今日も妖は
先生の言った通り、次の週から、雨は連日続いた。
アスファルトに張った水を吸い込んで、靴はぐしょぐしょ、靴下まで侵入済みだ。
バスの中はいつも以上に湿気を帯びていて、窓は水滴で灰色になり、外の景色を隠していた。
光がないせいか、いつもは控えめな、バスの無機質な色が主張し出す。
わたしは殺伐とした朝の光景に、淡いピンク色を見た。
そのピンク色は、長谷さんの傘だ。
綺麗にたたまれて、長谷さんの腕にお利口に掛かっている。
勝手ながら、クールな印象があった長谷さんが、可愛らしいピンクの傘を持っているのは、意外だった。
いや、失礼だな、と、ささやかに顔を振った。
長谷さんのこと、よく知らないし。
下を向くと、わたしのビニール傘が視界に映る。
お母さんが、どこかのお店で取り間違えてきたビニール傘。
サイズは大きいし、骨組みが歪んだところもあって、上手くたたむことも出来ない。
これが、長谷さんとわたしの違い。
心の中で呟くと、反発するように、傘の留め具が弾けて襞が広がった。
バスが停留所に停まった。
いつしか、下車する人混みの最後になろうとするのは、癖になっていた。
バスを降りて、不格好なビニール傘を開いた。
わたしはすぐに、大通りを挟んだバス停の方にに目をやる。
――やっぱり、いる。
小さなバス停の屋根の上に、わたしは今日も妖を見つける。
隠れる必要なんてないのに、そして、透けて隠れはしないビニール傘に、わたしは顔を被せて、妖のことをじっと観察してみた。
妖は、雨だというのに傘も差さず、晴れの日と変わらず、バス停の屋根から歩道橋を見上げていた。
濡れて寒くないのだろうか。
妖は降る雨を受け入れたまま、長谷さんを目で追った。
その瞳が、実際より潤んで映るのはなぜだろう。
軽く開かれた口元は、今にも言葉を紡ぎそうなのに、妖が長谷さんに語り掛けた日はない。
わたしは昨日の遼ちゃんの言葉を思い出す。
そっか。ずっと不思議だったのに、今はもう納得できた。
わたしはこの日、恋をする男の子の横顔を知ったのだった。
***
今日は、多いな。
休み時間、机に伏せながら、腕の隙間から教室を覗く。
ふわり、ふわり。乳白色の布を飛ばしたような、小さな塊の連続が、教室上部の空間を浮遊していた。
見えるのがわたしじゃなかったら、大雑把すぎると言われそうだが、わたしはあれも妖と呼ぶことにしている。
見ているだけなので、区別する理由もないし。
今日は、人のかたちをした妖もいた。
教壇の上をゆっくり歩いている、人影だ。
人影は、教壇の右端から左端へと歩行して、左端まで歩き切ると、すーっと消えていく。
そしてまた、右端に縋らを現わして、左端へと教壇を進んでいく。
あれは、そういう遊びなのだろうか。
話しかけることはないので、知る由もない。
雨や曇りで空気の流れが悪い日は、何故か、室内に留まる妖は多い。
廊下には他にもいたので、本日は極力、教室の外には出ないようにしようと決める。
触らぬ妖に祟りなし、だ。
「えなりー!」
机に伏す人間というものは、そっと放って置かれる部類だというのに、両肩をつかまれると遠慮なく起き上がらせられた。
誰の仕業かは、分かっている。人の名前を呼ぶだけで、図々しさまで目に見えそうななのは、もはや彼女の才能である。
「ねねね、これ見て!」
秋田由実。名前を呼ぶ隙も与えられず、スマートフォンの画面を、焦点の合わない眼球に突き付けられた。
「夏のフェスの出演アーティストが発表されたんだけど、わたしの好きなバントが出るの! ねー、一緒に行こう! 春奈も来るって!」
うんうん、わたしは首を縦に振るけれど、それは由実がわたしの肩を揺さぶっているせいだ。
揺れる視界の中、教室の遠くで、別のグループと話している春奈が、眉を下げてわたしに手を振っている。
恐らく、春奈もわたしと同じように、由実に強引に誘われたのだろう。
バレー部に所属する由実は、さらさらした細い髪質に、喋らなければ大人っぽい顔つきなのだが、この強気な性格が、折角の容姿を台無しにしている。
しかし、どういう点でお互いの反りが合ったのか、由実とは一年生から行動を共にしているのだ。
「やっばい、テンション上がってきた。他にもチェックしたいバンドがいくつか出るし。ね、帰りカラオケ付き合ってよ」
「いいよ、分かった」
雨の日の、じめついた空気を跳ね返す由美の勢いに、つられて頭が冴えてくる。
「なら、先帰ってって、遼ちゃんに連絡しよっと」
わたしはスマートフォンを取り出した。メッセージを打ち込むと、由実が画面を覗き込んだ。
「〝遼ちゃん〟って、七組のいつも一緒に帰ってるやつ?」
「うん、そうだよ」
「この前、春奈に聞いたけどさあ。あんたら、中学校の時、付き合ってたの?」
「……あー、うん。でも、中学生だったからさ、付き合うってよく分かってなくて。わたしにとっても、遼ちゃんにとっても、お互いは幼馴染で、兄弟みたいなものだねって、結局なったんだ」
「ふうん」
由実は不思議そうに首を傾げたけど、そこまでの興味はないようで、次の授業の教師がやってくると、「じゃあまた後で」と、自分の席に戻っていった。
自己中心的に思われがちな由実だけど、主張がしっかりできるだけで、共感を強要することはしない。
他人に対して、無関心という言葉も当てはまるけど、執拗に人を探ろうとしない由実の隣は、わたしには居心地が良い。






