40.金碧の糸を編む
「翠ちゃぁ~ん! 助けてよぉ!」
「やめろ、沐辰! 珠翠さま、申し訳ありません」
「や、やめてくださいっ! 浩宇先輩、沐辰先輩!」
牡丹宮から少し離れたわたしの部屋に、懐かしい顔がそろう。
暁さまの妃候補として過ごすようになってもうすぐ一年。わたしは久しぶりに見る先輩たちの代わりない姿に、思わず笑みをこぼした。
「こんな夜遅くに、どうかしたのですか?」
わざわざこんな時間に、こんなところまでやってきたのだ。よほど助けてほしいことがあるに違いない。
わたしはふたりに椅子を進め、沸かしていたお茶を入れる。沐辰先輩のうめき声が後ろから聞こえた。
「翠ちゃん、聞いてくれる? 黒星さまったら、本当に、ほんとうに! 面倒くさいんだよお! やれ模様が地味だの、もっと派手にしろだの! そのくせお金にはうるさくてさあ!」
「沐辰」
「浩宇先輩だって、この間文句言ってたじゃないですかあ~! 翠ちゃんなら、こんなときにうまくやってくれるのにって!」
「ばっ! なんでそれを!」
「だからあ、毎回お酒飲んだらグチグチ言うのやめてくださいよぉ!」
相変わらず、ふたりは宝飾殿で仲よくやっているらしい。
わたしは入れたお茶をふたりに手渡す。長くなりそうだ。わたしも席に腰かけると、沐辰先輩は再び口を開いた。
「採寸だって、やたらと脇がキツイだの、帯が揺るいだのって細かいしさあ」
「こだわりのあるおかたなのだろう。俺だって、細工に使っている宝玉の色合いが微妙に違うと言われたんだ」
「そんなの、光の当たり具合でいくらでも変わりますよねえ!」
ふたりの愚痴がボロボロとこぼれる。
黒星さまの成人の儀まで、残り三か月。今年は昨年と違う慌ただしさがあるらしい、とわたしは苦笑した。
黒星さまは半年の禁固処分を終え、先日復帰されたらしい。相変わらず真面目で頑固なところは変わりないようだが、暁さまの考えかたにも一定の理解を示すようになり、民の声も少しではあるが聞くようになってきたという。
暁さまいわく、兄さまが死んだらすぐにでも皇帝になり、兄さまよりもいい皇帝であると言われたいから、と黒星さまはおっしゃっているようだ。なんだか言い訳がましいけれど、それでも以前の黒星さまと比べれば、本当に人が変わったようだと思う。
その分、ありとあらゆるところが更に厳しくなった、とも言われているようだが。
「とにかく! 翠ちゃんがいれば、もっと仕事も楽に回ると思うんだよぉ!」
沐辰先輩は一気にお茶をあおると、わたしに懇願の目を向ける。浩宇先輩もそんな沐辰先輩を咎めてはいるものの、チラチラとわたしを見ていた。
「えぇっと……とりあえず、暁さまに聞いてみましょうか?」
「いいの⁉」
「ええ。今は第一皇子の側付きですが、暁さまの服飾作りもしばらくはありませんし。わたしもそろそろ、なにか新しいものが作りたいと思っていたところで……」
「本当⁉」
沐辰先輩がガシッとわたしの手を掴んだ瞬間、
「沐辰?」
冷ややかな声がわたしたちの後ろから聞こえる。公務を終えたのか、暁さまが部屋の入り口でわたしたちを見つめていた。
「っとぉ……これは、これは! 暁さま! どうも、ご無沙汰しております~!」
「ああ、久しぶりだね。それで? この状況は?」
「なんでもないですよお! 本当に、なんでも! ねえ、浩宇先輩⁉」
「あ、ああ、その……黒星さまの成人の儀が近いので、珠翠さまのもとへご相談に伺った次第で」
暁さまは「ふぅん」と少し面白くなさそうにふたりを見やってから、わたしを後方からガバリと抱き寄せた。
「あ、暁さま⁉」
「それで、手なんか握るものかな?」
「そ、それは、ですねえ……ほらあ、ノリ? 的な感じでえ?」
「バカ、沐辰やめろ」
暁さまの綺麗な指がわたしの指に絡む。妙になまめかしく、ゆったりと絡められる指先に、しびれるような甘い感覚が伝う。
「あ、暁、さま……」
「珠翠、沐辰には気を付けろと以前も言ったよね? まったく、悪い子だ」
「あぁっとぉ……暁さま? ボクら、そろそろ、お暇しますね? 翠ちゃん、さっきの話は、また、今度」
「失礼します!」
浩宇先輩が沐辰先輩の背中をバシンと叩くと、そのまま沐辰先輩を引っ張って部屋を出ていく。
残されたわたしの体を、暁さまがひょいと抱えあげた。
ようやく暁さまの顔が見える。朱の髪は相変わらず美しくつやめき、その隙間から金色の光が漏れ出ている。
「なんの話だい?」
「えぇっと……黒星さまの、成人の儀の服飾について、人手が足りないと」
素直に答えるが吉。暁さまは、わたしが珠翠じゃないと身分をごまかしていたことや、男だと嘘をついていた過去をまだ根に持っているのだ。
なにも、暁さまに疑われるような変な話はないですよ、と笑みを作ってみせる。
「なるほど。皇宮内の官職について女子禁制の令は解いたが……たしかに、まだ宝飾殿には人を補充できていなかったな」
暁さまはふむ、と口元に手を当てて「早急に手を打とうか」と思案する。少しの間で算段をつけたのか、「それで?」とわたしを見つめた。
「珠翠はその仕事を引き受けたいのかい?」
「そう、ですね。できれば……」
一応、わたしは暁さまの妃候補だ。妃になるための教育やしきたりなども学ぶ必要があるし、そうでなくても、第一皇子の側付きとして暁さまの身の回りの世話をする時間が一日の大半を占めている。
そんな中で、宝飾殿の仕事を以前のようにこなせるかと言えば否。それはわたしもわかっている。
でも……。
「やっぱり、夢なんです」
美しく、煌びやかで、思わず見とれてしまうような皇族の服飾を作る。
今も変わらず、わたしはずっとその夢を追い続けている。きっと、これからも。
わたしがまっすぐに暁さまを見つめると、彼は困ったように笑った。
「まったく、僕よりもわがままなお姫さまだね」
暁さまが抱えたわたしの体をそっとベッドへおろす。そのままわたしの前髪を持ちあげると、そっと額に口づけを落とした。
わたしはその優しい熱に身を預ける。
窓の外、国中を照らす美しい満月が輝いていた。




