魔王、お見舞いに行く
昼休み、教室の一角で友理と一親と話していると、ふと頭の奥に感じていた違和感が再びよみがえった。二人との記憶を思い出すたび、必ずそこにいるもう一人の女性。彼女の存在がどうしても気になり、尋ねずにはいられなかった。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど……たまに思い出す記憶の中に、いつももう一人の女がいるんだ。奴は誰なんだ?」
私の質問に、一親と友理は一瞬顔を曇らせ、困ったように視線を交わし合った。そして、しばらく沈黙した後、友理が少し口ごもりながら答えた。
「……小日向、光里ちゃん」
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中にぼんやりとした映像が浮かび上がる。だが、それ以上の記憶を思い出せず、ただ不確かな感覚が広がるだけだった。友理の表情はどこか暗く、思い出したくない何かを抱えているようだった。
「まあ、あんたと同じでさ……事故に遭ったんだ。小日向は家族まで失って。足が動かなくなって、体もまだ治療中」
一親がそう言って視線を落とす。その言葉に、私は何とも言えない気持ちに襲われた。事故に遭い、足を失った。そのことを二人は知っていて、気にかけているのだろう。
「そうか……」
私は短く返事をした。どんな言葉をかけるべきか分からず、ただうなずくしかできなかった。
でも二人にとっては大事な存在であるはずなのに、今は何の話も出てこない。そのことが気になり、思わず口を開いた。
「……で、見舞いには行かんのか?」
私の問いに、友理と一親は再び顔を見合わせた。そして、ほんの少しの沈黙の後、友理が口を開く。
「……行ってるよ。でも、最近は光里ちゃんがあまり会いたがらなくて……」
友理の声はどこか悲しげで、瞳には心配の色が浮かんでいた。一親もそれに続いて、少し辛そうに言葉を継ぐ。
「家族を失って鬱気味らしいし…」
「うん。なんか、あたしたちと会うと辛いみたい。無理に行くのも、どうなのかなって思ってさ。今の自分の姿見せたくないって言われちゃった」
二人の話を聞きながら、私はただじっと彼らの顔を見つめていた。事故の影響で光里の心にも何かしらの負担がかかっているのだろう。しかし、友理と一親が彼女のことを大切に思っているのは明らかだ。
「難しいものだな」
私は軽くため息をつき、視線を窓の外に移した。
この話を昼休みに隼人に軽く話した。
「私なら、事故なんて何もなかったことにできるんじゃないか? 失った家族のことを思い出すのが辛いなら、記憶を消せば良い」
私からすれば彼女の苦しみを消してやることは何の問題もない。それが彼女の幸せに繋がるのなら、それで良いではないか。
だが、隼人は私の言葉を遮るように、一歩前に踏み出した。その顔には、普段の彼からは想像もつかないほどの厳しい表情が浮かんでいる。
「……それだけはやめろ」
その一言に、私は彼を睨み返す。何を言っているんだ、という気持ちが表情に現れるのを抑えられない。隼人は視線を逸らさず、私の考えを否定するように口を開いた。
「人を失う苦しみを忘れて、その人のことまで忘れたら、人として終わりだ」
隼人の言葉が静かに響き渡る。まるで冷水を浴びせられたかのような感覚に、私は思わず息を詰めた。眼差しはまっすぐで、決して揺らぐことのない信念がそこにあった。
「……苦しみを消すことが、なぜ悪いんだ? そのほうが…」
「楽かもしれないさ。でも、それは本当の解決じゃない」
隼人は言葉を続ける。その声には、どこか静かな怒りと哀しみが混ざっていた。
「失った人のことを忘れてしまえば、その人が生きていた証も、想いも、すべてなくなるんだ。それって、あまりにも悲しいだろ。記憶を改竄することで、心の痛みを消すことはできても、それは小日向自身の生き方を否定するのと同じだ」
私は返す言葉を失い、隼人の言葉に耳を傾けた。視線を隼人から外し、教室の窓の外へと目を向けた。まるで自分の心の中を整理するかのように、小さく息を吐く。
「……人間ってのは、やはり分からんな」
隼人も友理も一親も、そして光里も、みんなそれぞれに複雑な感情を抱えている。それを、簡単に解決できるはずの魔法で変えてしまえばいいと考えた自分が、どこか間違っていたのだろうか。
放課後、一親と友理と共に川を渡った先にある大きな病院に行った。その威圧感に満ちた建物の前で一瞬だけ足を止め、私は深呼吸をした。そして、意を決して中へと足を踏み入れる。受付を済ませて光里の病室へ向かう間、何を話すべきかを考えていた。
「私達が先に行く。事故にあった同士の方が話が弾むかもしれんしな」
ドアを開けると、ベッドの上に座る光里の姿が目に入った。彼女は私の顔を見ると、驚いたような表情を浮かべ、口を開く。
「魔緒…!隼人…!何しに…」
私は一度頷いて彼女に近づくと、先に釘を刺すように口を開いた。何か言われる前に先手を切ろう。
「先に言っておく、私はお前のことを一切知らない」
光里の瞳が驚きに見開かれる。
「事故に遭って記憶がない。宵宮魔緒のことは、何も覚えていない」
「右に同じく。俺も宵宮隼人のことは知らない」
その言葉に、光里は口をつぐみ、何かを考えるように俯いた。私は光里の反応を待ちつつ、部屋の中に漂う静寂に身を任せる。しばらくして、小さく息を吐いて再び顔を上げた。
「事故に遭ったって聞いたけど…記憶まで失ってるの?」
「ああ」
「じゃあ、あの時、一緒に見た花火、覚えてる?」
その言葉に、私は一瞬、何を言われているのか分からず、ぽかんとした。花火? 一緒に見た? その記憶はどこにもない。頭の中を探ってみても、それらしい光景は思い浮かばなかった。
私はその期待するような視線に、どう返事をしたものかと少しだけ焦りながら、首を傾げた。
「……いや、分からない。花火を一緒に見た、だと?」
私が首を傾げると、光里の表情が一瞬曇る。それでも、何とか私に思い出させようと、彼女はさらに言葉を続けた。
「そっか……浴衣を着て、私と一親と友理と隼人君、4人で……すごく綺麗な花火大会だったんだけど……」
光里の声は次第に小さくなっていく。私はそんな光里を見つめながら、過去の自分がどんな記憶を持っていたのか全く分からないことに、少しだけ申し訳ない気持ちが湧き上がるのを感じた。
「えーっと…話しているその花火大会も、浴衣も……何も思い出せない」
隼人も同じく言葉を返す。
光里は無理に笑おうとしているのが見て取れたが、その表情の裏にはどうしようもない寂しさが隠れているのが分かった。
「…そっか。2人とも記憶を失っても、前向いてんだね」
光里は、かすかな笑みを浮かべたが、その瞳にはどこか寂しげな色が残っていた。
「本当にごめんなさい!実のところ…私、魔緒と隼人に会うのも怖い。病室に入った時追い出そうと思った。事故のことも、足が動かなくなったことも、受け入れるのがすごく辛くて……貴方たちにも…心配してくれた一親と友理にも、ひどいことを言った。そんな自分が嫌になって、誰とも会いたくなくなってた」
光里の声はかすれ、握りしめた拳がわずかに震えているのがわかる。私は黙って彼女の話を聞き続けた。光里はゆっくりと息を吸い、心の中に溜まっていた想いを吐き出すように続ける。
「リハビリをして、少しずつだけど足が動くようになってきてきたんだ」
光里は苦しそうにうつむき、言葉を途切れさせた。
「それでね…自分の足でみんなの元に行って、みんなに謝りたい。でも、どうしたらいいのか分からなくて……」
光里は自分の足元に視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぐ。震える声には、長い間抱えてきた苦しみと葛藤がにじみ出ていた。
「よし、病室を一回出るか!」
私は急に声を上げて立ち上がった。光里は驚いたように目を見開き、私を見上げる。
「え、何で?」
困惑する彼女に、私は手を差し出した。理由なんて特にない。ただ、このまま閉じこもっていても何も変わらないことは分かっていた。光里が踏み出せないなら、私がその一歩を背中から押してやればいい。
「まあ、いいから。さ、行くぞ」
少し戸惑いながらも、私の差し出した手を取り、ゆっくりとベッドから立ち上がる。その動きにはまだ不安とためらいが混じっていたが、私はそれを気にせず、彼女のペースに合わせて歩き出す。病室のドアを開け、ゆっくりと廊下へと足を踏み出した。
「一歩ずつだ、光里」
私の言葉に、光里は小さく頷き、少しずつ足を前に進めていく。何度も躓きそうになったが、何度でもサポートした。病室のドアが後ろに閉まると、一瞬足を止めた。そして、その先に見える姿に気づき、驚きの声を上げた。
「一親……友理。来てたんだ」
廊下の先で、少し緊張した様子で立っていた二人の姿を見て、光里の声が震える。友理と一親は彼女に気づき、目を見開いてこちらに駆け寄ってきた。
「光里!」
「光里ちゃん……!」
二人は駆け寄り、光里の無事な姿を目の前にして、言葉を失いかけていた。
「え、もう動けるの!?凄いじゃん」
「やるじゃん」
光里の前に駆け寄った友理と一親。その顔には、久しぶりに光里と向き合えたことへの安心感が滲んでいた。だが、光里は戸惑いの色を隠せない様子で立ち止まり、二人に向かってポツリと言葉を漏らした。
「どうして……一親も…友理まで来てくれたの…」
光里の声には、自分が抱えてきた苦しみと不安がはっきりと表れていた。視線を落とし、拳をぎゅっと握りしめて、震えながら続ける。
一度呼吸を整えてから、あの日の出来事を思い返すように語り始めた。
「事故に遭って、リハビリをしてもなかなか良くならなくて……自分が情けなくて…」
光里は言葉を詰まらせ、顔を歪めた。そして、続ける。
「だから……『何しに来たの? こんなことされたって、私の足は治らないんだよ!』って……言った。『どうせあんたたち、私を可哀想だって思ってるだけでしょ?』って……。本当に最低だよね……」
苦しさを堪えきれないように肩を震わせ、必死に涙を堪えているのが分かった。その言葉には、自分の状況に絶望していた当時の光里の苦しみが詰まっていた。友理と一親の優しさに背を向け、突き放すような言葉をぶつけてしまったらしい。
「だから……あの時は、本当にごめんなさい」
光里の声は震え、涙が頬を伝ってぽたりと落ちる。俯いたまま、かすかに握りしめた手を震わせていた。
「もう……絶交してくれても構わない。その覚悟はある」
光里は目をぎゅっと閉じ、言葉を振り絞る。自分のしたことに対する後悔、そして二人に与えたであろう痛みに対する懺悔。
「そんなこと言わないでよ!」
友理は、涙をこらえながら笑顔を浮かべた。その顔には、強い決意と優しさが表れている。
光里の告白に、友理と一親は黙って耳を傾けていた。言葉がすべて吐き出されるまで待って、友理は静かに、しかし力強く頷いた。
「……あの時、光里がそう言ったとき、すごくショックだった。でも、それ以上に、光里がどれだけ苦しいかを感じて…私たちは何もできなかったんだって思ったの」
友理の言葉に、一親も力を込めて光里の手を握り直す。
「私達も言われるがまま、光里から逃げてただけ。私達にも非がある。だけどね…あの時も、今も、ただ光里の力になりたくてここにいる」
その言葉に、光里の瞳から涙が溢れた。
「私……今度こそ、ちゃんと前に進みたい。自分の足で歩いて、家族のお墓参りとかもしたい」
友理と一親は静かに彼女の言葉を聞いていた。そして、友理が優しく微笑みながら、光里の肩に手を置いた。
「うん、私たちは光里のその一歩を応援するよ!」
一親も頷き、光里の手をしっかりと握り返す。
「何かあったらいつでも頼ってほしいし、私たちも一緒に歩んでいくからね。」
「……ありがとう」
光里は声を震わせながら二人に感謝の言葉を伝え、涙をこぼしたまま微笑んだ。その笑顔はどこか弱々しいものの、確かに前を向こうとする強さがにじみ出ていた。
光里が自らの足で前に進もうとする姿に、心の中で何か温かいものが芽生えるのを感じていた。
病院からの帰り道。またいつもの道を歩いていた。
「で、どうだった? 足を完治させて、記憶を消して何もかも忘れた方がいいと思ったか?」
隼人が冷静な視線を向けながら問いかけてきた。その目には、何かを確かめようとする意図が見え隠れしている。私は彼の言葉を反芻し、光里とのやり取りを思い返す。
「……違うな」
私は静かに口を開き、しっかりと隼人を見据えた。
「光里は自分で進もうとしている。足の痛みや、事故で失ったものも全部抱えたまま、それでも自分で乗り越えようとしているんだ。記憶を消して何もかも忘れるより、ずっと強い力を持ってる」
隼人は少し口元を緩め、満足げに頷く。まるで私の中で何かが変わるのを待っていたかのようだ。
「そうか」
彼の言葉に、私は軽くため息をつき、視線を空に向けた。
「……まあ、分かったとはまだ言い切れないけどな。ただ、少しだけ……理解した気がする。」
隼人はその答えに何も言わず、ただ肩をすくめる。私は再び光里の言葉を思い出しながら、心の中に生まれた小さな感情を噛みしめていた。




