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初めて掛けてくれた声、涙をぬぐうために触れた手、安心させるために抱きしめてくれた、その優しいぬくもりを私は忘れられずにいる。
それは、穏やかで優しくて何よりも美しい時間だった。
「ん...。もう、朝か」
少しだけ楽しい夢を見た後に起床は少しだけ憂鬱になる。
温かいまどろみの中にいた方が気分も呼吸も楽だから。
「遥稀、そろそろ起きないと、」
「起きてるよ、母さん」
ベッドの上から降りた床は冷たくて、私の心を強張らせた。
そして、静かに息を吐いて自己暗示をかける。
「大丈夫。何もない。私は強い」
そう、学校なんて数時間の我慢。部活のためだけに私は学校へ行くんだ。
本棚からいくつか小説を取ってカバンに入れる。そして、私は食卓へとついた。
「最後のコンクールまであと少しでしょ?どうなの?」
「どうって、去年よりは良いかも?」
「部活終わったらすぐに受験勉強なんだから、進路は、」
「あーうん、ゆき兄からメッセージ来てた」
「それって従兄の幸人?あんた、連絡先交換してたの?」
「姉ちゃんが教えたって言ってた。やばっ、もう行くね」
「気を付けていくのよ」
ゆっくりと朝ごはんを食べているといつも出る時間になっていた。少し慌ててカバンを持って家の外に出る。
朝練まではまだ時間がある。でも、この時間に出ないときっと遅刻してしまう。
家から学校までは15分ほど。だけどわざと遠回りしてゆっくりと進んでいく。
あ、お腹が痛い。頭が少しだけぼんやりする。進むたびに重たくなる足をどうにか動かして学校へと向かう。
気がつくと、朝練も終わり、私は教室の自分の席に座っていた。
私の目の前には同じ部活のさくらとなおがいた。
「遥稀、ぼんやりしてどうしたの?」
「あ、うん、寝不足かも。何か話してた?」
「珍しいね?そういえば、」
「なお、トイレいこー」
なおが何かを言いかけたところでさくらが遮った。
「あ、うん。また後でね」
さくらは勝ち誇ったような視線を向けてなおとトイレに向かった。特に意味も興味のない視線を流し、ぼんやりとこれまでの出来事を思い返そうとする。
現在、教室には私1人。よく覚えていなけど、こうして特に怪我もなく無事だということは今日も何事もなくたどり着くことができたのだろう。
思考を巡らせて、覚えていないことを思いだそうとすることをやめた。これからきっと疲れるはずなのに朝から疲れることはしない方が良い。
いつからだろう。考えることが面倒に思えるようになったのは。
さくらのこちらを見下すような態度もクラスの冷たい雰囲気もすべてめんどくさい。特にさくらのマウントに関しては段々と反応することさえ面倒になってきた。
私はこれ以上の思考を止めるために本を開いた。
今日も1日が始まる。