冥府王
邪竜は、魔法使いを持ち上げると、パクリと食べてしまいました。
フィルクさんは、敵の魔法使いが落とした魔導具を拾い上げます。
「ふむ。『ヤオヨロズ』の魔導具ですか。僕には使えなさそうです。一応、研究の為にもらっておきましょうか」
フィルクさんは、魔導具を胸にしまうと、魔杖を掲げます。
「さて、消火してしまいましょう」
フィルクさんは、掲げた魔杖に魔力を流し込みます。
魔杖変形「怒りを買いし海洋神」
フィルクさんは、手にした魔杖をぐるんとまわすと、その魔杖が一瞬で変化し始め三叉の槍の形状になりました。
フィルクさんが魔力を注ぐと、魔法の力がその槍の先に集中し、水が周囲に集まり始めました。
どうやら槍は、水属性魔法を放つための形態のようです。
「慈しみの雨」
フィルクさんの呪文と共に、火を消すための大量の雨が王都に降り注ぎます。
王都に広がっていた熱気が一気に奪われて、元の雰囲気に戻っていきます。
「すみません。遅くなってしまって」
ぐしゃぐしゃと、邪竜が人を咀嚼する音が響く中、フィルクさんは優しげに笑います。
助かった安堵と、恐怖で心の中がぐちゃぐちゃです。
後ろの邪竜の食事がなければ、素直にお礼を言えるのに。
「フィルクさん、ニルナはどこに」
「ああ、ニルナ様ならすでにストークムスにお出かけされましたよ」
お出かけ?
近所に散歩にでも行っている言い方です。
「一人でですか?」
「ええ、もちろんですよ」
攻めてきている国に王が一人で!?
あの子は、本当に無茶苦茶です。
昔から我儘な子ではありましたが、魔王になったことで常に暴走しています。
「僕ももう少し加勢したいところですが、最近困ったことに、クラウドラの動きもおかしいんですよね。レインリーとひと悶着起こしたようですが、遠すぎて情勢がよく分からなくて。ここより、ストークムスに行くとクラウドラがゼウスキャノンの射程圏内から外れるので……ニルナ様に頑張ってもらうしかなさそうですね」
いつの間にか元の形態に戻っている魔杖を見ます。
フィルクさんが使うことで、万の敵すら葬ることができる魔導具。
フィルクさんがワタクシを攻撃することはない。
そうは思うのですが、近くにあるだけで、震えが止まらなくなります。
そんなワタクシの姿を見て、フィルクさんは頭を下げました。
「ゼノヴィア様、あのときは本当に申し訳ありませんでした」
「な、なんのはなしですか」
「目の前で、ゼウスキャノンを撃ったことです」
「えっ?」
多分、先程ではなく、初めてゼウスキャノンを撃った時のことを話しているのでしょう。
クラウドラがサンヴァーラに攻め入った時、フィルクさんはクラウドラの軍隊にゼウスキャノンを撃ちこみ、撃退しました。
その時の、魔王のような青い月の瞳が恐ろしく、今でも忘れられません。
「正直、僕にとっては、魔法を使うことは簡単で、ニルナ様の指示をこなすことの方が難しかったので、ゼウスキャノンを撃つことなんてたいしたことがなかったんですよ。ですが、行いの重みが違いますよね。あれは命を奪う行為だった」
「それは……」
「でも、後悔はしていません。あれは、サンヴァーラを守るために必要な行為だった」
「そうですね。それは存じております」
「説明が足りていなかったと反省しています。事前に説明するべきでした。心構えがあれば、やることは同じでも捉え方がちがったでしょう」
「それは……」
「だから、今度はちゃんと説明してから魔法を使おうと思います」
「なにをですか?」
「ここで、冥界の扉を開きます」
「め、冥界の扉!? そ、それが、この戦いにひつようなのですか」
「そうなんですよ。クラウドラのときのようにストークムスの軍隊をゼウスキャノンで倒してもいいのですが……」
ストークムスは、フィルクさんのゼウスキャノンの存在を知っています。
小規模軍を分散させて攻めてきているとの情報です。
つまり……。
「アステーリ国民を巻き込んでしまうと」
「ええ、その通りです」
「冥界の扉を開くと、それが回避できるのですね」
「ええ。なので許可していただけますか」
「……そういうことならば、しかたありません」
ワタクシは頷くしかありませんでした。
国を救うすべがあるのに、自分のわがままで棒に振るわけにはいきません。
「では、いきますよ。ゼノヴィア様は、目を閉じておいてください」
そういうところは優しいんですよね。
何一つ、罪悪感を感じていないのに。
魔力解放「秩序宇宙」
フィルクさんは、魔力を放出しながら、羽ペンを取り出しました。
魔筆変形「魔封じの袋」
羽ペンは、変形すると膨れ上がった袋に姿を変えていきます。
魔法の袋の中から、原形を留めていない赤い肉塊がこぼれ落ちます。
「開け、冥界の扉!」
フィルクさんは魔杖をかかげました。
言葉に、応じて神秘的で不気味な雰囲気が辺りに広がります。
空間に異界の力を感じ始めます。
どうやら、扉と言っても、本当の扉があるわけではなく、異界との繋がりができるようです。
地面に光り輝く、魔法陣が発生します。
死人召還『覇王』
魔法陣の中から、百獣の王のような金色の髪を持つ大男が現れます。
肉体は引き締まり、もはや芸術的です。
瞳は太陽のように赤く輝いていました。
「ソウ様、お久しぶりです」
フィルクさんは、現れた大男に朗らかに話しかけ始めます。
「本当に呼びやがって、お前は子孫でもなんでもないだろう」
「いやー僕は、もうニルナ様と婚約しましたから、義理の子孫みたいなものですよ。いいじゃないですか」
「お前、本当無茶苦茶だな。でもどうすんだ。英霊召喚ではなく、死人なんかで召喚したら瘴気が辺りに充満してこの地がアンデットだらけになるぞ」
「それには、心配及びません。もうネガイラ様の魔法も解析終わっていますから、アンデットは僕の配下です」
「つまり、俺様もお前の配下か?」
「さすが、ソウ様、理解が早くて助かります」
目の前で、二人しかわからない言葉が飛び交い、私は目をまわしそうになります。
「ちょ、ちょっと、フィルクさん、この方、どちら様ですか?」
「ああ、こちらは、ニルナ様のご先祖、伝説の海賊王ソウ様です」
「んーん? えっ?」
情報が多すぎます。
目の前にいる人物は、200年前東の海で暴れていた海賊王。
ニルナの先祖に、海賊王がいて。
そんな人物を、フィルクさんは蘇らせた。
「死人召喚って、アンデットを発生させるといっていましたが?」
「サンヴァーラは、軍隊がいないので、アンデットで代わりにしようかなぁって」
それで、サンヴァーラは滅びかけたのに、率先してやっていていいのでしょうか。
というか、ここまで説明するべきなのでは?
まさか冥界の扉を開いて、アンデットを軍隊の代わりにしようと思っているだなんて思っていませんでした。
「でも、アンデットを無限湧きさせるわけにはいかないので、用意した人物がこちら」
突如、霧が発生すると、霧の中から、茶髪のマントを付けた小さな女の子が現れました。
「吸血王の古代種ルーンさんです」
フィルクさんは、行商人の商品紹介のような口調で私に紹介してきます。
ヴァンパイアロードエルフ?
なんだか合わせてはいけない種族が掛け合わされています。
なんで魔王軍の方たちがアステーリ城に総出で大集結しているのでしょうか。
救援出したのはワタクシです。
でも、加減があると思います。
そろそろどうにかしてほしい。
「ルーンさんはヴァンパイアなので、瘴気を吸収できます」
「すごいじゃろう」
ルーンさんは、小さな体で、胸を逸らしています。
「ルーンか」
「うむ。来てやったのじゃ。今度こそ大活躍間違いなしじゃぞ」
ルーンさんは、やる気に燃えています。
「もう、お昼寝してるだけの役立たずなんて言わせないのじゃああああ」
なにがあったのかわかりませんが、名誉挽回したいようです。
「久しぶりにコンビ組んでやるか。敵は山ほどいるんだろうな?」
「もちろんですよ」
ソウ様の言葉にフィルクさんが頷きました。
「はっはっは。久しぶりに、暴れるだけ暴れてやるか」
「いやーやっぱりソウ様は頼もしいですね」
「お前は、俺様すら手駒にするか。もうお前は、冥府王でも名乗るといいさ」
「ソウ様に、称号をいただけるとは、光栄ですね。今後は、そう名乗ることにしましょうか」
確かにフィルクさんは、そのくらい称号がないと、やってることと釣り合いが取れないかもしれません。
「ソウ、魔力をよこすんじゃ」
魔力解放『滅びの宴』
「ほらよ」
ソウ様が、与えた魔力をルーンさんが呑み込みます。
「来たのじゃ!」
魔獣変化「大狼」
ルーンさんは、灰色の毛皮に覆われた大きな獣に変化していた。
世界をかみ砕いてしまうほどの恐ろしい牙を持つ狼です。
ソウ様は、変化したルーンさんに飛び乗ります。
人馬一体の乗りこなしです。
「ソウ様、武器をどうぞ」
フィルクさんが、ソウ様に女性向けのような剣を渡しました。
「じゃあ、いってくる」
「はい。いってらっしゃい」
フィルクさんは、手を振って送り出しました。
食べ終わった邪竜が、グルルと鳴いて、フィルクさんに甘えてきます。
「シャドウ、お前は、上空を警戒してくれ。なんか怪しい物体が来たら教えるんだぞ」
アステーリの上空を漆黒の邪竜がぐるぐる旋回し始めました。
「これで安心ですね」
「あああ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう」
光り輝く国とまで謳われたアステーリが、一気に暗黒都市に。
魔王の属国になったのでわかり切っていたことではあります。
「さて、あとはゆっくりニルナ様の帰りをお茶でも飲みながら待ちましょうか」
「そんなのんきな」
フィルクさんは、仕事は終わったとばかりのすがすがしい顔をしています。
私は、フィルクさんの指で輝く光に気付きました。
フィルクさんと瞳と同じ色をしています。
「その指輪は?」
「ああ、これですか。いやーお恥ずかしい。この度、ニルナ様と婚約することになりまして」
たしか先ほども、海賊王にもそんなことを言っていた記憶があります。
「は、はぁ。じゃあ、フィルクさんは、ニルナを――フィアンセを一人で敵国に送り出したんですか?」
「はい。ニルナ様なら大丈夫ですよ」
確かにニルナは強くて、死んだりしないでしょう。
だけど、最愛の人を戦場に送り出すその神経が。
信じられない。
戸惑う私に、フィルクさんは、声をかけました。
「ゼノヴィア様は知ってますよね?」
「なにを」
笑いながら、フィルクさんは言いました。
「僕はいつだってお留守番ですから」