6.技は春色に輝いて
「それじゃあ、よーいドン!」
栗毛の先輩の合図と同時、わたしは勢いよく裁縫箱を開けた。
制限時間内にカバンを直す、シンプルな試験だ。材料だって、室内にある糸や布、針金なんかも使っていいらしい。だが、試験官は宝飾殿に勤める現役の先輩たちだ。先日受けた試験と同じくらい気が抜けない。
糸切りバサミを使ってちぎれた革ひもを縫い付けていた糸をほどく。引き抜き、革ひもをカバンからはずす。裁縫箱の中には、さすがに新しい革ひもまでは入っていない。室内を見渡せば、整理された棚のひとつに『革ひも』の文字。
「ちょうだいします」
先輩ふたりに声をかけて、革ひもを一本もらう。
きちんとなめされているのか、普段使っている革よりもなめらかな肌触りに、わたしは思わずうっとりと目を細めた。
この手触り……最高です……。
手に吸い付くような甘い感触。本当は一日中でもそれを堪能していたいけれど、今は試験中だ。指でそれをしばらく楽しんで、わたしは泣く泣く、切りっ放しにされていた先端をハサミで整えた。全体のバランスを見て、長さを整えれば、後は縫い付けるだけだ。
革用に使っている太めの針を片手に、わたしは糸を選ぶ。赤か青か……いや、ここは。
お気に入りの緑の糸。光沢があって、キラキラとしているそれは、わたしの目の色と同じで、昔からずっと大切なときに使っている。
今がその大切なときに違いない。
できる限り早く、けれど、丁寧に、一度縫った痕を隠すようにして糸を革ひもへ通していく。今度はちぎれてしまわないよう頑丈にしなくては。二重にした糸を隙間なく縫い、きっちりと止める。革の赤茶に、お気に入りの鮮やかな緑の糸がキラキラと映えた。
結び目を縫った穴へと入れこんで隠す。縫い終わりが見えないよう、裏地へ結び目を通せば……。
「よし」
次は留め具だ。革ひもを巻き付けていた留め具の部分も強い力がかかったせいで、革から留め具が浮いてしまっている。まずは留め具を縫い付けていた糸をほどく。このまま縫い直してもいいけれど……。多分、先輩たちが求めているのはそんなことではないはず。
わたしは留め具を脇へ置いて、再び棚を眺めた。糸と似たような色合いのひもがないかを探して、引き出しをいくつか開けていく。
「ありました!」
さすがは宝飾殿。必要なものはなんでもそろっているらしい。
しかも、想像していた以上だ。絹を束ねて編みこんだ太めのひもはやわらかな光沢感があるだけでなく、緑から青へとグラデーションがかかっている。このひもだけでご飯が三杯は食べられます。絶対に。
思わず頬ずりしたくなる。が、ぐっとこらえて、ありがたくそれをちょうだいする。
必要な分だけを切って、机の上へ。カバンからいらない布を取り出してたたみ、裁縫箱からはマチ針を引き抜く。ひもを布の中心に置いて、マチ針で固定すれば、準備完了だ。
さて、どう結ぼうか。
迷っているわたしに
「後少ししかないぞ」
と浩宇先輩から声がかかった。先輩たちふたりの間に立てられたロウソクはすでに半分ほど燃え尽きている。つまり、残り時間は後半分。
とりあえず、もう人さらいにあわないように、ですかね。
わたしはひもをマチ針で固定しながら編みこんでいく。先輩たちはわたしの手元を覗きこんだ。
「わあ、双銭結びだね!」
「厄除けか、なるほど」
さすがは先輩たちだ。伝統的な結び飾りのひとつやふたつ、頭に叩きこまれているのだろう。
だが、ただの双銭結びではカバンの留め具にはなりえない。革ひもをぐるぐると巻きつけて固定できるだけの形にするには……。
わたしは手早くひもを二重に編み、たるんだ部分を引き締めていく。形をくずさないように慎重に。
「器用だね」
栗毛の先輩が笑った気がした。わたしの口角も、先輩同様にすっかりあがりきっているのだろう。ひもがまるで生きもののように手の中で形を変えていくさまは、誰が見たって楽しいのだから。
ロウソクの火が揺れる。ロウがパタリと垂れていく。
焦る気持ちを抑えて、ゆっくり、ゆっくりとひもを引っ張って中心へ束ねていく。複雑に絡み合ったひもが互いを固定し、簡単にはほどけなくなる。
ぎゅっと最後の部分を引いたわたしはハサミでそっとひもを切り落とした。ほどけないようにひもの終端を球体の中へ押しこめば完成だ。
小さな花が咲いたようにも見えるそれは、ひものグラデーションのおかげで見る角度によって姿を変える。コロコロと手の中で転がして形を整えながら、でき栄えをチェックする。光に透かしてひも同士に隙間がないことを確認していると
「双銭環か」
浩宇先輩の顔も心なしかやわらいでいた。もしかすると、及第点をいただけたのかもしれない。
だが、安心している暇はない。残り時間はわずか。いつの間にかロウソクの背はすっかり低くなっている。
わたしは慌てて手を動かして、作ったばかりの双銭環を留め具の代わりにカバンへ縫い付けた。やはり裏地で止めて、双銭環を表から軽く引っ張ってみる。うん、悪くない。
新品の革ひもをくるくると青緑の双銭環に巻き付けてカバンを閉じてみれば、新しく生まれ変わったカバンの姿がわたしの目に飛びこんできた。
今朝まで、この革のカバンは銀の留め具がワンポイントになっているだけのシンプルなもので、どちらかといえば硬い印象だったのだ。それが今や、上質な糸や革、ひもの材質の助けもあって、全体的にやわらかな印象だ。しかも、革ひもを止めている新緑の糸と、深緑と青に彩られた双銭環のおかげか、春らしい爽やかな雰囲気を漂わせている。
「できました!」
わたしが顔をあげると、先輩たちふたりはカバンをじっと観察し――真剣な表情で、わたしを見つめた。