9.夢に咲く桃
「まさか、清桃さまと翠ちゃんが親戚だったなんてねえ~」
「だからといって、お部屋まで準備いただくなんて……」
「みなさま、本当にご迷惑をおかけしました!」
「いえいえ、ボクらもおかげでかわいい女の子たちが拝めたし」
「俺は望んでない」
牡丹宮の奥、ひとけのない一室に沐辰先輩の喜びの声と浩宇先輩の深いため息が響いた。どうやら浩宇先輩は女性が苦手らしい。
牡丹宮は皇族の妃候補となる姫さまたちと、その側近やお世話をする女性たちの園だ。男性がいないわけではないけれど、やはり、男子三人がまとまって歩いているともなれば目立ってしまう。特に、先輩がたは人気があるようだ。沐辰先輩が女性陣からの黄色い歓声に笑顔を振りまいて、余計に騒ぎを大きくしたことが、浩宇先輩の疲れをさらに加速させたのは間違いないけれど。
「ふふふ、許してちょうだいね。今日はとくに、新しい男の子が来たって朝から牡丹宮も色めきたってたの。そこに、普段から人気な宝飾殿のおふたりに、うわさの男の子だもの」
人数分のお茶を入れた側近とともに、桃姉さまが現れる。側近の人は、わたしたちの前へとお茶を並べると、そのまま奥の部屋へと戻っていった。
桃姉さまはゆったりとした足取りでわたしたちの前に座る。お茶に口をつけることもなく、
「ねえ、翠?」
とわたしのほうへと意味深な視線を投げかけた。女性陣から新しい男の子として見ていただけているのであればなによりだ。だけど、この桃姉さまの視線は……。
わたしが曖昧に笑みを返すと、姉さまは折りたたまれた紙をわたしへ差し出した。
「昨晩、梓英兄さまからこのお手紙が届いたの。どういうことか、説明してくれるかしら」
にこりと笑みを向けられ、お茶に手を伸ばしかけていたわたしはひゅっと息を飲む。普段は誰よりも優しい桃姉さまの顔には今、明らかに怒りが貼り付けられていた。
「……えぇっと、ですね」
「言い訳は聞きませんよ」
ぴしゃり。一喝されたわたし同様、隣でお茶を飲んでいた先輩たちもビクリと肩を震わせる。姉さまは普段、牡丹宮一蝶のように可憐で、名前の通り柔和な女性として名をはせているはずだ。でも今は――普段怒らない人が怒ると怖いっていうのは、本当だったんですね……。
チラと先輩たちへ救難信号を送れば、沐辰先輩がそろりと手をあげる。
「あのお~……ボクら、退室しておきましょうか? 外で待っているといいますか、その、彼が万が一にも粗相をした際には、お申し付けいただければすぐに駆け付けますしぃ」
そういう意味じゃないです、先輩! わたしも、できることなら回れ右したいです!
「では、そうしていただけるかしら? ごめんなさいね、せっかく来ていただいたのに」
「いえ、滅相もございません」
続けて起立したのは浩宇先輩だ。彼ならわたしを助けてくれるのでは、と思ったが甘かった。
「ありがとう。親戚同士、久しぶりに顔を合わせたでしょう? いろいろと話したいことがたあっぷりとあるの」
「それじゃあ、失礼します!」
桃姉さまが軽く手を振ると、ふたりは顔を見合わせてとてつもない勢いで部屋を出ていってしまった。
なんてこと! この状況でわたしを置いて出ていくだなんて、信じられません! わたしも今すぐ先輩のもとへ!
「で? 珠翠? これはどういうことかしら」
わたしの首根っこを逃がさないとばかりにひょいと掴んだ姉さまの笑い声が耳元で聞こえる。
「そ、それはですねえ……」
「女子禁制の宝飾殿の試験を、男装して受験するだなんて。しかも、偽名だけじゃなく、身分も詐称したようね。このまま男装して、男子として働き続けるつもりかしら?」
まずい。まずいです。超、まずいです! 観念して振り返ると、姉さまの深い緑の瞳がわたしを貫く。
「どうして、そんな危険なマネをしたの」
いつもは綺麗な姉さまの顔が、怒りではなく悲痛にゆがんでいた。
「いい? 身分を詐称して皇宮に入りこむのは、皇族を狙う暗殺者と同じ手口なの。あなたにそんなつもりがなくても、ばれたらどうなるか……」
わたしの肩を掴む桃姉さまの手が震えている。胸がズンと重くなる。わたしの身を案じて、怒っていてくださったのだ。それも愛ゆえ。まさか、姉さまがこんなにも心配してくださっていたなんて思いもしなかった。
「でも……」
諦めきれなかったのだ。
生まれながらの性別だけで、夢が閉ざされてしまうことを。
それを受け入れて生きていくことが、わたしにはできなかったのだ。
幼いころからあこがれ続けたあの美しい金の輝きを、どうしてもこの手に掴みたかった。
わがままと言われても、これだけは譲れなかった。
「ごめんなさい、姉さま。わたし、どうしても諦めきれないんです。ずっと、ずっと、子供のころからあこがれ続けた夢だから」
「珠翠は夢のために死んでもいいの?」
「夢のために死ねるなら、わたしは本望なんですよ」
ゆっくりとわたしを見据える深緑から、わたしも目をそらすことはない。
我慢比べなら、得意ですよ。
姉さまと見つめあうこと数秒、
「……ほんと、珠翠って、昔から頑固なんだから」
姉さまはわたしから手を離すと、まだ口をつけていなかった茶器へと手を伸ばして、一気にお茶をあおった。
「ね、姉さま⁉」
自暴自棄になったのかと思うほど豪快な姉さまの姿に、わたしもつい慌ててしまう。空っぽになった茶器をトン、と机の上に置くと、姉さまはもう一度深く息をはき出した。
「……いいわ。あの、珠翠ラブな紫釉兄さまと桂兄さまが説得できなかったんだもの。しかたないわね」
桃姉さまがわたしの手を握る。
「いい? 珠翠、これはあなたが決めたことよ。わたくしもできる限りの協力はするわ、だから、その夢を必ず貫き通しさない」
桃の花がほころび、咲き誇るように、桃姉さまの笑みは美しかった。