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わざとではありません。

――見えるの?

わたしは言葉を詰まらせた。

声。心が囁く。妖がわたしに話しかけたのだ。


反応のないわたしに、妖が首を傾げた。

わたしは、はっとする。


「あ、じゃなくて、長谷さん、今日は風邪で学校来てないの! 明日も、多分、来ない!」


妖の目が、わたしを映して見開かれた。

そして、妖は何かを言おうとして、唇を動した。

その動作だけで、再びわたしは全ての動きを失う。

だから、あまりにも油断していた。


「あ、」


強い風が吹いて、呆けていたわたしは傘を手放した。

雨が一瞬で、わたしの全身を濡らす。

傘を取り戻そうと出した手は遅かった。

既に歩道橋の下へ急降下していた傘は、数度転がって、妖のいるバス停の支柱にかろうじて留まった。


何してるんだ、わたし!


妖どころじゃない事態に、急いで階段を駆け下りた。


幸い、周りに人はいないけれど、誰かに見られたら恥ずかしくてたまらない! 

これ以上、風に飛ばされまいと、急いで傘の元へ駆け寄った。


しかし、先に傘の前に立ったのは、わたしではなかった。


走っていたわたしの足は、みるみる遅く、そして、雨の中を歩く。

妖は、わたしの傘を、そっと見下ろしていた。

わたしが近づいても、妖の視線は傘にあるだけだ。


どうして、この妖の動きに、いちいち心を奪われるのだろう。


妖がふと、しゃがんで傘へ手を伸ばした。

わたしも傘に手を伸ばしたところだった。

傘の柄を先に掴んだのは、わたしだったけれど、妖と手が触れて驚く。


――妖って、触れるんだ。


一瞬、身体の中で激しい風が吹いたような感覚を覚えたが、一体何なのだろう。


「ありがとう。教えてくれて」


中性的な声がして、わたしの身体が密かに跳ねる。

妖が、わたしに礼を言った。

伏せられた瞳や、睫毛まで、見える距離にいる。


「あ、うん……。どういたしまして」


沈黙の代わりに、雨が鳴る。

立ち上がった妖は、わたしを眺めている。

それは、妖はわたしにもう用がないからだ。


もう少し話したくて開閉する唇を、わたしは隠すように、身体ごと傘の中に入れて立ち上がる。

わたしは、妖にお辞儀をした。

地面に吸い付きそうな足を動かして、再び歩道橋を上っていく。


丁度やってきたバスに乗り込むと、びしょ濡れのわたしを不思議に思って、他の乗客たちにじろじろと見られる。


そんな中、わたしは、窓の外に視線を投げた。

屋根の上にもう妖はいなかったけれど、屋根の下の地上で、妖は未だ立ち続けていた。



***



遼ちゃんの熱が、下がったらしい。

しかし、今週中は休むのだと、遼ちゃんから直接メッセージが来た。

「暇だ」というメッセージが、朝から嫌がらせみたいに続いて、

正直ムカつくけれど、その調子なら、来週からは元気な姿が見られるだろう。


ということは、遼ちゃんと一緒に風邪を引いた長谷さんも、来週から登校できるかな、と勝手な予想をしてみた。


遼ちゃんに「病人は寝とけ」と返事をして、スマートフォンをポケットに仕舞う。

朝を進むバスは、いつも通り、校舎前に停車した。


久々に晴れた空を、前日までの雨で残った水溜りが、見上げていた。

歩道橋にも点々と残る水溜りを避けつつ、わたしが思い出すのは「昨日」のことだ。


わたしは、あのバス停の屋根を見る。

妖はいない。

こんなことは初めてだった。

しかしこれは、昨日のわたしの話――「長谷さんが風邪でしばらく学校には来ないこと」を、妖がちゃんと聞き入れてくれたということだ。


――ばしゃん!


考え事のせいで、歩道橋の水溜りを思い切り踏んだ。

靴下まで飛沫が立つ。

あからさまに苦い顔をしてしまうが、わたしより後ろを歩く人間はいないので、誰にも気づかれない。


そこから先は、水溜りに注意して進む。

歩道橋の足元の景色は、見慣れない。

この歩道橋で、わたしは今まで、バス停ばかりを見ていたのだと、今更に気が付いた。




「お、おい!」



校門を通ろうとして、人の声がした気がした。



「お前だって、お前!」



聞き覚えがあるようで、ない声。

どうせわたしに向けられたものじゃない。変わらず足を進める。



「おい! 無視するな! そこの妖が見える、女!」



わたしは、ぎょっとして振り向いた。

声は校門の右脇の道から聞こえる。

その道角に、ぴょこっと、顔だけを出している男の子がいる。


「た、助けて」


これほど人間の情けない声を聞いたのは、初めてだ。

いや、「人間」ではない。――彼はバス停の妖だ。

わたしが驚く間もなく、妖はまたわたしを呼びつける。

一体どうなっているのか、わたしは急いで校門の隣の小道に駆け寄った。


小道に入り、近づいた妖は、今までの姿とは随分印象が違った。

普段、無表情な妖の顔は泣きそうに歪んでいるし、なんだか動きも世話しない。

目の前にいる妖は、わたしより身長は高いものの、華奢な女の子みたいに、腕を抱えて小刻みに震えている。


「あの……どう、したんですか」


相手は妖なので、傍からすれば一人で壁に喋る、やばい女だ。

わたしは、周囲に目を泳がせ、躊躇いながら妖に問う。


「どうしよう。俺、人に見えるようになっちまったんだ!」


「……は?」


「俺、いつもみたいにバス停の屋根にいたんだ。

なんか人の視線を感じるし、おかしいとなと思ってたら、校舎から出てきた大人の男どもに、降りて来いって怒鳴られて、挙句の果てには囲まれて、どっか連れてかれそうになった!」


この妖は何を言っているのだろう。

頭がついて行かず、めまいすらして、その場でふらつくけれど、妖は話をやめない。


「昨日、からなんだ! 昨日、お前に触れた後から、身体が変になって、朝になったら人間に見えるようになってたんだよ!」


「ちょっと待って、わたしのせいなの?」


「他に誰がいる!」


丁度、大通りを通りがかった学生が、小道で話し合うわたしたちに視線を向けた。

正確には、声を張り上げる妖の方に。

本当に、妖は人に見えるようになったのだ。

というか、そうだとしたら。

わたしは、興奮する妖の上から下までを眺めてみた。


「ねえ……。その姿で、駅前とか行ってない、よね」


「ああ、行ったよ! しかし、やはりみんな俺の方を見ていたんだ!」


頭を抱えたい気分だ。

当たり前だ。

妖が身に纏っているのは、明らかに今の時代を生きる人間の者ではない。

昔の映画に見るみたいな着物だ。

しかも、真っ白な着物。

そんな姿の子供が、朝から徘徊していれば、不審に思われない訳がない。


「俺、どうすればいいんだ?」


妖が涙目でわたしに問う。

そんなもの、わたしの方が知りたい。


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