意外な一面(楓)
テスト期間、学校中がそわそわした空間が流れていた。
うちのクラスも例外ではなく、テスト1日目が終わった今、放課後に勉強会をしようと話し合う声や部活が休みだからそこそこ勉強して後はゆっくり過ごすなど様々な声で溢れている。
私達のグループも例に漏れず、明日のテストの範囲について話しつつ、最終日の放課後に胸を膨らませていた。最終日は思いっきり羽を伸ばすつもり。
「え、ハルちゃん今日は用事あるの?」
「うん、他校の友達に勉強教えてもらう予定」
そんな声に目を向けると帰り支度をしている遥稀が目に入った。その横には最近よくうちのクラスに遊びに来るめぐみちゃんと香奈がいた。明日は遥稀の得意科目がテストだけど最終日にある苦手科目を潰すために今日から準備をするらしい。真面目だな。
「でも、理数系なら香奈が得意だよ?」
「前々から約束してて、ごめん」
「そっかぁ。それなら仕方ないか」
渋々ながら了承した声が聞こえる。香奈は明日のテスト対策を遥稀にお願いしたかったらしい。そこは夜にビデオ通話で要点だけを教えると約束しているのが聞こえる。
遥稀の他校の友達...。正直に言うとすごく興味がある。クラスのどのグループにも派閥にも属することのない遥稀だ。外での交友関係が謎過ぎる。
現在、クラス内の均衡が保たれているから誰もグループに勧誘しようとしないものの、危うくなったら誰かしらが動き出すのは目に見えている。
最近も遥稀の所へ避難した子がいた。その子の属していたグループは結局解体されて元のグループ内で仲の良かった子と新たなグループを形成しているものの、いつどのグループが崩壊するかわからない現状においては誰もが遥稀とのパイプを確保したいと願っているはず。
今のところ拒絶されている人を見かけたことがないのでよほどのことがない限り平気だとは思うけど。でも、避難所としての役割以外でも重宝されているのが「癒木遥稀」という存在だ。素直に感謝や誉め言葉を言われるのはとても気持ちが良い。そう言う点でも心のオアシスとして仲良くしておきたいところではある。
この前、黒板を消すのを手伝ったらとても嬉しそうな笑顔で感謝の気持ちを伝えられた。本当に些細なことだったのにも関わらずだ。その姿を見た時にこの子は誰からも好かれるんだろうなと思った。
思わず頭を撫でてしまったが許してほしい。
「せんぱ、あ、いや、遥稀先輩、いいですか?」
「あ、渉」
廊下の方から下級生の声が聞こえ、一斉に視線がそちらへ向かう。その光景に渉と呼ばれた男の子は後ずさった。
親し気な様子から部活の後輩なのだろう。何度か遥稀と一緒に歩いているのを見たことがある。遥稀達の所属する文芸部は部員同士の仲が良いと生徒たちの間で話題に上がっている。
部室を追いやられたのに健気に頑張っているすごい子たちだと。みんな優しくて本当に仲がよくて居心地が良いとゆかも前に話していた。
まあ、ダンス部が仲悪いわけではないけど。そういえば、ゆかも最近雰囲気が変わったような気がする。何が、とは言わないが。前よりも空気が柔らかくなったというか、不安定さが減ったような。
「え?勉強って、渉くんも?」
「はい、誘われて...ついでに原稿の相談もお願いしていて、って先輩時間大丈夫ですか?」
「向こうも今終わったらしいから出ようか。ちょうどいい時間に着くと思う」
「はい。うわぁ、なんか緊張してきた」
「ええ...緊張する要素ないでしょ」
「先輩は元からあの顔に慣れているから言えるんですよ」
どうやら、遥稀の友達は美形らしい。
数人の目の色が変わった。怖っ。
「いやいや、めぐみ、さすがに尾行はダメだって」
「えーでも香奈も気になるよね?遥稀の友達」
「いや、ゆかも悪ノリしない。気になるかと言われたらそうだけど」
「それなら問題ないよ」
「いや、大ありでしょ」
めぐみちゃんとゆかは尾行しようとしていてそれを香奈が必死に止めている。文芸部って本当に仲が良いなぁ。
「それなら、私達もテスト勉強しに行こうよー。それなら問題ないよね?」
「テスト勉強?ゆかが?頭でも打った?」
「ひどっ!まあ、そうだなぁ。図書館で勉強したい気分かも」
「それなら自習室のある大きな図書館があるよね。そこでやらない?」
「はぁ...わかった...勉強しに行くだけだからね」
尾行は諦めて勉強することにしたらしい。
さて、私も家に帰って勉強することにしよう。明日の科目は苦手なものばかりだし。
私もカバンに勉強道具を詰めて家への帰りを急いだ。
はず、だった。
私は今、図書館の自習室にいる。右斜め前のテーブルにはめぐみちゃんとゆかと香奈。そして、対角線上の席に遥稀と後輩、そのお友達がいる。何故、こうなった。
遡ること数十分前。
家の鍵を取り出そうとカバンを漁るもない。今朝の記憶を必死に思い出したところ、慌てて家を出て、カギを忘れた。そしてそのことを忘れていた。
父は仕事、母は午後から用事があり夕方まで帰ってこない。さあ、どうする、というわけだ。
結果として時間を潰せる図書館まで来たわけなのだが、まさか出くわす、(まああちらはこっちに気がついてないけれども)とは思っていなかった。
3人の席は遥稀達の所から死角になっているらしく気がついていない様子だ。
そういえば、と後輩君が緊張していた美形を拝んでも罰は当たらないだろうとそっと盗み見る。男子の方は遥稀の隣に座り、背中しか見えないけど女子の方は顔を見ることができた。うん、確かに美形だ。
とても整った顔立ちをしていて目を引く。私以外にもチラチラと視線を向けているのが伺える。緊張するのも納得する美形っぷり。
「ハル、解き方わかった?」
「うん、ありがとう」
どうやら美少女の方が遥稀に勉強を教えているらしい。隣の男子は後輩君に教えている、ようだが時々頭を抱えているのが見える。
「す、すみません」
「いや、俺も教え方が不味かったのかもしれない」
「1年生は英語と世界史?」
「はい。世界史もやばいのに1番苦手な英語まで...」
「世界史のあの先生なら選択問題多めのはずだからそこまで勉強しなくても、」
「それ、先輩だから言えることですよ。っていうか、ゆか先輩とめぐみ先輩に聞いたんですけど、先輩テスト休み期間はひたすら苦手科目ばっか勉強して文系科目は特に勉強してないって本当ですか?」
「うん。ひたすら数学の公式とか化学の教科書と向き合ってる」
「そういえば、中学の時もそんな感じだったよな?テスト前の休み時間でノート見返すくらいで、自習時間はひたすら理数科目やってたような...」
「文系科目ってどう勉強したらいいかわかんなくて。授業聞いてれば大体理解できるし見直すくらいでいいかなって」
「数学こそ公式覚えたら終わりなのに...」
「数字見ると頭痛くなる」
「これは、根本的な問題だな...。まあいいや。遥稀だったらどうやって教える?」
遥稀は文系科目は勉強しないのか...。成績が良いからてっきり猛勉強しているのかと思ってた。違うのか...。
そうだ、遥稀に勉強を教えてもらったら成績が上がったって前にゆかが自慢していた。今こそその勉強法を聞くべきなのでは。
せっかくの機会だし耳を澄ませてみよう。
「歴史は流れで覚える。例えば、この戦争が起こった理由は元々この辺りで揉めていたのが原因でそこから、」
「せめて、テスト範囲でお願いします」
「世界史のノート家にあったはずだから明日持ってこようか?ゆかが成績上がったってお墨付き」
「いいんですか?さすが先輩」
「確かに、遥稀のノートっていいよな。シンプルで見やすいし」
「あまり色使ってないよね?基本黒と赤と青?」
「うん。覚えたいとこは青で注意点とか重要点は赤にしてる。後はテストには出ないけど興味あることは適当にメモしてる」
「ノート借りるなら遥稀だなってしみじみ思うよ...」
「まあ、蒼にノート貸すってなったら女の子すごく張り切りそうだもんね。うん」
「そうなんですか?」
「うん。中学時代から先輩後輩同級生からモテモテ。振った人は数知れず」
「いや、言い過ぎだから。断りはしたけど。ってか何で知ってるんだよ?」
「女子の間では有名だったのよ。落とせる子はいないんじゃないかって」
「へぇ...すごいですね」
「好きでもないのに告られたところで困るだけだけどな」
そんなことが言えるのはモテる人だけの特権だとは思うけど。まあいいや。歴史系は流れで覚える、か。うん、私も実践してみよう。
「遥稀、古典はどうしたら良いと思う?現代語訳苦手なんだよ」
「蒼、オススメした雨月物語とかは読んでくれたのに...」
「あ、いや、あれは現代語訳版を読んだだけだから。まだ不安なところがあってさ」
「蒼くん、ハルを悲しませたらどうなるかわかってるわよね?」
「遥稀、俺はお前が進めてくれた古典作品をきちんと読めるようになるために古典を上達したいんだ。教えてくれないか?」
こ、これにときめかない女子はいないのでは?考察するに多く話したいがために知りたいってことでしょ?あの人そこまで遥稀のことを...。
「え...普通に現代語訳でも良いと思うけど。その方が分かりやすいし」
「お、おう...そうだな...」
「ハルは、どういうところに気を付けて訳したりしてるの?」
「あんまり考えてないかも。大体会ってればいいかなって。でも文化的背景と書きにしてみるとやりやすいかも。あとは、現代社会と比較してみたり、同じところを探してみたり」
「昔と現代って結構違いますよ?」
「『枕草子』の『かたわらいたきもの』とかはそうでもないよ」
あれ?なんだかんだまた脱線してない?ゆかは本当に遥稀に教えてもらって成績上がったのかな?まあ、いいや。自分の勉強を進めよう。
私はそう思い直し、ノートに目を向けた。とりあえずは英語のワークと古典のノートの見直しから始めよう。
「あれ?蒼に舞依じゃん」
集中して勉強を進めしばらく経った頃、そんな声で私の集中力は切れた。声の方へ視線を向けると他校の制服を着た男子生徒が数名いた。
「お、遥稀ちゃんもいるじゃん」
「...。」
遥稀は肩を少し震わせて声を出すことはなかった。それに顔を上げようともしない。
「先輩?」
「先輩って、お前遥稀の後輩?」
「え、あ、はい。そうですが...」
「へぇーてっきり人とまともにしゃべることすらできないと思ってたのに意外でちゅねぇ?」
「...。」
「あの、先輩と知り合い、なんですよね?」
「あ?うんそう。ちょー仲良しでさぁ。な?遥稀ちゃん?」
遥稀はうつむいたまま何も言おうとしなかった。
「ハル、確かおすすめの本を紹介したいって言ってたよね?集中切れちゃったし今教えてくれない?」
「あ、え、あ、」
「ほら、行こ。...蒼くん、」
美少女は男子に何かを耳打ちして遥稀の手を引いて本棚の方へと向かって行った。
「それで、何か用?俺ら勉強してたんだけど」
先ほどの穏やかな声色とは違って男子の声はひどく冷淡だった。後輩君の表情が固まるほどに変化していたのだろう。
「勉強?なら俺らも、混ぜてくんね?」
「2人が戻ってきたら終わる予定だから残念だったな」
「は?その後輩くんは困るんじゃね?それに、俺らはもっと遥稀ちゃんとおしゃべりしたいと思ってるんだけどな」
「あ、僕は大丈夫です。要点をきちんと教えてもらったのでテスト大丈夫そうです」
後輩君も何かを察したのかそう援護した。
冷え切った空気の中、小声とは言え話が聞こえてくるのは非常に気まずい。ここは避難しよう。
私も集中が切れてしまったし。それに、遥稀の様子もなんだか気になる。
適当に本棚を見ていると人が一切いない歴史書コーナーに2人はいた。思わず物陰に隠れて様子を伺う。
「ハル、大丈夫だよ、大丈夫」
「まい、ごめんんさない、また、」
「大丈夫」
遥稀は静かにすすり泣いていた。少女はその背中をさすっている。
「いきなりで怖かったんだよね。大丈夫だよ。迷惑だなんて思ってないから」
「名前を呼ばれた瞬間、声が、出なくて、怖くて、大丈夫だってわかってるのに、それでも、」
「うん。わかってる。ハル、今日はもう勉強おわりにして帰ろうか。途中で寄り道して甘いもの食べて帰ろう」
「でも、」
「実はね、ハルの好きそうなお店を見つけて行きたいなって思ってたの。どうかな?」
「まいが、そう言ってくれるなら、行きたい、かも」
「うん。それじゃあそうしよう。ほら、涙拭いて」
意外なものを見てしまった。
弱弱しい遥稀。まるで見てはいけないものを見てしまった気がする。
明るくて、優しくて可愛いのに頼りがいがあって強かな「癒木遥稀」の意外な一面。誰かに話したとしても誰も信じてくれないような一面。
私はそっとその場を離れた。これ以上見てはいけない。きっと遥稀にとって見られて気分のいいものじゃないから。
席に戻ると男子はまだ冷たい視線を向けていた。その視線はそのままに帰る支度をしている。後輩君もそれに釣られるように帰り支度を整えている。
すべての支度が終えた頃、2人は戻って来た。先ほどと同じように遥稀は手を引かれている。
「おお、蒼くんありがとう」
「これくらいは良いって。それよりも、大丈夫そうか?」
「これから、甘いもの食べて帰る予定。渉くんもどう?」
「え、良いんですか?」
「巻き込んだお詫びに蒼くんが奢ってくれるよ」
「まあ、そうだな」
遥稀はうつむいたままだ。
「なあ、遥稀ちゃぁん」
「ひっ、」
男子生徒が肩に触れようとした際、遥稀は小さく悲鳴を上げて女子の後ろに隠れた。その肩は震えていて、握っていた手も先ほどよりも強く握っている。
「先輩...」
「ハル、行こ」
「遥稀のかばんは持ってるから大丈夫だ。行こうぜ。な」
カバンを見せた後、優しく遥稀の頭を撫でてそう言った。彼に対して恐怖心は抱いていないようだ。そして、美少女と男子は他校の男子生徒を一瞥して遥稀を守るようにその場を離れた。
私はそれをぼんやりと眺めていた。
目的がいなくなったのか男子生徒たちもしばらくした後にどこかへといなくなった。
そして、視界の端に呆気に取られているゆか達3人が目に入った。そうだ、この子たちは尾行してきたんだった。
「楓、ご飯よ」
家に帰りしばらく自室で勉強していると母にそう呼ばれた。集中したいのに図書館での遥稀の表情が頭から離れなくて集中できない。
あした、大丈夫だろうか。
初めて見た涙に弱弱しい声。意外過ぎる一面。
「明日、テストでしょ?大丈夫なの?」
「あーうん、お母さん、」
「ん?何?」
「あ、いや、やっぱり何でもない」
その日は早く寝て早起きして勉強すことにした。
翌日、緊張しながら私は登校した。そして、明るく挨拶する遥稀を見て肩の力た一気に抜けて行くのを感じた。
私の心配は杞憂に終わったらしい。そこにはいつも通りの「癒木遥稀」が浮いたのだから。
ああ、きっと昨日の出来事は夢だったのだろう。そう自分に言い聞かせて私はテストまでの時間を復習に費やした。