ってしまわれたでしょう。
いや、まだ物はあるんですけど、入れ替わりに来た方に売る約束
付いてしまいましてね。
ですので完売でございます。ええ、売り切れでございます。
またどうぞ。
綿貫:っ…それはならぬ、それはならぬぞ…この通りじゃ。
先ほどはそれがしが悪かった。物を見る目が無かった。
金は即金で払う。ここに二百両、それからこれはそれがしからの
詫び料膏薬代込みで百両を足して三百両、どうかあの竹の水仙を
売ってくれんか。
これこの通り、なんとかそれがしに譲ってもらいたい。
売ってくれ、売ってくれぇぇぇ…!【泣きだす】
大黒屋:な、泣いちゃったよ…。
…あの、一つうかがいたいのでございますが、
どういうわけであの竹の水仙に、そんな高いお金を出してお求め
になられますので?
綿貫:主…そのほう知らぬのか?
物を知らぬにも程があるぞ。
あれを作りし方を誰と心得る。
このたび左官を許された名人、左甚五郎利勝先生の作であるぞ。
大黒屋:へッ?名人甚五郎先生ったら有名じゃありませんか。存じてますよ。
二階のアレは違いますよ。何をおっしゃいますかアレはね、
あの二階にいる、一文無しの空っケ…空っケツ、空っケツ…様が
…?
甚五郎先生ィィィ!?
綿貫:そうじゃ、失礼があってはならんぞ。
大黒屋:【半泣き】
もう手遅れだよぉぉ…
いろんなことぱーぱーぱーぱー言っちゃいましたよォ…。
綿貫:そういうわけだ。
竹の水仙をこちらへ…。
あぁ良かった、これでそれがしの首もつながった…!
これはな、細川家末代までの家宝になるであろうぞ。
では主、左甚五郎先生によろしゅうお伝え下されよ。
御免!
語り:三百両払って意気揚々、綿貫権十郎は竹の水仙を抱えて本陣へ
引きあげていきました。
かたやご亭主、目の前に置かれた大金眺め、しばし呆然とするも
すぐ我に返って女房を呼び立てます。
大黒屋:おっかぁ!おっかぁ!
おかみ:なんだいお前さん、そんなに大声出して。
大黒屋:おめえっ、あの、二階の人っ、ありゃただの人じゃねえ!
おかみ:なに言ってんだい、タダだよあれは。
一文も払わないんだから。
大黒屋:とんでもねえ!
二階にいる一文…一文もお持ちでないお方は、
いま有名な名人、左甚五郎先生だったんだよ!
おかみ:えぇぇあの人が!?
そうだろぉ、あたしも最初見た時、どことなく品があるなぁって
、特に目つきが上品だと思ったよ。
大黒屋:嘘つけこの野郎、よくしれっとそういうこと言えるな…。
と、とにかく謝らなきゃならねえ。
おめえも一緒に来な。
ごめんくださいまし、ごめんくださいまし!
失礼をいたします、ちょっとこちらを開けさせていただいて
よろしゅうございましょうか?
甚五郎:おぉご亭主かい。
なんだいあらたまって。
さっきまでみたいに黙ってガラッと開けなよ。
おかみさんも一緒とは珍しいね。こっちへお入り。
大黒屋:汚い部屋でございますが、通さしていただきますんで…!
失礼いたします。
左甚五郎先生とはつゆ知らず数々のご無礼の段、
平に、平にお許しくださいませ…!!
甚五郎:あぁバレちゃったか。いや、勘弁してくれ。
あの侍から聞いたのかい。
いや、お二人をからかうつもりじゃなかったんだ。
先生とかなんとか、堅苦しいのは嫌でね。
さっきまでに空っケツと呼んでおくれ。
大黒屋:よくこの口が曲がりませんことで…。
しかしながら、先生のような御方がこの汚い旅籠に
お泊りになりまして、そのような粗末な身なりでは
誰がどう見ても左甚五郎とは思いもよりません。
本当でございますよ。
先生が甚五郎でございましたら、こないだうちの前に来ました
乞食坊主、ありゃ事によると弘法大師かもしれません。
甚五郎:ははは、そんな事もないとも言えないねえ。
大黒屋:それから竹の水仙でございますが、三百両で売れましたの
で、どうぞお納めのほどを…。
甚五郎:はて、三百両?
私が言ったのは二百両だが。
大黒屋:なんでも、さっき殴った詫び料膏薬代込みだとかで…。
甚五郎:はははそうか、あの侍もよほど慌てたと見えるな。
百両はご亭主の才覚による儲けだから、取っておきなさい。
大黒屋:いえいえとんでもない!
甚五郎:いやいや、いいから取っておきなさい。
考えてみれば私が卸屋、ご亭主が小売屋、百両はご亭主の儲けだ
。あとは私がもらっておくから。
ちょいと待っておくれ。
ここに五十両ある。
これを宿賃、そして今まで掛けた迷惑料として取っておいてくれ
。
大黒屋:っいぃえいえいえ、とんでもないことでございます!
甚五郎:いいから、取っておきなさい。
余ったら、おかみさんに着物の一枚でも買ってやるといい。
政宗でないやつをね。
大黒屋:!!
【声を落として】
ばかっ、だからああいう事はべらべらべらべら大きい声で
言うもんじゃねえんだ!
おかみ:えっ、あっ、その…どうも…ごめんくださいまし…。
甚五郎:はっはは…。
あえて憎まれ口を叩かせてもらうが、宿屋稼業をしていれば
どんな客が泊まるかしれない。
身なりで決して、人の良し悪しを決めてはならないよ。
困った人があったら、私の顔を思い出して泊めてやっておくれ。
おかみ:は、はいっ、恐れ入ります…!
大黒屋:時に甚五郎先生にお願いがございます…!
甚五郎:なんだね?
大黒屋:いかがでございましょう。神奈川じゅうの竹を買い占めますので
、竹の水仙の花束をこしらえていただく事は
できませんでしょうか?
甚五郎:バカな事を言っちゃいけない。
ご亭主の前だが、私は二度とあれは作らぬつもりだ。
大黒屋:それはまた、何故でございます?
甚五郎:考えてもごらんよ。
竹に花を咲かせれば寿命が縮む。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
桂歌丸
春風亭一之輔
※用語解説
自分で建てた寄席を自分で潰して:その昔、昭和の時代に若竹という寄席
を私財を投げうち、借金までして総額
六億以上をかけて建てた落語家がおら
れたそうな。しかし立地が悪くわずか数年で閉
鎖。その方は、自身が出演する国民的
演芸番組の司会者を務める傍ら、地方
をまわって稼いでわずか6、7年で
借金を完済したそうな。
大黒屋金兵衛:この噺の大黒屋はみすぼらしい旅籠の主だが、
実際の大黒屋金兵衛は吉原の大見世、大黒屋の金瓶大黒が
有名。まあ、同姓同名なんでしょう、多分、おそらく、
もしくは、きっと、めいびー。
左官:語源は宮中の営繕を行う職人に、土木部門を司る木工寮の属
(四等官の主典)として出入りを許したというものが巷間に広く
知られているが諸説ある。
飛騨山添:かつて岐阜県本巣郡に存在した村で、合併で本巣村(1960
年に本巣町に町制施行)になった後、2004年(平成16年)
2月1日に真正町、根尾村、糸貫町と合併し本巣市となってい
る。今の岐阜県は当時の飛騨国(現在の岐阜県北部)全域も
含まれるのでちょいとややこしいとこもある。
表駿河町:現住所は中央区日本橋室町。 町名の由来は江戸城の向こうに
駿河の富士山を望むことができた事から。
ここからの富士山の眺めは江戸一と言われていた。
三井八郎右衛門:のちの三井財閥、その礎を作り上げた三井の総領家であ
る北家の当主が代々襲名していた名前。
そりゃ運慶先生の作品の一つや二つや三つや五つ、
持ってても不思議はない。
運慶:生年不詳~貞応2年12月11日(1224年1月3日)
平安時代末期~鎌倉時代初期にかけて活動した仏師で慶派に属する
。
恵比寿様:ご存じ七福神の一柱。商売繁盛や漁業の神様として知られてい
る。
大黒様:同じく七福神の一柱。五穀豊穣、商売繁盛、財福、開運などのご利益がある
とされている。
逗留:旅先である期間とどまること。滞在。
奥州:かつての陸奥国の別称であり、現在の福島県、宮城、岩手、青森県
、そして秋田県の一部を指す地域を指す。東北地方全体を指すこともある。
素寒貧:非常に貧乏で何も無いことや、その人を指す。
猫の百尋みたいな帯:猫のはらわたのこと。よれよれにくたびれた帯の
事を指して言う。
一升:酒一升は1.8リットル。米1升は10合で約1.5kg(炊飯前)を指す。
もち米も同様。
茶代:宿泊料とは別に帳場(宿主)へ客が与える金銭の事。
ちなみに心づけは部屋の女中や荷物係の下男などに与える金銭を
指す。
欧米のチップと違う点は、日本ではそれらを渡す際は紙、もしくは
祝儀袋やポチ袋などに包んで渡すのが礼儀とされる事である。
正宗:正宗は当時の名刀である。
着物の生地が弱っているから触れられると着物が切れてしまう、
を「さわると切れる」の洒落に掛けている。
金沢八景:日本の武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦荘村と金沢村
(現・神奈川県横浜市金沢区)にかつて見られた優れた風景。
そこから「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価の一つ
。 現在では金沢八景駅周辺を指す通称地名になっている。
兜島:同名の島は日本各地に存在するが、この場合の兜島は品川の
「目黒川」の河口に積もった土砂によってできた州の「洲崎」を
指す。
大内山:京都市右京区にある仁和寺の北側の山で、山号としても知られて
いる。宇多天皇が仁和寺内に離宮を設けたことから、皇居や御所
を指す言葉として転用されている。
肥後:肥後国の事で現在の熊本県一帯を指す。西海道に属し、国府と
国分寺は現在の熊本市にあった。
7世紀後半に肥前国と分割されている。
細川越中守:細川家は室町末期、戦国時代から続く名家で、
有名なのに細川藤孝(幽斎)、細川忠興父子がある。
側用人:江戸時代に幕府や諸藩で置かれた役職で、主に将軍や藩主の側に
付き添い、相談役や取り次ぎ役を務めた人物を指す。
越中ふんどし:長さ約100cm、幅約30cmの布を筒状に縫い、
そこに紐を通した下着のこと。別名クラシックパンツや
サムライパンツとも呼ばれる。
医療用の下着であるT字帯も越中ふんどしの一種。?
六尺ふんどしに比べて着心地が良く、脱ぎ着がしやすいと
いう特徴があり、一部の裸祭りでは六尺ふんどしに代わっ
て越中ふんどしが使われる場合もある。
旅籠:日本で昔からある旅人向けの宿泊施設を指す。現代では「旅館」や
「ホテル」と呼ぶものが一般的だが、「旅篭」は歴史的な文脈で
使われる言葉。また、旅籠の食事や旅籠の宿泊代などを指す場合も
ある。
二十文:一文=現在の価値で約32.5円。
なのでだいたい640円くらいであろうか。
二両三分三朱:一両=現在の価値で約7万5000円~8万円
(金の含有量や製造年代によって左右される事も)
一分は約二万円、一朱は初期の価格だと約6,250円、
中期~後期にかけては1,875~3,125円、
幕末は187~250円と時代によって大きく変動する。
この噺は細川越中守(三代目)が出てくるので、
約238750円なーりー。
二万両ともなると、約16億円。
与太郎:落語などで間抜けな言動で失敗を繰り返すキャラクターを指す。
例「与太郎のような馬鹿なことをするな。」
また、でたらめな話、嘘、冗談を「与太郎話」「与太話」と
表現することも。
弘法大師:真言宗の開祖、空海が没後に贈られた諡号。
空海という名前は、彼が修行後に名乗るようになった名前。
膏薬:油・蝋で薬を練り合わせた外用剤。
皮膚に塗ったり、紙片または布片に塗ったものを患部に貼るなどし
て用いる。軟膏と硬膏があり、ふつう硬膏の事を指す。
竹に花を咲かせれば寿命が縮む:竹の寿命は種類にもよるが、数十年~
百数十年と言われる。
竹は寿命を迎えると稲に似た花を咲かせ
て枯れる。
つまり竹に花を咲かせる=寿命が尽きる
ということに引っ掛けたサゲである。