4.結ばれる運命の金の糸
「まさか、豆大福なんかでどうにかなるとでも?」
優雅に裾をたくしあげた青年がつぶれた豆大福を拾う。
わたしは青年と、その青年の服装に思わず息を飲んだ。
質のよい白の羽織りも、中に見える白い着物も彼によく似合っていた。蘇芳の糸で襟に施された刺繍は細かく、帯の赤ともマッチしている。全体を引き締めている黒の袴も艶のある材質で品がよい。いや、それだけではない。どの衣装も縫い目がほとんど見えないほどに細かく、ほつれや汚れはほとんどない。
すごく綺麗……。
思わず青年の服に手が伸びかかったところで、
「大丈夫かい?」
と青年から声がかかる。
美しい服装に見とれ、ぼんやりとしていたわたしは現実に引き戻された。
「す、すみません!」
慌てふためいて謝ると、青年の笑い声が弾ける。
「くっ……ははは、君、おもしろいね」
彼の朱い前髪の隙間、目じりにはやわらかなしわが刻まれている。人のよさが顔立ちにも表れていた。
「最近、こういう輩が多くてね。なかなか捕まえることもできないし、僕も困っていたところだったんだ。それにしても、豆大福ひとつで立ち向かうとは……ふ、ははは!」
青年はわたしに豆大福を差し出すと「中身は無事みたい」と目を細めた。
彼から豆大福を受け取った途端、現実がじわじわとわたしの体を覆っていく。
「君の勇気には賛辞を贈るけど、今度からはせめて、もう少し武器になるものを使ったほうがいいかもしれないね」
恥ずかしい。たしかに、彼の言う通りだ。冷静になってみれば、こんな小さい豆大福ひとつでなにができたというのだろう。
「で、でも! 本当にありがとうございました! すごく助かりました!」
真っ赤に染まった顔を見られぬよう、わたしは深く頭をさげる。恥ずかしさをごまかすため、というのもあるが、実際、見知らぬ街で、危うく見知らぬ人に連れ去られるところだったのだ。それを、見知らぬ人に助けてもらうだなんて。
「大したことはできないかもしれませんが、なにかお礼をさせてはいただけませんか?」
今すぐには無理でも。わたしが彼にすがると、青年は「気にしないで」と首を軽く横に振った。
「これも僕の仕事のひとつだから」
仕事のひとつ。その言葉に、わたしは「ああ!」と声をあげる。
「もしかして、武官さまでしたか!」
わたしの知っている武官さまの制服とは違う。けれど、非番ということもありえるし。
それなら、どうりで強いわけです。巨体の男をおそらく武術だけで、それも一撃で倒してしまったのですから。わたしと青年の間に転がっている男はいまだ目を回したまま。秘孔でもついたのかもしれません。本当に手練れです!
わたしが感心していると、青年は困ったように笑っただけだった。
「えぇっと……なにか、変なことを言ってしまいましたか?」
「ああ、いや、なんでもないよ。とにかく、男性とはいえ君は華奢だし、女性に間違われてしまうかも。そうでなくても、さっきみたいな輩がいるんだ。これからはもう少し気をつけるようにね」
青年の手がわたしの髪へ伸びる。当たり前のように乱れた髪が整えられていく。手慣れている。兄たちに頭を撫でられるときと同じ、心地よさだけがある。その大きな手に、安心と同時、なぜか小さく胸が弾んだ。
やがて、丁寧に前髪がかきわけられると、ようやくまともに視線がぶつかった。
吸いこまれてしまいそうな金の瞳がふたつ、まるで宝石のようにまばゆく輝いている。
わたしが無遠慮にじっと見つめてしまったからか、青年は驚いたように目を丸くした。
「……君」
「え?」
どこかで、と青年の口が動いたような気がした。
「こちらで人さらいがあったと聞きましたが!」
後ろからの大きな声。青年の問いかけに答える前に、わたしは反射的に声の方へと振り返ってしまった。見れば、今度こそ武官さまの制服を着た男性がこちらに走ってきている。誰かが助けを呼びに行ってくれたらしい。わたしはホッと胸を撫でおろす。
「大丈夫ですか?」
「はい! こちらのかたが助けてくださって」
わたしがパッと体を回転させると、先ほどまでいたはずの青年はその場から消えていた。
「あれっ⁉」
ついさっきまでは隣にいたのに。
わたしがキョロキョロとあたりを見回すと、周囲の人ごみに紛れて、遠くに朱色の髪が揺れているのが見える。その背を見失わないように追い続けると、彼の羽織っている白の上着が風に舞いあがった。
輝いたのは、裏地の金糸。
「え……?」
天亮国では、金は皇族を表す色だ。それが、編みこまれている羽織りを着ているということは……。
いやいやいや、見間違いですよね⁉ だって、いくら花都とはいえ、皇族の人がひとりで出歩いているなんてありえないですし! 光が反射して黄色が金色に見えるなんてことはよくあることです。事実、わたしだってそれを利用して、姉さまにお祝いごとにと黄色の髪飾りを作ったことがあるじゃないですか。
「気のせい、ですよね……?」
「どうかしましたか?」
武官さまに尋ねられ、わたしは我に返る。
「あっ!」
先ほどの青年に、まだ満足にお礼を言えていない。それどころか、彼の名前すら聞きそびれてしまった。これでは後で恩を返すことすらできないではありませんか。
どうしたものかとわたしが慌てているうちに、
「最近、花都では人さらいが多いんです。またさらわれてはいけませんから、お送りしましょう。どちらまで?」
と武官さまに質問を重ねられる。しかも、
「お~い! こっちだ! この男だ!」
他の武官さまたちもやってきて、倒れている男をどこかへ運んでいく。その騒ぎを聞きつけて、さらに多くの人が集まる。
わたしが皇宮まで行くのだと伝え、ようやくひと息ついたときには、命の恩人の姿はすっかり見えなくなっていた。
結局、言われるがまま皇宮へと案内されることになったわたしは、命の恩人、金の瞳の青年を追いかけることはできなかった。