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魔王、部活に入る

人間の生活、学校の生活を始めてどこか自分の価値観と日本での価値観がすれ違う時がある。

 例えば、一親と友理との何気ない会話。「バイト先の店長が最悪!」と盛り上がって話しているとき、私が言った。

「なら、直接倒せばいいだろう?完膚なきまでにボコボコにして口を聞けなくすればいい。急所を狙って、苦しもがいたところで要件を言うんだ」

 その場の空気が、一瞬凍りついた。

 友理が口を開いて何かを言おうとしたが、結局何も言わず、ただ苦笑いでごまかした。

「すげぇ発想するな」

 一親は小声で言う。友理は、少し戸惑った顔をした後、笑いに変えようと努めてくれた。

「魔緒ちゃん、考えてもいいけど行動に移しちゃダメだからね?」

 悪い意味ではないと分かっているけど、何か釈然としない。

 何が間違っていた?

 確かに、話の流れを壊したかもしれない。でも、合理的に考えれば、それが一番早い解決策ではないのか?

 日本に来てから何度もこんなことがある。真剣に提案したはずなんだが、妙に真顔で返される。普通に発言しただけなのに、「それは怖いよ」と言われることも少なくない。

 でも、誰かを不快にさせるつもりはない。むしろ、私なりに会話を楽しもうとしているだけだ。

「……ごめん、また変なこと言った」

 そう聞くと、光里は慌てて首を振った。

「そんなことないよ!……ほら、私たちと違う視点で物事を考えられるのって、すごいことじゃん?」

 一親も頷いてくれたが、その微妙な表情は「すごい」というより、少し距離を置いているようにも見える。

「……そうか」

 何とも言えないもやもやが胸に広がる。この感覚も、まだ慣れない。

 魔王だった私と、結城魔緒としての私のズレ。

 そのギャップを埋めるには、まだまだ時間がかかりそうだ。



 昼休みが終わり、午後の授業が終わると、校内は一気に放課後の空気に包まれた。クラスメイトたちはそれぞれ帰り支度のために動き始め、ざわめきが広がっている。

「ねえ、部活行かない?」

 友里がニコニコしながら声をかけてきた。彼女の目は期待でキラキラしている。どうやら、私をどこかに連れ出したいらしい。

「部活……か?」

 一瞬、戸惑いが顔に浮かぶ。前世では部活などというものとは縁がなかった。何の部活なのかもよくわからず、どう答えたものかと迷っていると、友里が続けた。

「美術部だよ! 休んでたから久しぶりでしょ?」

「美術部……」

 私は内心で驚いた。どうやらこの体は、学校で美術部に所属しているらしい。絵を描くことなど、今まで考えたこともなかった。

 友里は私の反応を見て、さらに勢いをつけるように手を振りながら続けた。

「ほら、久々に絵を描いてみようよ! けっこう上手だったんだから!」

 私は一瞬考え込み、そして立ち上がった。背後にいた友里の顔がぱっと明るくなるのが見えた。

「よし、行くか」

 友里はうれしそうに頷いた。私は彼女の後について、廊下へと歩き出した。美術部か……前世の自分では到底考えられない活動だが、少しだけ楽しみになっている自分がいた。


 私は友里と一緒に美術室へ向かいながら、ふと周りを見渡した。そこに、一親の姿が見当たらないことに気づき、少し不思議に思った。普段なら一緒にいるのに。

「そういえば、一親はいないのか?」

 私が尋ねると、友里は振り返り、微笑んで答えた。

「ああ、一親ちゃんはテニス部だね。放課後はテニスコートに直行してるよ!」

「テニス部…」

 私は一瞬考え込み、納得した。

 確かに一親のクールな性格なら、テニス部での活動もぴったりだ。

「あいつはあいつで頑張ってるのか」

 私は少しだけ笑みを浮かべて、前を向いた。友里もその反応に満足したのか、笑顔で先を進む。

「私たちは私たちで、美術部を楽しもうね!」

 元気よくそう言いながら、友里と一緒に美術室へと向かって歩き出した。


 美術室の前にたどり着くと、友里がドアを開けながら楽しそうに振り返った。室内からは絵の具の香りと、キャンバスに向かう部員たちの集中した空気が感じられる。私は少し緊張しながら一歩踏み出した。

 その瞬間、友里が元気いっぱいに声を上げた。

「みんな、今日から魔緒が復帰でーす!」

 彼女の声に、美術部の部員たちが一斉にこちらを振り向いた。視線が集まり、思わず戸惑いを覚える。急な注目に、何を言えばいいか一瞬迷ったが、なんとか言葉をひねり出した。

「よろしく…」

 緊張を隠し切れず、ぎこちない挨拶をすると、部員たちから温かい笑みが返ってきた。彼らは私を歓迎するように拍手をしたり、軽く手を振ってくれたりしている。

「久しぶりだね、一緒にまた絵を描こう!」

「気軽にやっていこうね!」

 それぞれが優しく声をかけてくれるのを見て、私は少しだけ肩の力が抜けた。どうやら、この美術部はあたたかい場所のようだ。

「……ああ、よろしく頼む」

 私は小さく息をつき、席についた。



 美術室の中に広がる静けさ。私はキャンバスの前に座り、周囲を見渡した。部屋には数人の部員たちが、それぞれ自分の作品に没頭している。筆を動かす音や、紙の上に絵の具を乗せるかすかな音だけが、部屋に響いていた。

「ひ、暇すぎる……」

 私は思わずぼやいてしまった。美術部とは名ばかりで、ここに来たらあとは基本的に個人作業の時間が続くらしい。

 最初こそみんなに挨拶して、軽く自己紹介などしたものの、それが終わると一斉に自分の作品へと没頭し始めた。私を含め、ほとんど会話らしい会話もなく、時間が過ぎていく。

 そんな私のつぶやきを聞いたのか、少し離れたところで自分のスケッチブックを広げていた友里が、こちらを振り返ってにこりと笑った。

「うちは強豪じゃないし、ゆったりやる感じだよ~」

 彼女の言葉に、私は肩をすくめるしかなかった。何かもっと活気ある部活を想像していたが、ここでは皆が自分のペースで静かに創作活動をしている。どうやら、絵を描くことに集中するのがこの部活のスタイルのようだ。

「……そういうものなのか」

 私は小さく呟き、目の前のキャンバスに視線を戻した。友里はまた自分のスケッチブックに戻り、穏やかな時間が続いていく。私にとっては少し退屈に感じるが、周りはこの時間を楽しんでいるようにも見える。

「……さて、何を描くか……」

 私は目の前の真っ白なキャンバスを見つめ、何を描くべきか悩んでいた。

「漫画を描くもよし! 絵を描くことなら何でもいいよ!」

 私はその言葉に思わず顔を上げ、声のする方を見る。

 美術部の部長、鳴上蒼はにこにこと楽しそうに笑っていた。

 彼女のスケッチブックには、可愛らしいキャラクターが描かれていて、まさに漫画の一コマのようだ。

「うちの美術部、かなり自由だからね! 別に絵画じゃなくても、イラストでも漫画でも好きなものを描けばいいんだよ~。自分が楽しめることが一番だから!」

 蒼の言葉に、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。どうやら、この美術部は本当に絵を描くことが好きな者たちの集まりで、特に厳しいルールもなさそうだ。まさに自由な創作の場だということがわかる。

 私は軽く頷いて、目の前のキャンバスを見つめ直した。絵画のように構える必要もないらしい。

 しばらく何かしらの絵を描いていた。アニメのキャラ、学校の風景など色々だ。そしていつもの頭痛に襲われた。段々と慣れてきたのか、蹲ったりはしなくなった。

「これは……」

 キャンバスに向かって楽しそうに絵を描く「魔緒」の姿が、鮮やかに浮かび上がる。彼女の頬には少し絵の具がついていて、何か面白いことを思いついたかのように微笑んでいた。周りには、友里やほかの部員たちが集まり、わいわいと談笑している。彼女たちは絵を描くことを本当に楽しんでいた。

 筆を動かし、何かを描いている彼女の表情には、楽しさと夢中になる気持ちが詰まっていた。彼女にとって、この美術部での時間は、とても特別なものだったのだろう。

 ふと、私は手元のキャンバスに目を戻した。今、何を描くべきかが少しだけ見えた気がする。筆を再び手に取り、私はそっとキャンバスに色をのせた。

 私は筆を動かし、キャンバスに色をのせていく。

 頭の中に浮かんでいた光景――美術部で楽しそうに過ごしている魔緒と部員たち。その一瞬一瞬が、私の手の中から自然と描かれていき形をなしていく絵に、自分でも驚きと懐かしさのようなものを感じていた。

 ようやく筆を止めると、ふと肩越しに視線を感じた。振り返ると、友里が目を輝かせてキャンバスを覗き込んでいた。

「すごーい!これ、部員のみんな?」

 友里は楽しそうに声を上げ、私の描いた絵をじっと見つめている。そこには、美術部の部室で一心不乱に絵を描く部員たちの姿が描かれていた。友里も、他の部員たちも、絵の中で自然な笑顔を浮かべている。

「割と才能あるんじゃないか?」

 私自身も少し驚きながら答える。この絵に込められたのは、魔緒が美術部で過ごしてきた楽しい日々の一部だ。今の私にはそれが、絵を描くことで少しだけ感じ取れたような気がした。

「うーん……これもうまいけど、流石に前の結城さんの方が上手かな」

 部長が私の絵を見て感想を言った。

「やはりそうか……」

 私は小さく呟き、視線をキャンバスに落とした。本来の感性に追いつくのは、まだまだ遠い道のりだな。とはいえ、実際に指摘されると、少しだけ悔しさが胸に湧く。


 蒼の言葉に、私は絵を見つめながら静かにその評価を受け止めた。だが、次の瞬間、彼女は真剣な表情に切り替え、指をキャンバスへと向けた。

「それでね、ここからが本題。細かく指摘していくよ」

「本気か…?」

 蒼の鋭い目が絵の隅々までを見渡し、一つ一つの要素に鋭く視線を送る。彼女の表情は真剣そのもので、私の絵の中に潜む改善点を見逃さないとでもいうようだった。

「まず、このキャラクターの表情だけど、目元が少し硬いんだ。ほら、友里の表情を描くときは、もっと目尻を柔らかくしてみるといい。笑顔を描くなら、もう少し目を細める感じで。今だと少し緊張感が出ちゃってるからね」

 私は指摘された箇所に目をやり、無意識に息を呑む。確かに、言われてみれば表情に柔らかさが足りない。

「それから、ここの腕の描き方! 肘の位置が微妙にズレてる。手首から肘、そして肩にかけてのラインが自然に繋がるように描かないと、動きが固く見えるんだ。人の体の構造を意識して、動きの流れをもっと捉えないと!」

 さらに蒼は手早く次の箇所に指を移し、どんどん指摘を重ねていく。

「そして背景!いい雰囲気なんだけど、この部分の陰影が足りないせいで立体感が薄れてる。光の当たり方をもう少し強調すれば、全体が引き締まる。キャンバスの手前と奥の距離感を出すために、色のグラデーションを工夫してみるといいわ」

 まるで容赦ない稲妻のように、彼女の指摘は続いていく。

 私はビシバシと指摘されるたびに、心の中でその指摘を反芻した。自分が気づいていなかった部分、曖昧にしていた箇所を正確に突かれる。

「絵って奥が深いんだな……」

 私は小さく呟き、部長の鋭い指摘を真摯に受け止める。彼女の言葉の中には、確かな技術と経験が詰まっていた。そして、その指摘は今の私には必要なものだと感じていた。

「でもね、これもいい絵だよ。何より、この空気感や表情は、魔緒今のにしか描けないものかもしれない」

 蒼の言葉に、私はわずかに顔を上げる。友里も、うんうんと頷いて私を見つめていた。

「……よし、明日までに何か作品を仕上げてこよう」

 そうつぶやくと、友里が驚いたように目を見開いた。

「えっ、別にそんな急がなくてもいいのに……」

 戸惑いながら私に言う。確かに、美術部に急ぎの締め切りはない。皆がそれぞれのペースで作品を作り上げるのがこの部のスタイルだ。しかし、私は今、どうしても挑戦してみたかった。蒼の指摘を踏まえて、自分の中で何かを変えてみたかった。

「いや、今やらなければ意味がないんだ」

 私はきっぱりと言い切り、キャンバスを手に取った。友里は少し心配そうに私を見ていたが、私の決意を感じたのか、無理には止めなかった。ただ、「ほどほどにね」と小さくつぶやいてくれた。

 そして、夜。

 自宅に戻った私は、すぐに机に向かい、真っ白なキャンバスを広げた。

 指摘を一つ一つ思い返し、手を動かす。光と影の描き方、体のラインの取り方、表情の細かい表現……。すべてを意識して、筆を走らせた。

「……ここは、もっと柔らかく……」

 何度も描き直し、バランスを見直し、色を重ねていく。時計の針はどんどん進んでいき、気づけば夜も更けていた。しかし、私は手を止めなかった。気持ちが乗っているうちに、すべてを表現しきりたかった。

「……完成した!」

 そう叫んで筆を置いたとき、窓の外にはすでに朝日が差し込んでいた。私は自分が描き上げた作品を見つめ、ふうっと息をついた。徹夜で仕上げた作品には、指摘を反映させた努力の跡が見て取れる。

 目の前の作品には、まだまだ完璧とは言えないものの、自分なりに成長の跡が感じられる。そのことに少しだけ満足しながら、私は今日の放課後にまた美術部に持っていくことを決めた。

「そういえば……」

 目の前の絵を改めて見つめながら、私は小さくつぶやく。

 眠気を相殺する魔法は使った。それなしでは一晩中集中力を保つのは難しかっただろう。だが、描く技術、表現、色の選び方、すべては自分の意志と手で成し遂げたものだ。

「……魔法じゃなく、ちゃんと自分の力で描けたんだな」

 それに気づいた瞬間、胸の中に小さな達成感が広がった。魔王としての魔力ではなく、この体に宿る魔緒としての感覚と努力で、この作品を完成させたのだ。

 私は軽く笑みを浮かべて、自分の描いた作品を見つめた。ここに描かれているのは、まだ拙い部分もあるが、自分の手で生み出したものだ。

「……よし、これを持っていくか」

 立ち上がり、作品をしっかりと持ち上げた。眠気は相殺できたが、体の疲れは否めない。だが、それでもどこかすっきりとした気持ちで、私は学校へ向かう準備を始めた。

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