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癒しの木  作者:
陽だまりの場所
14/90

融けそうな深海(蒼)

 バスに揺られること少し。降り立ったのは水族館から最も近いバス停。待ち合わせの時間まではまだ少し時間がある。

 ゆっくりと待ち合わせ場所へと向かう。


「あ、早緑さん、おはようございます」

「あ、小泉さんおはよう」


 どうやら、要の彼女の小泉由愛さんが1番乗りだったらしい。

 集合時間よりも早めに来るなんて彼女もまた今日を楽しみにしていたのだろう。ちなみに、先ほど遥稀からもう少しで着くと連絡があった。

 

「早緑さん、画面をじっと見つめてどうしたんですか?なんかニヤニヤしてますし」


 言い方に若干の棘を感じつつ、俺はできるだけ笑顔を作った。


「遥稀からメッセージが来てたから。もう少しで着くらしいよ」

「遥稀ちゃんが?というか、連絡とってたんですね」

「人酔いとかするから色々と心配で迷子になってないかなとか?」

「前から思ってましたけど、早緑さんって遥稀ちゃんに対して過保護じゃありませんか?遥稀ちゃんも高校生だし、そこまで大きく心配することってあります?」


 若干、引いたような口調で言われた。俺よりもまいの方が過保護な気はするけどそれは言わないでおく。きっと理解されないだろうから。


「おはよう。2人とも早いね」


 少し沈黙が流れたところで遥稀がやって来た。


「おはよう。無事にたどり着けたんだな」

「前に来たことがあるからね。道に迷わずにこれた」


 こうドヤ顔をしている遥稀の頭を撫でるのはもはや癖となっていた。整えられた髪型を崩さないように優しく手を置いて撫でる。

 小泉さんが何か言いたげにこちらを見ていたけど気にしない。


「由愛ちゃんも誘ってくれてありがとう」

「ううん、チケット余ってて無駄にするのもな、って思ってたから」

「由愛ちゃんはここには入ったことあるの?」

「実は初めてなんだ。ネットで評判がよかったから行ってみたくて、そしたら偶然チケットを貰ってラッキーだなって」

「え?すごいね」


 2人は楽しそうに会話を始めた。

 小泉さんの言葉からは先ほどのような棘を感じられない。なんというか、何故俺にはここまで棘を向けられるのかがよくわからない。

 こういう場合は彼氏の女友達に向けられるのが普通じゃないのだろうか?うちの姉ちゃんも彼氏の幼馴染にマウント取られてバチバチしていたし。

 そういえば、前に女は敵になり得ない存在にはわざわざ敵意をむき出しにすることはないって言ってたけど、そういうことなのだろうか?さすがに遥稀が侮られていることはないだろうけど、嫌な思いだけはしないように気をつけないと。


「悪い、遅くなった」

「要くん、大丈夫だよ。私達が早く着きすぎただけだから」

「うん、寝坊でもした?」

「それがさ、楽しみ過ぎて眠れなくて寝坊した」

「遠足前の子どもか」

「普段ガキのお前には言われたくないけどな」

「もう、2人ともみんな楽しみにしてたのは本当なんだから。私も早緑さんも早めに着いちゃったし」

「へー?蒼が?意外と楽しみにしてたんだな」

「まあ、それなりに。要みたいに寝坊はしなかったけどね」

「うぐっ」


 ひとまず全員揃ったところで俺達は早速水族館へと向かうことにした。

 遥稀と小泉さんが楽しそうに話して歩いているのを俺と要は後ろから見守る。きっと楽しい1日になるんだろうな。




 入館してすぐに俺たちは別行動をとることになった。イルカショーの時間に合流することにして俺は遥稀と館内を回る。

 

「そういえば、遥稀って水族館とか好きなの?」

「普通に好きだよ。水族館も動物園も好き。この前は1人で動物園に行って楽しかった」

「え、1人で?」

「うん。ライオンが見たくて行ったのにお昼寝中であんまり見られなかったけど」


 次こそはリベンジするんだと笑いながらそう言った。


「なんか、意外かも」

「え?何が?」


 どうやら口に出ていたらしい。軽く口を抑えてから息を吐いてから言葉を発する。


「だって、趣味がインドアだから外に出るの意外だなって」


 遥稀は目をぱちぱちして少し驚いたような表情を浮かべた。

 遥稀の趣味は読書にソシャゲ、そして創作活動だ。全て家の中でできること。それに加えてどちらかというと内向的で休日にはあまり外に出ないと以前言っていた。だから、わざわざライオンを見るためだけに外に出るのが少しだけ意外だった。


「確かに、そうかも」

「え、自分でも気づいてなかったの?」

「うん、そっか。私、もう1人でも外に出られるんだ...」

「遥稀...?」


 遥稀は嬉しそうに噛みしめるように笑っている。少し不思議だけどその姿に俺も嬉しくなった。


「蒼、気づかせてくれてありがとう」

「何もしてないけど、どういたしまして?」


 遥稀は両手で俺の手を握ってそう言った。本当に嬉しそうだ。


「本当に、急に、唐突にライオンが見たくなったの。何故かはわからないけど、頭の中からライオンが離れなくて、それで、」


 俺は楽しそうに話す遥稀に相槌を打ちながら耳を傾ける。この明るさが俺に元気を少しだけ分けてくれるのを感じる。

 あの日からそうだった。




 遥稀と会話をするようになったのは中2の時だった。同じクラスで委員会も同じだったから。騒がしくない比較的大人しいタイプだったから他の騒がしい女子よりも話す頻度は高めだった。

 そして、割とホラー系の本を読む俺とも話が合っておすすめの本を聞いたり逆に勧めたりの関係が続いていて、ホラー以外にもラノベなどのオススメ本も借りたりしていた。


「蒼って遥稀と仲いいよな。もしかして、」

「普通に友達。話してみると結構面白いよ」

「え、女子と話のは、ちょっとな...」


 確かに、遥稀は女子だけど他の女子と違って話しやすかった。

 キャーキャー騒がないし、上っ面の言葉だけで機嫌を取ろうとしない。本当に気楽で、楽しかった。


「ねえ、蒼くんになんて声掛けたらいいと思う?遥稀仲いいでしょ?」


 とある大会で、俺は最後の逆転のチャンスでミスをしてチームが負けてしまった。チーム内で責められることはなかったけど明らかに俺のせいで負けた。

 悔しくて、部活も勉強も落ち込んでいた時だった。大会から1週間も経った頃にクラスの女子の一部のそんな声が聞こえた。


「どんまい。気にしないで、悪くないんだから」

「次頑張ればいいじゃん。試合の蒼くん、カッコよかったよ」

「お疲れ、元気出しなよ」


 そんなありきたりな言葉が流れていく。そんな言葉にイライラしてそれだけのことにイラつく自分にもムカついた。

 会話を流し聞いている遥稀も結局他の女子と同じなんだと勝手に絶望してそのことにも少しイラついた。俺があそこでミスをしなければ、何度もそんなことを考えた。


「今は何も言う必要ないでしょ」

「は?何言ってるの?普段あれだけ仲良くしておいて薄情じゃない?」

「ただの慰めなんていらないでしょ。それに私は蒼を慰める言葉を持っていないし貴女もその言葉を持っていない。だから私に相談したんでしょ?」


 遥稀はその相談を突っぱねた。相談した女子がもごもごしている。

 きっと、俺が無反応でも怒ったとしても遥稀の言葉が悪かったと責任逃れするために相談したんだろう。


「人の心、ないの?人でなし」


 さくらが遥稀に向かってそう言った。でも、遥稀は特に何も言い返さなかった。

 言い返せるだけの語彙を持っているはずなのに。


「普段あんだけ仲良くしてるくせにさ、本当に冷たい。心も身長も小さいとか終わってるね」

「さくら、言い過ぎだよ」

「何?事実でしょ。友達に優しい言葉をかけてもらえないなんて蒼くんかわいそう」


 俺は、かわいそうなのか?自分のせいで負けて、周囲の励ましの言葉を受け入れることも気力を取り戻すことができない俺は、かわいそうなのだろうか。

 その会話を聞くだけで気分が悪くなるし、段々と自分が惨めに感じた。


「おい、遥稀、お前大丈夫かよ?」

「何が?」

「休み時間のやつ」


 放課後、帰ろうとしたところでそんな会話が聞こえた。そういえば、遥稀と要は同じ道場に通っていると言っていた。遥稀の従弟も同じ道場で彼を待っているのだろう。


「あれ?逆に要は必要だと思ってるの?慰めの言葉」

「オレは、それが人を立ち上がらせるなら必要だと思う」

「だから、心にもないこと言えって?」

「はあ、お前は極端すぎるんだよ。なんで蒼には必要ないって思うんだ?」

「今言ったところで受け入れられないから。すごく悔しい想いをしている人を追い詰めることなんて私にはできない。気持ちを消化できてようやく受け入れられるようになるんでしょ。その前に不必要で優しい毒のような言葉を投げつけるなんてただの自己満足だよ」

「遥稀...」

「それよりも、蒼のことかわいそうだって言ったことが許せない」

「かわいそう?蒼が?」

「かわいそうじゃないでしょ。本気で頑張って悔しくて落ち込んでいる人間に対する言葉じゃない。勝負の世界だから仕方ないことはあるけど、そんな簡単な一言で片づけていいことじゃないでしょ」

「お前、意外とそういうとこ感情の起伏激しいよな。教室でも言ってやればよかったのに」

「言ったところで共感できない冷めたいやつとか、人でなしとか心がないって言われるだけだよ。それに、教室で話してたら余計に蒼が気まずくなりそうだし」

「確かにな。だから、いつも通り接してたのか?」

「うん。蒼なら大丈夫でしょ。自分で立ち上がれる力を持ってると思うし」

「持ってなかったら?」

「うーん?さあ?」

「なんだよ、それ」


 みんなが気を使っている教室で遥稀と要だけが普通にいつも通りに接してきた。空元気でもどうにか普段通りに過ごせるのが楽だった。


「あれが、遥稀ですよ」

「うわっ」


 隣から遥稀の従弟の優弥がそう言った。いつの間に。


「遥稀が優しい言葉掛けてくれると思ったら大間違いですよ、蒼先輩」

「はは、初めから期待はしてないよ」


 俺がそう言うとつまらなそうに優弥は2人のもとに走って行った。


「優弥おそい」

「先生に捕まってた。それよりも、あれ見て!蒼先輩が泣いてるー!」

「え?うわ、まじだ」

「優弥、先輩を泣かせちゃダメでしょ」

「え?オレが何かしたの確定?十中八九遥稀のせいだって」

「私こそ何もしてないから」


 気がつくと俺の頬は涙が伝っていた。


「やば、オレ今日ハンカチ忘れたんだった。遥稀持ってる?」

「持ってる。はい」

「そうだよなぁ。普段仲いい癖に冷たいからだよな、遥稀が」

「冷たくないし。ほら、とりあえず涙拭いて。よしよし、要が冷たいし優弥がいじめるからだよね」

「ナチュラルに巻き込まれた!?」

「そんでナチュラルに頭撫でんな!?」

「え、まいは私が泣いてたらこうしてくれたから...。」


 そんな会話を聞きながら俺は流せるだけの涙を流した。

 少ししたら落ち着いて気分が少し晴れた。


「あ、ハンカチ洗って返す」

「気にしなくていいのに。大丈夫、まあ、蒼は強いよ。って、え?」

「あー遥稀がまた蒼先輩泣かせた」

「なんで!?」


 ゆっくりと冷えた心が温かくなっていく気がした。

 頭を撫でていたのに途中から背中を擦るようになっていた小さな手も、わたわたしながら必死に紡ぐ言葉も優しさもすべて温度が染み込んでいくようで心地よかった。


「やばっ、オレら遅刻じゃね?」

「え!?もうそんな時間!?」

「は、走って行けば何とか?あ、蒼それじゃあ、また明日ねー!」


 ふと時間に気づいた要の声により、遥稀は擦るのをやめた。少しだけ残念に思った。

 そして、慌てたように3人は駆け出した。

「また明日」その言葉が久しぶりに嬉しく思えた。




 ふと、目の前の遥稀を見る。いつの間にか深海魚のコーナーに来ていた。

 他よりも薄暗い大きな水槽を見つめている。遥稀にとってはきっと特別なことではなかっただろう。それでも、俺は前を向いて強くなりたいと思った。「強い」と言ってくれたあの日の遥稀を裏切りたくないから。


「遥稀...」


 そう名前を呼ぶ。遥稀は何も反応しない。

 隣に立ち、様子を伺う。その瞳は深海に引き込まれそうになっているように見えた。


「遥稀、」


 思わず、手を引いて腕の中に閉じ込める。

 このままだと遥稀が深海に招かれて溺れてしまうのではないかと恐怖に苛まれた。心臓がバクバクと激しく音をたてる。

 深海の様子は暗くて静かで、生気のない瞳に似ている。もう一度足を踏み入れてしまったら遥稀はきっと戻って来られないだろう。暗い中に沈んでいって浮き上がることはなく、そのまま。そう考えるだけで恐怖心は一層増していく。


「蒼、痛いし苦しい」

「あ、悪い」


 思っていたよりも力が籠っていたらしい。くぐもった遥稀の声にハッとする。


「どうしたの?もしかして、暗いの苦手だった?」

「あ、いや、遥稀が、」


 融けて消えそうで怖かった、とは言えなかった。


「私が?」

「あ、いや、」


 俺がごもっていると遥稀は何かを勝手に納得したように頷いた。


「つまり、暗いのが怖いけど周囲にバレるのが嫌だと」

「いや、ちが、」

「はい、手繋いだら怖くないでしょ?」

「う、うん...」


 促されて遥稀の小さな手を握った。この小さな手からいろんな力が湧いてくるってすごいな。


「深海コーナーもう少し見たいけど蒼が怖いなら移動した方がいい?」

「いや、大丈夫、もう少し見ても。遥稀が見たいんだろ?」


 俺が強がっているように見えたのか遥稀は先ほどよりもしっかりと手を握った。

 融けてどこかへ行ってしまわないのならきっと大丈夫。俺が頷くと遥稀は嬉しそうに小声で楽し気に話しながら水槽を見ていた。俺もそれにつられて水槽を眺める。

 暗い暗い海の底。引き上げてくれたのはきっとこの頼りになる温かい手。

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