32.朱殷の祝宴
「暁さまの成人を祝し、芸者たちによる祝宴の舞を……」
皇帝さまをはじめ、親族のかたがたや上官さまからのお祝いの言葉が終わると、典礼堂の明かりは一段と暗くなった。
代わりに、芸者たちが卓の前に広がるステージ上へと並び、美しい舞が始まる。
緊張に包まれて粛然とした堂内が、芸者たちの舞に合わせて次第に熱を帯びていく。薄暗い中、ひときわ輝くステージ上の明かりが、より一層華やかさを演出していた。
「綺麗ですねえ」
のんびりとわたしが呟くと、沐辰先輩はすっかり魅入られているようで「そうだねえ」と生返事をひとつ。
舞は更に激しさを増していき、芸者たちの動きに合わせるように、ステージの火が煌々と燃えあがる。
芸者たちの舞も、クライマックスへ向かっていくようだった。
この舞が終われば、後は暁さまご自身によるお話と、祈祷師たちによる無病息災のお祓いを残すだけだ。
なんだか、あっという間ですね。
ここまでの三か月間が長かったから、余計にそう感じる。このたった一瞬のために、頑張ってきたのだ。それも、もう終わりが近いだなんて。
盛大なフィナーレを今まさに迎えようとしているその舞を見つめていると、
「……なにか、変だ」
さきほどまで舞にはまったく興味がないのか、退屈そうに座っていたはずの浩宇先輩が後ろに立っていた。
「え?」
わたしも言われるがままに堂内の様子を窺う。だが、目の前で行われている華やかな舞に釘付けになっている人々ばかりで、おかしなところはない。
「変じゃなくて、綺麗っていうんですよお」
隣で舞に魅了されている沐辰先輩も、変じゃないと浩宇先輩をからかうように笑う。だが、浩宇先輩は鋭い目つきのまま、わたしたちを押しのけて、窓の隙間からじっと堂内を観察する。
「香か?」
スン、と浩宇先輩が鼻をすする。
たしかに、言われてみれば、先ほどとは違う独特の香りがしているような……。それこそ、いつも宝飾殿で細工をしているときのような、金属を溶かしているときにも似たにおいがする。
「焦げ臭い……?」
わたしは言って、ハッと舞台上に目を向けた。
舞い踊る芸者たちの後ろで、妖しく揺らめく燭台。そこから、微量ながら煙があがっているように見える。芸者たちの動きによって空気の流れが変わるから、あまりよくは見えないけれど。
「もしかして……っ!」
嫌な予感が胸をよぎった瞬間だった。
カシャンッ――
舞の演奏には似合わない軽い音を立て、ステージの端、観客のほうからはほとんど見えない位置できらめいていた燭台がひとつ崩れ落ちた。
燭台から火がこぼれる。
「浩宇先輩!」
「行くぞ!」
わたしは思わず走り出した。浩宇先輩がすぐ後に続く。舞に見せられていた沐辰先輩の「え⁉ え⁉」と慌てふためく声が後ろに聞こえる。
暁さま暗殺。その言葉が脳裏をよぎる。暁さまが逃亡を繰り返していたからか、今回の式典準備はその多くを黒星さまが担っていた。まさか……。
わたしは頭を振って嫌な考えを追い払う。
支度室を出た先、典礼堂にそって長い廊下が続く。典礼堂の入り口は、正面入り口ひとつだけ。廊下の突きあたりを曲がり、一度外に出てからでなければ典礼堂へは入れない。それだけではない。今日は成人の儀で、たくさんの武官さまたちが外に待機している。典礼堂へ入ろうとする無礼な者たちをいつでも止められるよう、警備が増やされているのだ。それも、黒星さまの提案だったと聞いている。
わたしたちは、典礼堂への参列を認められていない。
それでも、今は考えている暇などなかった。
できる限り強く地面を蹴って走る。典礼堂はその重要性から頑丈な造りになっていて、中の声は聞こえない。
火は、どうなっているのでしょう。中の様子は? 暁さまは……。
まるで地面から影が追ってくるようにどこまでもついて離れない不安を振り払うように、わたしは更に足を動かす。
角を曲がり、外へ出ると、典礼堂の入り口の前、やはりそこにはたくさんの武官さまが見張りに立っていた。
「すみません、中に入れてください!」
わたしが声をあげると武官さまがフンと鼻を鳴らす。どうやらまだ中の騒ぎが伝わっていないらしい。
「お前たち、宝飾殿の人間だろう。裏方はすっこんでいろと言われなかったのか?」
大きな体がわたしをぬっと覗きこむ。
「はは、女みてぇな顔しやがって。軟弱ものは服でも作っていればいいんだ」
「っ! 女だったらなんなんです! 今はそんなことを言っている場合ではありません! 急がなければ、ここが火事になってしまいます!」
「火事ぃ? そんなもの、起こるわけ……」
「そこをどけっ!」
後ろから浩宇先輩の太い声が響き、わたしが言われるがまま半歩分さがった瞬間、武官さまの顔に拳がめりこんだ。
「ちょっ⁉ 浩宇先輩⁉」
「いいから行け! ここは俺と沐辰がなんとかする!」
「え⁉」
「ちょっと待ってよお~! ボク、戦うのとか無理い!」
武官さまに囲まれた沐辰先輩が浩宇先輩を睨みつける。浩宇先輩はおかまいなしに武官さまとやりあっていた。
「こっちは毎日細工作りで重たい金属運んでんだ! 服飾作りを舐めるな!」
「も~! それは浩宇先輩だけでしょ~!」
ふたりが武官さまを相手にしてくれているおかげで、入り口の見張りが減っていく。
「翠! 行け!」
浩宇先輩の怒号に背中を押されるように、わたしは慌てて武官さまの間を縫って走る。
入り口まで後少し! 扉を引けば中に……と、手を伸ばした瞬間、
「火事だあ!」
「逃げろおぉぉぉぉおお!」
扉が内側から開き、たくさんの人々が押し寄せるように中からあふれ出た。
「きゃぁっ⁉」
その勢いに押されてわたしは扉の外に転がる。制服が土煙を舞いあげ、美しい碧が汚れる。右足の膝に違和感を覚える。おそらく、擦りむいて血が出ているのかもしれない。
それでも、ここで止まるわけにはいかなかった。
わたしは体勢を立て直し、人々の波に逆らって、一歩一歩、地面を踏みしめる。
暁さま! 暁さま……!
外へ逃げてくる人々の中に、あの赤い髪は見当たらない。そもそも、暁さまはこんな状況で、みんなを置いて逃げるような人じゃない。
「暁さま!」
人々の波を押しのけ、典礼堂へと足を踏み入れたとき。
堂内は、先ほどまでの粛然とした様子は消え、炎と阿鼻叫喚のはびこる地獄と化していた。




