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魔王、海へ行く

「やはり、魔王とは分かり合えないようだな!」

 隼人が顔を真っ赤にして叫ぶ。朝の静かな時間が、一瞬にして変わった。私は腕を組みながら、言葉を鼻で笑い飛ばす。

「どうとでも言うがいい!ケーキの一つや二つ、食べられたぐらいで騒ぐな!」

 原因は至って単純だった。

 昨晩、冷蔵庫に残っていた隼人のケーキを、私がすべて平らげてしまったことだ。隼人はそのケーキを朝の楽しみにしていたらしく、起きてきた途端に空っぽの箱を見て激怒した。

「朝っぱらから元気ね〜勇者ごっこも程々にね」

 母はトーストを摘みながら、私たちの行く末を見ている。隼人は頭に血が上り過ぎて、私のことを普通に魔王と呼んでいるが、特にバレていなそうだ。

 隼人は拳を握りしめ、まるで戦いの前の勇者のように身構える。

「お前が楽しみにしているとは知らなかっただけだ。文句を言うな」

「楽しみにしていたって言っただろ!?」

 隼人が詰め寄ってくるが、私は一歩も引かない。ケーキごときでここまで大騒ぎをするとは…まだまだガキだな。

「喧嘩はほどほどにな」

 突然、リビングの奥から聞こえてきた父の声に、隼人と私は顔を向けた。彼女は微笑みを浮かべながら、楽しそうにこちらを見ていた。

「これぞ兄妹!喧嘩してなんぼだ」

 その言葉に、隼人はバツの悪そうな顔をし、私はそっぽを向いてふんと鼻を鳴らす。確かに、こうして争うのは前世からもやっているな。

「もう、アナタったら…ケーキならまた買ってあげるから、今は学校に行く準備をしなさい」

 母はそう言うと、私たちを急かすように手を叩いた。隼人はため息をつき、渋々と荷物をまとめ始める。

「……分かったよ、母さん。でも、今度から勝手に食べるなよ!」

「分かった、分かった。気が向いたら考えてやるわ」

 私は適当に答えながら、制服に腕を通した。母の言葉で少しだけ和んだ空気の中、朝の喧嘩は一旦終息を迎えるのだった。



 昼休み、教室の片隅で一親と友理が目を輝かせながら話しかけてくる。どうやら、夏休みに海へ遊びに行こうという計画を立てているらしい。

 そういえば、もう夏休みか。

「今度の休みにさ、みんなで海かプール行かない?」

 一親が期待に満ちた瞳でこちらを覗き込んでくる。その隣では友理がすでに行く気満々で、どこに行くかなどの話題まで持ち出していた。行く前からあれこれ準備を進めているようだ。

「そうそう!それでさ、魔緒のお兄ちゃんも誘いたいんだけど、どうかな?」

 友理のその一言に、一瞬、私は思わず眉をひそめる。本当はこの三人で行きたいが、二人の願いなら仕方ない。

「まあ……聞いてくる」

 廊下に飛び出して、隼人の教室の扉を開けた。

「ってわけで、お前も行くぞ。水着を買っておけ」

 私は教室に入るなり、隼人にそう言い放った。突然の話に、隼人は驚いた表情でこちらを見つめる。

「なんだ急に!? てかなんで俺……?」

 戸惑いを隠せない様子で、読みかけの本を脇に置いた。私は腕を組み、ため息をつくように肩をすくめる。

「一親と友理が、海に行きたいんだと。で、ついでにお前も来てほしいらしい」

「絶対邪魔だろ、俺が行ったらさ」

 隼人は頭をかきながら、困ったように視線をそらす。

「ま、そういうわけだから。どうせ暇だろ? とにかく、お前も行くってことになってるんだよ」

 私は有無を言わせない口調で言い放つ。隼人はしばらく口を開けたまま呆れた表情を浮かべていたが、やがて小さくため息をついた。

「……はあ、わかったよ。でも本当に俺、必要なのか……?」

「必要かどうかは知らん。ただ、一親たちがそう言ってるだけだ。それよりも水着、買っておけよ」

 そう言って彼に背を向けると、隼人は不満そうにぼやいていたが、観念したのか、しぶしぶと頷いた。

「そんなに嫌か?」

「俺、泳げねんだよ……」

 その言葉に、私は驚く。

 隼人が苦手なものがあるなんて、今まで考えたこともなかった。ずっと何でもそつなくこなすイメージだったからだ。

「水の上とかなら走れるけど、泳ぐとなるとどうも苦手で……」

 その言葉に、私は一瞬ぽかんとしてしまった。

 泳げないことが悩みだというのは理解できるが、水の上を走れる、なんて常識外の発言をされてしまうと返す言葉に困る。しかし、そんな異次元な悩みを打ち明けてくる隼人がなんだかおかしくて、つい笑が溢れる。

「ふっ、まあ泳げなくてもいいだろ。海には他にも楽しみ方がある」

 隼人はまだ少し不安そうな顔をしていたが、何とか観念したようにうなずいた。



 夏の暑い日、私達はたちは、日差しの強い海辺に到着した。青い空と広がる海の光景に、一様に喜びの声を上げた。浜辺には、砂の上に広げられたビーチシートや、カラフルなパラソルが並び、人々の楽しげな笑い声が響き渡っていた。


 海でしばらく楽しんでいると、突然、頭の奥に鈍い痛みが走った。私は一瞬、立ち止まり、額に手を当てる。

「また記憶思い出しタイムだな……」

 頭痛の波が押し寄せてくるが、今回は違う。以前は立っていることすら困難だったのに、今は何とか耐えられる。どうやら、この頭痛にも少しずつ適応してきているようだ。痛みに耐えながらも、私は足元の砂をしっかりと踏みしめ ていた。

 遠くから友理と一親の笑い声が聞こえてくる。少し先では誰か知らない奴が一緒に遊んでいる姿が見える。周囲の喧騒に耳を傾けつつ、頭の中では断片的な記憶が浮かび上がってくる。

 中庭の食事の際も私と一親か友理以外に、もう一人いるのは確認済みだ。金髪で筋肉質な体育会系な女の子だ。2人は特に言及もしないし、喧嘩したとかその辺だろうか。

 そう思いながら、私はゆっくりと深呼吸し、再び砂浜へと視線を戻した。頭痛はまだ残っているが、今の自分ならば、もうこの程度では動じない。

 頭痛が収まり、砂浜に視線を戻すと、友理と一親が少し離れた場所で楽しそうに波打ち際で遊んでいるのが見えた。隼人はそのそばで見守っているようだ。

「ふん、あいつらだけ楽しそうにしやがって……」

 私は軽くため息をつき、砂浜を走りながらみんなの方へ近づく。友理がこちらに気づいて手を振ってくるのが見えた。

「私も混ぜろ!」

 そう叫ぶと、歓声を上げて水を飛ばしてくる。私は身をかがめて水しぶきを避け、笑いながら応戦した。だが、このまま普通に遊ぶのも少し物足りない。

「ちょっとだけ、風を使ってみるか……」

 私は右手のひらにほんの少しだけ魔力を込め、風を乗せる。そこから水面を勢いよくすくい上げ、風の力で水を飛ばした。まるで小さな嵐のように勢いのある水しぶきが友理と一親に向かって一気に飛んでいく。

「きゃっ!」

 水を浴び、びっくりした顔でこちらを見たが、すぐに笑顔を取り戻し、水の掛け合いはさらに激しくなった。隼人も少しだけ苦笑いを浮かべながら、その様子を眺めている。

 たまには、こうやって遊ぶのも悪くないな

 私は再び手をかざし、次の水しぶきを作るために、さらなる風の力を手のひらに乗せた。

「それーっ!」

 再び私が手のひらに風を乗せて勢いよく水しぶきを飛ばし、友理と一親に水を掛けた瞬間、彼女たちの楽しそうな声が響いた。笑い声と水しぶきが飛び交う中、私はふと、遠くの海の様子に目をやった。

 それまで穏やかだった波が、急に激しさを増しているように見えた。沖のほうで、白波が次々と立ち上がり、海の色が微妙に変わっているのがわかる。

「……ん?なんだ?」

 異変を感じた私は遊びをやめ、真剣な顔で沖を凝視した。どうやら、潮の流れが変わり始めているらしい。急な風の変化か、天気が崩れる前兆なのかもしれない。隼人もその変化に気づいたのか、険しい顔でこちらに歩み寄ってくる。

「あれは……」

 隼人が指さす方向には、浮き輪に乗った子供たちが沖に向かって流されているのが見えた。波が少しずつ高くなり、子供たちの不安そうな声がかすかに聞こえてくる。

「まずい……あれは流されてる!」

 私はすぐに状況を理解し、波打ち際で遊んでいた友理と一親を振り返った。彼女たちも、ただならぬ事態に気づき、表情が強張っている。

「助けに行くぞ!」

 隼人がそう叫び、海に向かって駆け出そうとする。私は一瞬躊躇したが、次の瞬間には彼の後を追っていた。海のトラブルは一刻を争う。何とかしなければ、子供たちはどんどん沖へと流されてしまうだろう。

 私は足を止め、手のひらに魔力を込める。風の力を利用して、波を抑えるために。

「魔緒は周りの人に救助要請をよろしく!」

 一親が焦った表情で私に叫ぶ。私がここで周囲に助けを求める役を担うのが一番効率的だと判断したのだろう。しかし、私の中では別の考えがすでに浮かんでいた。

「分かった」

 一親に頷いて返事をしつつも、すぐに彼女から目を逸らした。その場でじっとしているつもりはない。救助要請をしているように見せかけて、自分も救助に向かう。それが私のやり方だ。

 私は手のひらをかざし、魔力を集中させる。透明化の魔法「インビジブル」。この魔法を使えば、しばらくの間、誰にも私の姿を見られずに行動できる。効果時間は5秒だが、それだけあれば十分だ。

「インビジブル!」

 小声で呪文を唱えると、体が一瞬で透明化し、周囲の景色に溶け込むように消えた。私は誰にも気づかれないまま、一気に海に向かって駆け出す。波打ち際を駆け抜け、すぐに海へ飛び込んだ。さっさと海に入れば問題ない

 海の中で波を感じながら進む。透明化の効果が切れる前にある程度の距離を稼ぐ必要があった。視界が水しぶきでぼやけているが、沖にいる子供たちの姿ははっきり見える。

「よし、いけるな」

 指先に魔力を集める。私は軽く息を吸い込み、勢いよく水の中でデコピンを放った。

「――っ!」

 水面に小さな爆発音のような衝撃が走り、私の体はロケットのように前方へと飛び出していく。信じられないスピードで水を切り裂き、一直線に沖へと向かう。周りの水しぶきが飛び散り、視界は一瞬ぼやけるが、それでも目的地ははっきりと見えている。

「よし、このまま一気に!」

 私は沖にいる子供たちを目指し、推進力を維持しながらさらに加速した。

 海中を必死に泳ぎ、沈みかけている男児を見つけた私は、すぐにその腕を掴んだ。彼の意識はなく、すぐに息を吸わせる必要がある。手のひらに魔力を込めて、彼の口元に小さな空気の塊を作り、無理やり呼吸をさせる。

「よし……これでなんとか……!」

 一息ついて周りを見渡す。男児を海岸に運ばなければならない。まだ危険な状況だ。隼人はどこだ、と姿を探すと、少し沖から離れたところにいるのが見えた。

「ったく、隼人のやつは何をしている……」

 ぼやきながら隼人の方に目を向けると、彼の周りに不自然な動きがあるのに気づく。よく見ると、何か大きな影が水面にうごめいている。私は目を細めてその正体を確認しようとした瞬間、はっと息を呑んだ。

「な、なんでサメなんか連れてきているんだ!」

 隼人が必死にサメと対峙しながらこちらに返事をする。

「知るか!とにかくこいつをなんとかしないと……!」

「お前ならワンパンだろ」

「いや、動きが速くて難しい…水ん中だし」

 私もそうだが、魔力を出力して勢いでぶっ飛んでいるだけ。隼人は一切泳げないため小回りが効かない。

 サメは興奮した様子で隼人の周りをうろついている。緊迫した状況に、私は男児を抱えたまま次の手を考える。

 私は海中で冷静に魔力を集め、男児を腕に抱えたままサイコキネシスを発動した。彼の身体をやわらかく包み込むように浮かせ、近くの陸に向かって送り届ける。

 そのうち救助隊がくるだろう。

「よし……あとは隼人だな。」

 視線を再び沖の方に戻し、サメと対峙している隼人の姿を見つけた。普段なら彼の救助に全力を尽くすところだが、今の私は別の考えを頭に巡らせていた。

 これは絶好の機会だ……魔法の実験をしたいと思っていた頃だ。水中なら誰にも見つからずに実験ができる。

 私は水中で浮かびながら、頭の中で自分の新たな力を確かめる。適応レベルが進んだ今なら、他の生物に擬態できるのではないか。そう思い立った私は、ある行動に移ることにした。

「さて……やってみるか」

 足を少し傷つけて、海に血を流し始める。鮮やかな赤色が水中に広がり、サメの注意を引く。奴らは血の匂いに敏感だ。サメがこちらに向かってくる気配を感じると、私は心を落ち着かせ、魔力を体に巡らせていく。

「隼人はあのガキの救助に行ってろ」

「ああ、分かった!」

 自分の体が変化していく感覚を味わいながら、サメの動きを注視する。波が揺れ、サメがこちらに向かってくるその瞬間、私は息を詰めて次の行動に備えた。

 波間で高まる水の気配を感じ、水が重く震える。私の手のひらに渦巻く水が次第に勢いを増していく。

「最強の水魔法を浴びれることに感謝しろ」

 私は深く息を吸い込み、サメを正面に見据えた。魔力の流れを手に集中させ、手のひらで強大な水の渦を形作る。水流がぐるぐると音を立てて巻き上がり、海面が激しくうねり始める。

「アクア・カタストロフィ!」

 叫びとともに、手のひらから放たれた水魔法が海中の力を一気に解放する。激しい水流が荒れ狂い、巨大な水の渦を作り出した。海の中で竜巻のような水柱が立ち上がり、サメに向かって猛然と押し寄せる。

 水の渦はサメの周囲を取り囲み、激しく暴れ回った。サメはその強力な水圧に飲み込まれ、泳ぐ力を失っていく。巨大な水の竜巻が勢いよくサメを巻き上げ、遠くの沖へと押し流していった。

 水の渦を静め、私は息を整えた。サメはその強烈な水流に巻かれて遠くの沖に流され、完全に視界から消えた。

「やはりな……殺せない」

 私は静かに海面を見つめながら、自分の手のひらを見下ろした。先ほど放った最強の水魔法の余韻がまだ指先に残っている。殺すつもりで撃ったはずだが、結果は違っていた。

 荒れ狂った水流は、確かにサメを取り囲み、押しつぶすほどの威力を持っていた。だが、私は無意識のうちに水流を操作し、サメを遠くへと飛ばしていただけだった。少し乱暴だったかもしれないが、サメの命を奪うことまではしなかった。

「まったく……」

 水柱が消え、海がようやく静かになる。サメの姿は遠くの沖に消え、もうこちらに戻ってくる気配はない。自分の甘さに、少し苦笑いを浮かべながら私は肩の力を抜いた。

「殺すのではなく、ただ遠くへ追い払っただけか……なんか本能が殺すを拒んでいるようだ」

 水の中で感じる自分の体の変化に、少しだけ胸の中がもやつく。だが、すぐに気持ちを切り替え、陸に戻ることにした。

「急がなければ…また記憶を消す手間が増えてしまう」

 さらにスピードを上げた。海岸の砂浜には一親の姿が見える。インビジブルを発動し、海の家の方面からいかにも、今帰って来たように演出した。

「魔緒お手柄だね! すぐに救援要請出してくれたし!」

 陸に戻った私に駆け寄り、友理が満面の笑みで褒めてくる。私の行動に心から感謝しているようだった。思わず、私はその笑顔にたじろいでしまう。

「ま、まあな……」

 私は視線をそらした。本当は救援要請なんてしていないのだが、友理は私の行動をそう勘違いしてくれたらしい。内心、ほっと胸をなでおろす。

 実際に救助に向かったなんて知られたら、また面倒なことになりそうだ。

 友理が私を褒める中、一親も笑顔で近づいてくる。彼女も私を褒めてくれているようで、二人の視線から逃れるために、私は適当に頷いて応えた。

「隼人も……おつかれ。溺れた人を担いで泳ぐなんて……無茶しないでよ」

 一親が心配そうに隼人に声をかけた。彼は息を整えながら、無言で軽く頷いている。正確に言えばほとんど私がやったのだが。海での混乱の中、誰がどのように救助したかなんて、誰も正確には見ていないのだろう。まあ、どうでもいいか。

 私は特に訂正することなく、ただ立っていた。隼人がどう思っていようと、一親や友理が納得しているのなら、それでいい。正体を隠している私にとっては、目立つことなく物事が収まる方が都合が良い。

 隼人は一親に気遣われ、少しだけ苦笑いを浮かべている。自分がしたこと以上に持ち上げられることに複雑な気持ちがあるのかもしれない。

「さっき急に波が強くなって、本当に焦ったんだから……」

 友理が思い出したように口にし、心配そうに隼人の顔を見る。隼人は少しばつが悪そうに視線をそらしている。私もその視線を感じ取りながら、友理の言葉を頭の中で反芻する。

(うん、それ、私が原因だ)

 一瞬、心の中で苦笑いが漏れる。さっきの最強の水魔法を使った際に海の水流を荒らしてしまったのが、急な波を引き起こしたことは間違いない。

 しかし、さすがにそれを今ここで告白するわけにはいかない。私は無表情を装い、何事もなかったかのように友理を見つめた。

「まあ、無事で何よりだな。隼人も無茶するから、気をつけるように」

 自分の失態を誤魔化すために、あえて話題を隼人の方へと振る。友理と一親はその言葉に頷き、隼人の方へと視線を移していた。

「はい…」


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