8.碧色の制服に身を包んだら
「うわぁぁあ~! すごいです! とっても素敵です!」
沐辰先輩から渡された制服に身を包んだわたしは、思わず歓喜の声をあげた。
干した青草のようにやわらかで、朝露のようにみずみずしい碧色は、わたしもお気に入りの色だ。袖を振れば少し広めの袂が優雅にひるがえる。なめらかな絹の肌触りは最高で、なにより軽い。下衣がズボンなのも、動きやすくて嬉しいです。
「うんうん、翠ちゃん、とっても似合ってるよ~!」
「ああ、お前の瞳の色にもよく合っているしな。これでお前も立派な皇宮の役人だ」
宝飾殿をはじめ、皇族の服飾管理を担っている部署の人たちはみな、この制服を着るという。この制服さえ着ていれば、皇宮で変に目立つこともないらしいし、少しサイズが大きいから体のラインがばれることもない。つまり、完全にミッションコンプリートです!
「ちなみに、制服の色で役職が別れてるんだあ。武官は赤、文官は茶で、医官は白なんだよ。覚えておくといいかもね!」
「白……」
今朝、わたしを助けてくれた命の恩人を思い出す。たしか、彼は白の羽織を身に着けていた。服の素材はよいものだったし、もしかしたら医官の人だったのかも……。
「どうかしたの?」
「あ、いえ! なんでもないです!」
皇宮は広い。多くの人が働いているし、すぐには見つけられないかもしれないけれど、ずっといれば、いつかはもう一度会えるかもしれない。
わたしがひとりうなずくと、
「それじゃあ、皇宮内を案内しようか。明日から皇宮内で迷子にならないためにもね!」
と沐辰先輩がウインクを投げた。
広い。広すぎます。
わたしが庭先の木に手をついて、はあ、と息を漏らすと、
「大丈夫か?」
と浩宇先輩から声がかかった。
「な、なんとか……」
「そんなに体力がなくて、今までどうやって生きてきたんだ?」
「う……」
浩宇先輩の鋭いツッコミに、わたしは返す言葉もない。
今まで白華では引きこもって服か細工を作ってばかりいたのだ。体力なんてあるはずがない。もちろん、実家のお屋敷も決して狭くはないはずだけれど、やっぱり皇宮にはかなわない。今更だけど、わたし、体力がまったく足りていないのでは⁉ 今日からはしっかり体力づくりをしましょう。絶対にそれがいいです。
「まあまあ、翠ちゃんは今日花都に来たばっかりだし、しかたないよ」
「それにしても……まあいい、少し休憩にしよう」
「ボクも賛成~!」
沐辰先輩はピョンと廊下の石畳を飛び出して中庭へと駆けていくと、池のそばの大きな岩に腰をおろす。続いて、わたしを気にかけながらも浩宇先輩が中庭へと続く石段の柱にもたれかかった。わたしはふたりの間、石段に腰かける。
「ね、翠ちゃんはどこの出身なの?」
ひと息をつく間もなく、沐辰先輩から声がかかる。
「あ、えと……」
少し迷って、出身くらいなら身元もばれないだろう、と推測したわたしが「白華です」と答えると、沐辰先輩は合点がいったと表情で訴えた。
「なるほどぉ、だから翠ちゃんはかわいいんだねえ。ボク、最初、女の子が来たのかと思ってびっくりしちゃった!」
「来るわけないだろう、女子禁制だ」
「わかってますよう! 浩宇先輩だってびっくりしてたくせに!」
「俺はただ……いや、まあ、そうだな……。お前、女に間違えられないか?」
「えっ⁉ え、ええ~、え~、ま、まあ? す、少しは、は、はい」
まずい、まずいです! バクバクと高鳴る心臓をなんとか必死に落ち着けようと、わたしは深呼吸を繰り返す。なんとか別の話題にしなくてはいけません。なにか、なにか……。
「ところで、お前、住むところはもう決まってるのか?」
「は、へ⁉」
ぐるぐると頭を回していたわたしに、浩宇先輩から神のようなパスが飛んでくる。うまく話題が変わって助かった、と思うと同時、わたしは自らが犯した痛恨のミスに気付いた。
「住む、ところ」
「そうだ、家はどうしたんだ?」
「あ、あの……えっと……」
せわしなく視線をさまよわせると、なにかを察知したらしい沐辰先輩が「まさか」と口元をひきつらせた。
「住むところ、決めずにきた、なんてことないよね?」
「え、えへ……へ……?」
わたしは「困りましたねえ」と頭をかいてみせる。すると、先輩たちは顔を見合わせ、それぞれにありえないと言いたげな視線でこちらを見つめてみせた。
「翠、お前、どうしてそれを先に言わないんだ!」
浩宇先輩の呆れと怒号の混ざった声が中庭に響き渡る。木の枝で羽を休めていた鳥たちが一斉にバサバサと飛び立ち、池のほとりで鳴いていたカエルが跳ねる。パシャリと水面が音を立て、続いて静寂が訪れる。
宝飾殿で働けるということに舞いあがっていて、肝心の花都での生活についてはまったく考えていなかった。つまり、どこに住むか、なんて基本的なことは完全に忘れていたのだ。
「ご、ごめんなさい~!」
わたしが大声で謝り、地面に頭をこすりつけた瞬間、
「どうかなさったの?」
まるで二胡のようにまろやかな声が聞こえた。
聞き覚えがあって、なつかしい。郷愁めいたものが胸をツンとついて、わたしはついその声に顔をあげてしまう。
パチン、と目があった。
自分のものよりも深い慈愛に満ちた緑の瞳、なにより、桃のようにやわらかく色づいた薄紅の唇。
彼女もまた、わたしを見てハッと目を見張る。
「しゅす……翠⁉」
「桃姉さま!」
見知ったその女性が、このピンチからわたしを救い出してくださる女神さまのように見えて、思わず涙がこぼれてしまいそうだった。