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癒しの木  作者:
陽だまりの場所
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癒しの木(ひな)

「おはよう」


 朝のにぎやかな時間、本を開いていた彼女に私は話しかけた。


「おはよう」

 ぽかんとした表情で彼女は私を見てそう言った。そしてまた、本に視線を落とす。そんな静かで何気ない一瞬が私はとても好きだった。


「ひなーこっちで話そー」


 友達に呼ばれた私は机にカバンを置いて輪の中に加わる。「ひな」こと私、白川日奈はそうしていつもの通りの日常へと足を進めた。

 我ながらつまらない人間だと思う。普通に友達がいて、普通に授業を受けて、部活に参加して帰る。ケンカももめ事も分裂もない。絵にかいたような順風満帆な日々。楽しくて幸せで心地いいはずなのになぜか少しだけつまらなくて物足りない。

 少しでいい。刺激が欲しい。うどんに入れるような七味唐辛子のような、そんな刺激が。



「何バカなこと言ってんのよ」

「いてっ、頭は叩かないでよ。髪が崩れちゃうし何より今よりもバカになっちゃうでしょ?」

「あんたがバカなのにそれよりもバカなことを言ってるからでしょ?ケンカももめ事もないとか最高じゃない」


 私は姉の言葉に口を噤んだ。

 2個上の姉は去年、クラス内のグループ紛争に巻き込まれてボッチになった、らしい。進級までの半年間、なかなかの苦境に立たされ、未だに1人でいるところを時々見かける。


「まあ、結局人間ってのは自分が1番可愛いものなのよ」


 暗い笑顔を張り付けた姉の顔は未だに忘れられずにいる。


「穏やかに過ごせるうちはまだいいのよ。でも、あんたも気をつけなさい。友達、いや、人間関係に絶対なんてものはないの」


 真剣な表情の圧に押されて私は頷いた。



 本当に些細な事だった。


「おはよう」


 いつも通り挨拶をして教室内を見る。友達と目が合った。

 そして、逸らされた。


「ちょっとトイレ行ってくるー」

「あたしも行くー」


 ちょっとタイミングがずれたのかもしれない。きっとそう。

 私は自分自身にそう言い聞かせてカバンからノートや筆箱を出した。

 不思議そうにこちらを見つめる視線に気がつかないまま。


「次―白川現代語訳してみろ」

「は、はい」

 古典の授業中、指名されて席を立つ。黒板に書き終えるとツーっと冷や汗が伝った。冷たい視線を感じる。きっと気のせい。そうに違いない。


「お、大体あってるな。いいか?この歌は、」


 席に着き、先生の解説を聞きつつ私はさっきのことを忘れよう、気のせいで済ませようと必死に忘れる努力をしようとした。

 次も、その次の時間も同じだった。移動教室の時、視線を向けても逸らされる。それどころか時折冷たい視線も感じる。そして、クラスの誰も気に留めることなく移動を始める。

 私はフラフラと席を立ち移動を始めた。今日はいつもより時の進みが遅く感じる。

 ふいに、教室前方のドアが開いた。


「え?」

「え、なに?」


 私が思わずこぼした声に彼女が反応した。何かを返さないといけない。


「えっと、いや、もう移動したのかと、」

「トイレに行ってただけだけど」

「あ、そう、なんだ」


 彼女は私の横をすり抜け、何事もないように移動の準備を始めた。また思わず声を掛ける。


「あ、あの、」

「なに?」

「い、いっしょに、行っても、いい?」


 私がそう言うと彼女は朝のようなぽかんとした顔をしていた。でも、断られることはなかった。


「目的地は一緒だよ?」

「あ、うん、だから、」

「早く行かないと遅れるよ」


 そう言って廊下へと足を進める背中を追う。拒絶も無視もされなかったことに安堵の息を漏らす。

 そのまま特に会話もないまま教室に着くと彼女は席に着いてまた本を広げた。時折言葉を掛けてくる人にはゆったりと返す。彼女の周囲には不思議な空気が流れている。クラスの中心にいるような人とも臆することなく言葉を交わす様子に少しだけ羨ましくなった。


 グループワーク中、浮いている私とは違ってすんなりと馴染んでいる。また、少しだけ羨ましいと思った。




 お昼休み、いつものグループにいられないことはわかっている。外に行こうにもあいにくの雨。周囲は既に固まっていて声を掛けることすら憚られる。

 彼女は自分の席でお昼の準備をしていた。

 何故か断られない自信はあった。朝の挨拶以外で声を掛けるのが2回目だからなのか、彼女の周りに流れている空気がそうさせるのかはわからない。少しだけ息を吸い、吐いてから彼女の前に立つ。


「あの、一緒にお昼食べてもいい?」


 グループからの視線を感じつつ、断れないとは思いつつも少しだけ緊張して震えた声で私はそう聞いた。


「うん。どうぞ」


 私の緊張とは裏腹にあっさりと即答した彼女に呆気にとられた。ひとまず許可が下りたので近くの椅子を寄せて座る。

 お弁当の包みはまだ開いていない。誰か来るのだろうか?

 何を話そう。沈黙を打破したいのに何も出てこない。というか、本当に一緒に食べても良いのだろうか?もしも迷惑だとしたら、


「ハルちゃん、来たよ」

「あ、めぐちゃん遅かったね」

「授業が長引いてさ、」


 そう言ってすぐ近くの椅子を寄せて座ったのは別のクラスの子だった。私を見ると優しい笑みを浮かべた可愛い子。名前は確か、村雨めぐみ。

 普段は教室から移動して食べているから知らなかったけど、周囲が何も言わないあたり、いつものことらしい。仲の良さそうな2人に混ざるなんて、本当に良いのだろうか?


「えっと、ひなちゃん、だよね?」

「え、あ、うん」

「地理選択だよね?私もなんだ」

「そうなんだ。あれ、でも、」


 私は彼女を見た。その視線で察したようにめぐちゃんが笑いながら話す。


「あ、ハルちゃんは日本史だよ。そっちの方が好きなんだって」

「仲いいのに?」


 私達のグループはみんな地理選択だった。仲がいいからという理由でなんとなく。


「好きなものとかも結構違うんだよ?お互い知らないことを知る機会になるから楽しいんだ。今は絶賛推しを布教中で、逆にハルちゃんの好きなものも布教されているの」


 好みが合わないと一緒に行動することも仲良くなることも難しいと思っていた。


「ねね、ひなちゃんは何が好き?」

「わ、私は、えっと、男性アイドル、とか2.5次元俳優とか、あとは2次元のアイドルコンテンツ、とか。お、おかしいよね。グループでは洋楽とかばっか聞いてるのに」

「そんなことないよ。私もアイドル大好きだし、ハルちゃんなんていろんなコンテンツに手を出しているんだから。ね?ハルちゃん」

「知ってるのあるかも。私は浅い方だと思うけどどんなの?」


 それから少しだけお互いの趣味について話した。意外だったのは2人ともオタク趣味に理解があるどころかがっつりこちら側という片鱗が見えたところだろう。

 彼女、ハルちゃんこと癒木遥稀はその手の知識を多く持っていた。

 本人はこちらが首をかしげるとしきりに「古すぎたか...。」と呟いていたけど純粋のこちらの熱量を受け止められる知識量はすごいと思った。


 めぐちゃんいわく、興味持ったことを集中的に調べて自らの知識とすることを趣味としている節があるらしく、それ故に理数系以外の科目の成績が良いとのことだった。その守備範囲は歴史や哲学、古典文学からサブカルなど多岐にわたるらしい。


「少しだけでもその知識欲を理数科目にも向けてくれたら間違いなくもっと上の順位なのにね」


 という言葉には目を反らして泳がせていた。

ツッコまれたくないことらしい。




「あ、私、トイレに行ってくる」


 お昼休みも終盤、ハルちゃんが席を立った。


「うん、いってらっしゃい」


 めぐちゃんの言葉に浮かせた腰を下ろしてその顔を見る。


「あ、ひなちゃんも行きたかったら行ってもいいよ?」


 そうじゃない。いや、でも、


「めぐちゃんはいいの?」

「え?うん。今は大丈夫かな。用もないのに行っても迷惑だし」

「そう、だね」


 きっと、めぐちゃんは女子がトイレで集まってどんなことを話しているのか知っている。教室でできないような話をしていつまでも居座るのは迷惑、そう言いたいのだろう。なんとなくわかってはいたけど、少し前の私も居座っていた側の人間だ。だって、行かなかったら私の悪口を言っているかもしれなかったから。


「ふふ、ひなちゃん、びっくりしてばっかりだね。まあ、気持ちはわかるよ」

「うん、2人とも強いなって」


 私がそう言うと、めぐちゃんは少しだけ驚いた顔をした後に笑った。


「ふふ、本当に強いのはハルちゃんだけどね。特定のグループに所属していないし。それを貫けるのはきっとハルちゃんくらい」

「うん。誰にも無視されないし、自然だよね」


 無所属で単独行動をとって自由な人。正直憧れるけど私には、いや、ほとんどの人には無理だと思う。女子のカースト社会ではリスクが高すぎる。グループは多少窮屈ではあるけれど、後ろ盾であり保険という役割を負っている。

 ハブられている私は今、最下位も同然だけど。


「下がいるとね、人は安心するんだよ」

「うん...」


 だから私はきっとハブられた。


「昔の人はさ、天は人の上に人を造らずっていうけど、実際はいろんな理由で格差がある。容姿とか、運動神経とか、成績とか」

「そう考えると、世の中って不平等だと思う」

「そうそう。でもね、ある時ね私のことを認めてくれる人がいるだけマシかもって思えたの」

「ハルちゃん?」

「そうそう、なんか、あの子の横にいると安心するっていうか、ここにいても良いんだって思えるの。慰めてくれることはないし、割と厳しい意見も言うけど、それでも私のことを真正面から見て受け止めて見てくれるから」


 そういうめぐちゃんの瞳は輝いていた。憧れの人を見るような、それよりも甘い淡い恋心のような不思議な表情をしている。


 認められるってどういうことなんだろう。私にはまだわからなかった。でもきっと、すごく心地の良いことなんだろうとめぐちゃんの表情から見て取れる。そして、ふと思い出したようにいたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。


「あ、でも噂で聞いたんだけど、ハルちゃんの周りは癒しの木陰とか避難所、野戦病院とかって言われてるみたいだよ」

「何それ」

「疲れた人や傷ついた人が少しだけ休んで進むための場所。かな」




 その時はめぐちゃんが寂しそうに笑いながらそう言った意味が分からなかった。

 でも、結局元のグループに戻った今ならわかる。一時休んだら進んでいく。元の場所や新しい場所を求めて。私も戻る時に少しだけ考えた。でも、


「関係が切れるわけでも一緒に過ごした時間が消えるわけでもないし、気にしなくてもいいよ。いろんな人を知ることができるから私はこれでいいの。そんなに気にしないで何かあったら来たらいいんだよ」

「何もなくても来てもいい?」


 私がそう聞くとハルちゃんはいたずらっ子の顔で


「めぐちゃんみたいに?」


 って聞いた。いや、めぐちゃんが来るのは何もないからではないと思う。ハルちゃんが察しているかどうかは別として。いや、これは知らないだろうな。


「うん、めぐちゃんみたいに」

「いつでもいいよ」


 穏やかに笑うハルちゃんを見てめぐちゃんが言った意味が少しだけわかった。温かい気持ちが広がっていく。私が私でいてもいいって認められたような安心感と心地よさ。


 

 木漏れ日のような空気で人を惹きつけ、温める。今日も癒しの木の近くには穏やかな時間が流れていた。

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