表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

ブカツ

アラームが鳴る。


深くにあった意識が無理やりに浮上して、身体は反射的に反転する。


ベッドのサイドテーブルに腕を伸ばす。


アラームを鳴らすスマートフォンの機能を解除して、やっと、意識と身体が繋がった。


わたしは唸る。掛布団に埋まって縮こまる。


夏が近づき、日に日に濃くなる夜の暑さで、背中に汗が滲んでいた。


そのまま眠ろうとするわたしに、二度目のアラームが鳴る。


——『6時35分』


わたしは、スマートフォンの画面を力いっぱい睨む。


のそりと、身体を起こして、目を擦る。


どうして、休日なのに、こんなに早く起きなければならないのか。


朝に弱いわたしは、不満に満ちた頭を叩き起こして、ベッドの外に足を踏み出した。


歯を磨き、顔を洗い、制服のシャツに腕を通す。


休日なのに制服を着るのは、寝ぼけているのではない。


妖に、学校へ来るよう言われたのだ。


***


「遅い、遅すぎる!」


校門前で先に待っていた妖が、お決まりのように吐く。


しかし、その溌溂としたテンションについていく元気はない。


「ごめんごめん」と適当な返答をする。


「早くするぞ」


制服姿の妖は、校内をずんずんと進んで行く。


遼ちゃんにもらった服が、この学校の制服でよかったと思う。


妖はどんな格好でも堂々としているに違いないが、一緒にいるわたしがそれでは困るのだ。


たとえば、着物のまま構内を歩き回られて、一緒にいるわたしまで変人扱いされるのはいやだ。


「学校に何があるっていうの?」


目的を持って、前へと向かっていく妖にわたしが尋ねると、妖は無邪気に笑った。


「ブカツ、だよ!」


そのまま妖は一点の迷いもなく、体育館へ乗り込もうとする。


わたしは、ぎょっとして玄関で妖を引き留めた。


扉一枚隔てた向こう側で、掛け声とボールが弾む音が響いている。


妖がしたいことは理解したけれど、このまま体育館に突撃されたらたまらない。


「長谷さんの練習を見学に来たのね!

でも、あんたもう、人に見えるんだから、正面から乗り込んだら怪しいに決まってるでしょ!」


大いに慌てるわたしとは反対に、妖は落ち着いていた。


「分かっているよ。裕子の邪魔をしてはいけないからな。こっちだ」


妖は、二階へと続く階段をすっと指差した。


妖の後ろについて二階に上ると、卓球台が四台設備されているだけの狭い空間に出た。


その足元には、横長の細い窓が設置されていて、そこからは、下の階の体育館が見渡せる。


「ここからなら、裕子たちは気付かないだろう!」


妖は得意げに言った。


妖の隣に腰を下ろすと、窓は丁度身体と同じくらいの高さだ。


その小さな窓の前に、わたしと妖は二人で並んでいた。


わたしたちの周りには、積みあげられた段ボールや、照明の器具などがあり、

確かにわたしたちの姿は上手く隠れていることだろう。


「ていうか、わたしを呼び出してまで、ここで何がしたいの?」


「ああ。呼び出したのは、作戦を一緒に練ろうと思ったんだが、

その前に裕子のブカツを見届けないといけないからな。俺の習慣なんだ」


「それって……わたし来る必要なかったんじゃない?」


「お前がいなくて、また屈強な男どもに囲まれたらって、思うと、その……困るだろ!」


妖はむきになって縮こまる。


どうやら妖が無意識に変な事をしでかさないように、わたしは呼ばれたらしい。


「そもそもは、お前が俺を見えるようにしたんだから」


そん付け足すように言ってきたので、わたしはそれ以上を追及できなかった。


わたしだって、どうしたら妖が元に戻るのか、

昨日からいくらだって考えてはいたけれど、答えが導き出せるわけはない。


そもそも、なんで妖が見えるようになったのかも、分からないのだ。


体育館に響く音は、わたしたちのいる二階の部屋にもやってくる。


鋭い音を発し、真剣にボールを打ち込むバレー部員たち。


その体育館の外側では、休日の穏やかな朝の時間が流れている。


朝の光に照らされた、体育館の床や、埃や、部員たちを、わたしと妖は眺める。


その中には、凛とした声を張り、機敏に動く長谷さんの姿がある。


バレーボールの知識に乏しいわたしにも、長谷さんの上手さは伝わる。


あの細い腕から繰り出される、空を切るような力強いサーブに、

「かっこいい……」と思わず声が漏れると、

それを聞き逃さなかった妖が、わたしを見て表情を柔らかくした。


何か言ってくるのかとわたしは身構えたが、妖はそのまま体育館を向き直す。


***


わたしたちに会話はなくなっていた。


どれほど、練習を見つめていたか分からない。


見学にも飽き始めているわたしに対して、

妖はいつまでもきらきらとした瞳で、長谷さんを眺めていた。


今だって、わたしは妖に視線を向けているというのに、妖が気付く気配はない。


わたしはもう一度、練習風景に集中しようと、正面を向き直す。


その時、視界の端に、何かがちらついた。


指ほどの大きさと蛇のような形で空に浮くそれは、

わたしの右肩の方にいて、ゆっくりだが近づいてくる。

妖の一種だった。


わたしは蛇のようなそれと触れ合わないように、

さりげなく後ろに身体をずらして、わたしの前の方に通り道を作る。


「お前、何避けてるんだ?」


長谷さんばかり見ていたはず妖に、声を掛けられて驚いた。


そして、こう付け足される。


「もしかして、こんなのが怖いのか、お前」


「こ、怖いわけじゃない」


わたしの声は戸惑いに、ふるえていた。


怪訝な表情を浮かべる彼だって妖なのだから、

あの蛇みたいなやつが見えるのだって当然なはずだ。


でも、誰かと妖に関する会話をしたのは初めてだ。


蛇みたいなやつを手に乗せた妖は、誘導するように、窓へと手を持っていく。


「こいつ、窓から出たいんだ。多分、壁は抜けられないんだな」


蛇みたいなやつは、細かく身体をうねらせながら、窓の外を抜けて、ゆっくり進んでいく。


「お前、変なやつだ。俺にはあんなに堂々話しかけてきたのに」


屈託なく笑われて、わたしは返事が出来なくなる。


あの時、話しかけられたのは自分にとっても想定外だったのだ。


しかし、わたしは、ある事に気が付く。


「ていうか、わたし、長谷さんが風邪ってあんたに伝えたよね。

なのに、なんで次の日学校いたの? 

学校に行ったって、長谷さんは来ないに決まってるじゃない」


妖は目をぱちくりさせて、答える。


「え? ああ。そういえば、お前、なんか変な事、言ってたな」


「変な事って!」


「しかし、変わらないよ。俺には、それしかやるがことなんだ」


ふっと目を細める妖に、なんだか上手く言葉が返せなかった。


自然と、口がきゅっと閉じる。


少し間を置いて、疑問をぶつけてみることにした。


「ねえ。どうして、長谷さんのこと好きなの?」


「は、はあ!?」


大声が、部屋に響く。


爆発するような声に驚いて、「静かに!」と息を飛ばす。


しかし、明らかに動揺している妖は、興奮のままに声を荒げる。


「俺は、裕子を幸せにしたいだけであって!」


「もう、うるさいってば!」


「だって、お前がいきなり変な事をいうから」


「変な事じゃないし。

こんな、休日の部活まで見に来て、ストーカーみたいに追い回してるじゃん」


「ストーカー! 違う、俺は、裕子を見守っているんだ!」


「好きじゃなかったら、あんな風に、見つめないし……」


「お、俺はなあ! 長谷の家を見守るって決めているのだ!

裕子だけじゃない。裕子が生まれる前から、長谷の家を……!」


妖は弁解しようとしているのだろうが、正直わたしは引いた。


「裕子の祖母の玲子が、まだ二つの足で立てないような頃を知っているし、

次に産まれた彩芽が育ち、縁を結び、裕子が産まれるときも見てきた」


妖怪ともなると、ストーカーの質が上がるらしい。


「彩芽とその夫が、亡くなった時も……」


そこまで言ってやっと、妖は落ち着きを取り戻した。


長谷さんが中学生の時、両親を事故で亡くした話は、高校でも密かに噂されていた。


帰る家を失った長谷さんは、今は父方の祖父母と暮らしているらしい。


多くの苦労はあったのだろうが、

直接聞いた話でもないので、可哀そうだと勝手に憐れむ事はやめていた。


「裕子は孤独だと、嘆き泣いていたが、俺はその隣にずっといた」


妖はしんとした瞳でそう言った。


体育館から聞こえる音に、長谷さんの声が混ざっている。


わたしは妖をからかうことをやめて、もう少し練習を眺めることにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ