未知の観察(香奈)
癒木遥稀は私にとって不可思議な存在だった。
友人であるめぐみに紹介してもらって以降関りが増え、顔を合わせれば雑談ができるほど距離を縮めることができたがつくづくわけのわからない子だと思う。
普段はぼんやりしていて基本的には穏やか。背が高い私からすると小柄に見えて庇護欲がそそられる。悪い人について行ったり騙されたりはしないかとその様子を見るたびに心配になる。
しかし、彼女の興味のある話題やこちらが投げかけた質問に対しては非常に饒舌に言葉を返す。特に知識量と守備範囲は凄まじく授業では習っていない雑学まで精通している始末。
何なら仲のいい古典の先生に授業中、
「平安時代の婚姻儀式に使われた食べ物って何だったけ?あ、癒木さん、わかる?」
といきなり話題を振られても特に悩むことも困ることもなく、
「お餅ですよ。三日夜餅のことですよね?確か、文のやり取りをする、」
と教卓をはさんで話していたらしい。授業中なのにその会話を聞くだけでなんか和んだ、とB組の友人が言っていた。知識をひけらかす言い方ではないため特に誰も嫌味を言うことはなかったらしい。
教室内の空気感も「遥稀なら知っているよね」くらいのテンションだったらしい。いや、そうはならんだろ。さすが、B組の雑学女王というべきなのだろうか。
そして、もう1つ不思議なのが本心や思考回路が全くと言っていいほど読めないということだ。秘密や言いたくないことの1つや2つ人間なら持っていてるのが人間だということは理解している。そうだとしても、何もその隠していることの片鱗さえ見ることができない。一向にボロが出ないというのが正しいのだろうか。
人間関係に関しては誰でも受け入れることのできる懐や情の深さがある反面、ドライな面も見受けられる。たびたび彼女のもとへ訪れ、そして去っていく者を見たが、一切悲しそうな素振りや寂しそうな表情はなかった。まるでそれが当然というばかりの表情をしていた。
人間関係に興味がない、と言われればそこまでなのだけど。これはなんというか...。
「香奈も聞いてよ」
「あ、ごめん。なんの話だっけ?」
「めぐちゃんが、ナンパの押しに負けて連絡先を交換しちゃった話」
「うわっ、何でそんなことに...」
遥稀があまり興味なさそうにしているのを察しつつ続きを促す。
「だって、面倒だな、早く帰りたいなって思って...」
「そこで折れたらダメでしょ」
「ま、まあ、遥稀の言う通りだけど、それでどうしたの?」
「メッセージが来て、何か返さないと可哀そうかなって思って返したらまた相手から返信が来て、」
「う、うん」
遥稀が呆れた顔をしている。珍しい。
傍から見たらいつも通りに見えるんだろうなぁ。
「それで、通話しませんか?って」
「断ったらいいじゃん」
「グイグイ来られて困ってるの!」
あ、本を開き始めた。完全にめんどくさがってるな。
「遥稀、一応、聞いてあげな?」
私がそう言うとため息を吐きつつ渋々本を閉じた。
「私、こういうの専門外なんだけど」
中学の時、恋愛相談に巻き込まれて共感できずにいたら泣かれたとのこと。意外と共感性は乏しいらしい。いや、マイペースだし意外でもないか。
「客観的なアドバイスをください」
めぐみは必死の形相だ
「それじゃあ、無視してフェードアウトして終わりでいいと思う」
そして遥稀はバッサリと斬り捨てた。どうやら知らない人に対しては情というものを持ち合わせていないらしい。
「で、でも、何か返した方が、」
「それで押し切られて通話する未来が見える」
「そ、そこは、ほら、頑固さを発揮して、」
「連絡先を交換した時点で押しに弱いのバレてるからムリ。通話したら今度はまた会いたいって言われる」
オーバーキルだ。さて、めぐみはここからどう持ち直す?
「そ、それこそ、断って、」
「ムリでしょ」
またもやバッサリ斬り捨てられた。なんか、めぐみがかわいそうになってきた。
「ま、まあ、遥稀も落ち着いて。もう少し、優しいアドバイスを、」
「優しい、アドバイス...?でも、めぐちゃんこれ以上接触したら余計にめんどくさくなるんじゃ...。」
「いや、さすがに断り切れるでしょ。あ、オタクアピールしてみて引かせるとか、?」
「めぐちゃんの好きなジャンルって、広く受け入れられやすいものだし、向こうは完全に落としたいって思ってるはずだからバフ効果でマイナスにはならないと思う。むしろ、理解のある俺、をアピールしてカウンター決めてくるでしょ」
うぐ、分析が鋭い。
「とりあえず、通話断ってみる!」
めぐみがそう意気込んで昼休みは終わった。仲良くなってわかったことだけど、遥稀って割と辛辣で毒吐くよね...。
「どうしよう...助けて、香奈、ハルちゃん」
週明け、絶望した顔でめぐみはそう言った。遥稀は予想していたのか呆れた顔をしている。
「と、とりあえず落ち着きな?」
「うう...ハルちゃんの予想、いや、シナリオ通りに進んでいるよ...」
「えっと?どういうこと?」
めぐみ曰く、結局押され押され負けてしまい、通話してしまったらしい。そして、必死にオタクアピールをするも、逆に理解あることをアピールされるカウンターを食らった、とのこと。
「それで、もう1度会いたいって...」
「うっわ、遥稀の言った通りになってる。ほぼ予言じゃん」
遥稀は呆れた様子でこっちを見ている。預言者の才能でもあるのだろうか?いや、圧倒的なデータ量がなせる業なのか?小説はもちろん、ギャルゲーや乙女ゲーも嗜む程度には楽しんだと言っていたし。
いや、それなら乙女ゲーをガッツリやっているめぐみもできそうだけどできていないあたり、その辺の才能があるのかもしれない。
「無視しとけばよかったのに」
「いやぁ、オタクアピールでいけるかなって...」
「やるなら徹底的にやらないとダメでしょ」
あ、めぐみがしょげた。
そんなめぐみに気遣う言葉を掛けることなく遥稀はバフの効果について説明を始める。
要約すると、3次元のドルオタアピールをして引かせるのは案外難易度が高いとのこと。それが大手のアイドルであればあるほど。大手でなくともSNSの時代。情報は簡単に集められるし、共感しやすい話題に変換されてしまう。
そして、バフの効果が大きい。ライブの回数やグッズの収集についても些細なことに思える傾向があるし、何より、好きなことを必死に語っていて可愛い、そして、そんな子に対して何でも肯定できて優しい俺、を演出できる。
相手側からしてみれば落としたい子の趣味のリサーチと自らの寛容さをアピールすることのできるチャンスにしかなり得ない。
「いや、アニメについてもしっかり、」
「劇場版が公開されて大ヒットした時点でマイナー作品じゃないし、ただ単に話題を作っただけでしょ」
お、また切られた。ひとまず、めぐみの頭を撫でて慰める。
遥稀はそんな様子を横目にスマホを操作して、とある画像を表示した。ソシャゲの美少女キャラ。確か、男性向けのゲームだって宣伝が回っていて、あれ?これゲーム画面のスクショ。しかも、このランク。...。いや、考えるのはやめよう。
「わ、このキャラ可愛いね。水着?」
「このイラストから感じられる絵師のこだわりを最低5つ」
「え、?えっと、ひょ、表情?それから、えっと、」
慌てたようにイラストを凝視してめぐみは答始めた。正直何がしたいのかわからないので静観しておこう。というか、教室で表示するにはいささか刺激が強いのでは?これでオタバレしてないとか嘘だろ。
「感想がふつう」
どうやら、納得のいく答えが聞けなかったらしい。2つ目でギブアップしてたし仕方ないか。
「うっ、では、どうすれば良いでしょうか?先生」
降参のポーズでめぐみがそう言った。
先生と呼ばれた遥稀はポージングや水滴の位置、色味や目線について語り始めた。この熱の入りよう、結構やりこんでいるゲームに違いない。
現実逃避をしつつ話を聞き流す。なんだか、今までのイメージが音を立てて崩れていっている気がする。
「わかった?これくらい突き詰めて語らないと引かれない」
「う、うす...」
「ほら、めぐちゃんも実際に引いてるでしょ?」
「そ、そんなこと、ない、よ?」
いや、引いてるのが目に見えてわかる。嘘を吐くのが下手すぎる。というか、体感させるためにここまでするのか...。すごいな...。
「うわっ、またメッセージが...」
画面を見せてもらうと、どうにかデートに誘おうとしている文章が見えた。
「先生!どうしたら良いでしょうか?」
「え、スルーすれば、」
「いや、そうだけど、」
「会いたいの?」
「それはないです!」
この場でははっきり言えるのに。
「で、でも、どうにか穏便に終わらせたくて...」
その気持ちはわかる。波は立てたくないよね。そういうめぐみの優しさは長所だと思う。
「いや、めぐちゃん、穏便に終われると思わない方が良いよ」
「うぐっ」
「押しに弱いのバレてるし、どうにかごまかして時間を稼いでも向こうはどうにか押し通してくると思うけど」
「救いは、救いはないのでしょうか...?」
いや、その神を見るような目で訴えかけるのはやめなさい。遥稀も今度は微笑んで優しい言葉を掛けるのかな?さすがに可哀そうだし。
「いや、あると思わない方が良いと思う」
どうやら、神じゃなく悪魔だったようだ。
「...。もう、折れた方が楽になれるのかな?」
「嫌な思いしたり疲れるのはめぐちゃんだけどね」
遥稀は容赦なくめぐみの心を折りにいっている。
結局、昼休みはめぐみの心がへし折られ、曖昧なまま終わった。
この2人の関係性も不思議だ。めぐみが遥稀のそばを離れない理由もわからない。
そもそも、遥稀は何故めぐみが留まることを許しているのか。追い出す理由がないから、というのが大きそうではあるけれど、それなら、追い出す理由ができた時には追い出すのだろうか。遥稀なら無慈悲にできそうな気がする。そうなると、めぐみは...。
「ねえ、めぐみ、めぐみはさ、結構キツイこと言われてたけど平気なの?」
「ハルちゃんのこと?結構グサグサくるけど私のことを思っての言葉だから嬉しいかな」
めぐみは笑いながらそう言った。そして、少し顔を曇らせて言った。
「それよりも、当たり障りのないことを言われる方が...」
「嫌?」
「うん。だって、そうなったらハルちゃんは私に興味を失ったことになるから」
「興味?」
「うん、ハルちゃんに興味を持ってもらって、認められることが1番嬉しいの。だって、私のヒーローだから」
最後の方はよく聞こえなかったけど、少しだけ異常だと思った。
推しを見る目、いや、それよりももっと強い。まるで、心の底から心酔して崇拝しているような恍惚とした表情。
「あ、私、同担歓迎だから安心してね?」
いつもの優しくて明るい表情に戻ってこちらを安心させるようにめぐみはそう言った。
私は軽く頷いて席に座る。
何が惹きつけ、そこまで大きな想いを抱くことができるのかが不思議だ、あの2人がお互いに向ける矢印の大きさや色は傍から見てもわかるほどに違っている。彼女は、それで辛くないのだろうか。
そして、私も少しだけ興味がわいた。周りの人が避難所にして寄ってくる理由を。そして、何を考えて受け入れているのかを。
「もう少し、観察してみようかな」
癒木遥稀との関わりはまるで未知との遭遇。その不可思議をもう少し味わいたい。
私は心を躍らせながら次の授業の準備を始めた。