39.新たな夢は薔薇色に
「だからって、なにも宝飾殿を辞めさせるなんて……」
先に口を開いたのは、浩宇先輩だった。いつもは厳格で真面目な浩宇先輩が、わたしをかばうように一歩前へ出る。
「たしかに、俺たちを騙していたことに変わりはないでしょう。宝飾殿は長きにわたり、女子禁制だ。ですが、翠はこの三か月間、男としてよく働いていました!」
浩宇先輩が静かに暁さまを睨みつける。すると、沐辰先輩もまた大きくうなずいた。
「そもそも、女子禁制だなんて変な話じゃないですかあ。女の人のほうが、こういうことは得意な人も多いはずだし、センスだっていいと思うんですよねえ。仕事に男がどうとか、女がどうとか、そんなの変ですよお」
沐辰先輩はぶすっと口をとがらせ、暁さまを見つめる。
「「なにも追い出す必要など!」」
ふたりが息を合わせて言う。ふぅ、ふぅ、と肩で息をするふたりは、その仕草すらぴったりと重ねていた。
しばらくの沈黙。
やがて、そんな重苦しい空気を払うように、暁さまがふっと口元を緩めた。
「すごく、言いにくいんだけど……みんな、もしかして、なにか勘違いしているんじゃないかい」
「え?」
わたしたちは三人で顔を見合わせる。
――勘違い?
暁さまは怪訝なわたしたちの様子も気にせず、ゴソゴソと襟の内側をさぐる。先ほど解雇通告書を取り出した内ポケットから、同じようにもう一枚の紙を差し出した。
「一緒にこれを渡そうと思っていたんだけど、なんだかタイミングを逃しちゃってね」
暁さまがわたしに「はい」と紙を渡す。
「これは?」
「見ればわかるよ」
暁さまがフッと微笑んだ。言われるがまま、わたしはその紙を開く。浩宇先輩と沐辰先輩も、わたしの後ろから紙を覗きこんだ。
「これは……」
「異動、通告書?」
「翠ちゃんが、宝飾殿から第一皇子の側付き、ならびに」
「妃、候補……」
わたしがその言葉を読むと、暁さまの目が三日月みたいに美しく細められた。
「そう、これは僕を散々騙した罰だね」
「でも、わたし、解雇って……」
「宝飾殿を解雇するとは言ったけど、皇宮を退去してくれとはひと言も言ってないよ」
暁さまはあっけらかんと答えた。
「え、でも……え⁉」
「待ってくださいよ! 妃候補って、それじゃあ……」
「暁さまと、翠ちゃんは……」
「え、え⁉ え⁉」
「あはは、言っただろう? 僕は諦めが悪いって」
暁さまがわたしの手を取る。わたしが驚いている間に、暁さまは
「それじゃあ、翠は今日から僕の妃だから」
と駆け出した。
「え、ちょっと! 暁さま⁉」
「暁さま~! それはずるいですよぉ~! ボクの翠ちゃんがぁ!」
後ろから先輩たちの声が聞こえる。わたしは手を引かれるまま走る。そのうちに暁さまがわたしを抱き寄せ、そのまま、わたしの体を持ちあげた。
「ちょっ⁉」
暁さまの腕の中にすっぽりと体ごとおさめられ、わたしはいよいよ身動きが取れなくなる。
廊下を嬉しそうに駆ける暁さまと、暁さまに抱えられるわたしの姿を見た人々は、驚いたようにこちらを見つめ、ときにはにぎやかし、そして、喜びに手を叩いた。
「あ、暁さま!」
わたしがおろしてください、と頼むと、暁さまはようやくひとけのない中庭でわたしをおろした。
「ど、どういうことですか⁉ なにが、一体どうなって⁉ っていうか、どうして、わたしが妃候補に! そもそも、第一皇子の側付きって一体……」
なにもかもがわかりません! だって、身分詐称、性別詐称の罰として、わたしは宝飾殿を解雇されたのですよね⁉ つまり、それは皇宮からは退去せよ、と言っているも同義ではありませんか!それが、どうして暁さまの側付きで、しかも、妃候補なのでしょう。妃候補って……妃候補って⁉ なにそれ、おいしいんですか⁉
「本当にわからないのかい?」
「だって、だって……」
「そんなに、珠翠は僕のことが嫌い?」
「しゅっ……」
突如名前を呼ばれ、わたしの体が硬直する。暁さまの甘くとろける蜜のような金の瞳に射抜かれ、わたしは「ぐ」と言葉に詰まった。
そんなの、ずるい。むしろ、好きです。恋を諦めた今でも、あなたのことが好き。
でも、暁さまは……。
「し、清桃さまはどうなさったのです!」
「どうしてそこで、清桃が出てくるんだい」
「だって、以前からおふたりは……」
わたしが大きな声をあげると、
「わたくしがどうかしたの?」
と桃姉さまの声がした。わたしが驚いて振り返ると、彼女はクスクスと笑う。
「本当にうまくやりましたわね、暁さま」
「君がいろいろと裏で手を回してくれていたおかげでね」
ふたりにしかわからない、秘密の合図を目で送りあって、暁さまと桃姉さまは口角をあげた。
「ど、どういうこと……?」
わたしが困惑していると、桃姉さまがわたしの耳元に口を寄せる。
「暁さまは初めから、あなたが珠翠だと知っていましたよ」
「え⁉」
桃姉さまは、頬に手を当て、ふぅ、と息をはくと、暁さまを見やって笑う。
「子供のころに、キラキラと目を輝かせていた少女が印象的でかわいらしかった、ぼくの初恋なんだとうるさくて。ずっと探していた人だから、翠は珠翠に間違いないと」
「清桃!」
「珠翠の身元を調べあげ、わたくしが姉だと知ってからはもうずっとそのことばかり。ですから、わたくしがアドバイスを」
「頼むからやめてくれ、清桃」
「どうしてですか? 事実ではありませんか」
「……努力は人に知られずにするものだよ」
「あら、それは失礼」
桃姉さまはニコリと微笑むと、「それじゃあ」と軽く手を挙げてわたしたちの横を通り過ぎていく。
暁さまは気恥しそうにわたしのほうを見て、
「今のは聞かなかったことにしてくれ」
と頭をかいた。
「でも」
「黒星が少し調べてわかることを、僕が調べていなかったとでも? 受験日、君をひと目見てすぐにわかったよ。まさか、合格するとは思っていなかったけどね」
「だったらどうして、知らないふりを」
「何度も会ったことがあると、確認をしただろう? でも、君が認めなかった。それに、あのときの君は、女性であることがばれたら、すぐにでも皇宮を去ってしまいそうだったからね」
暁さまは諦めたようにため息をつく。わたしもまた、暁さまにそう言われれば、たしかに女だとばれた時点で皇宮を辞めていたかも、と考えてしまって言葉に詰まった。
「それだけじゃない。僕にも、君を妃にするためにいくつか根回しが必要だった。いくら、僕が探し続けた相手だとしても、君を妃に押しあげる理由にはならない。皇族に自由恋愛なんて不可能だからね」
暁さまは苦笑して、けれどわたしの頭をそっと撫でる。
「本当は清桃に協力してもらって、君を妃にするはずだったんだ。あんな事件に巻きこまずともね」
成人の儀で起きた火災、そこでわたしが暁さまと黒星さまを救ったことが、結果的には身分詐称、性別詐称の罪を差し引いてもなお、妃にするだけの理由となったらしかった。
暁さまは肩をすくめる。
「君ほど、まっすぐ夢を諦めずに追い続けて、叶えられる人はいないよ」
彼の筋張った長い指が、頭から頬へとおりてきて、わたしの顎を持ちあげる。金色の瞳に、わたしの翡翠色の瞳が映りこんだ。
「これからは一生、僕の側で服を作って、細工をしてほしい」
それは、わたしがずっと描き続けた夢の新たな始まりだった。




