31.黒星と金星
わたしはゴクリとつばを飲む。衣装を身にまとった暁さまも、珍しく緊張した面持ちでうなずいた。
成人の儀、当日。
儀式を執り行う典礼堂のすぐ隣、用意された支度室で着付けを終えたわたしたちは、窓からそっと堂内の様子を窺う。
薄暗い典礼堂の中には、すでに大勢の武官さまや文官さまが整列して、そのときを待っている。裏方のわたしたちは式には参加せず、この場所で待機を命じられているが、医官さまや、儀式を盛り立てる楽隊、芸者たちも出席しているようで、堂内の人数は数えきれない。
普段、見かけない人たちの姿もある。おそらく、皇宮内で政を担当している上官さまたちだ。見るのは初めてだったが、彼らが派閥争いの中心なのだということはすぐにわかった。すでに視線で互いをけん制しあっている。成人の儀を行うための中央卓をはさんで、それぞれ派閥ごとに座っているらしい。
「気が重いよ」
暁さまがわたしの上からひょいと窓を覗く。小声でわたしに愚痴をこぼすあたり、本当にこの儀式が嫌だったのだろう。
「きっと、大丈夫ですよ」
恐れていることは、なにも起こらない。さすがに、儀式当日に派手に動こうなどという人はいないだろう。成人の儀には、現皇帝さまも、妃さまもいらっしゃるのだ。これだけ武官さまもいる。目立つような騒ぎを起こせば、まっさきに捕まって罰せられるに違いない。
いくら第二皇子といえど、暁さまを暗殺するなんて無理に決まっています。
言いながら、わたしは無意識に自らのお守りを握りしめていることに気づく。今や、暁さまの胸元に仕舞いこまれている片割れ。どうか、冠が、暁さまをお守りくださいますように。絶対に大丈夫だと思うのに、なぜかそう願わずにはいられない。
「暁さま、翠、そろそろ」
堂内の様子を窺っていたわたしたちを、浩宇先輩がつつく。窓から顔を背けた瞬間、後方でわあっと歓声と拍手が起こった。
「皇帝さま、ならびに、妃さま、第二夫人、第二皇子さまのご入場です」
緊張感のある進行役の声とともに、楽隊の演奏が始まった。
その音に振り返ると、暁さまほどではないにしろ、きらびやかな服飾を身にまとった皇帝さまたちがゆっくりと歩いてくる。中央卓の後ろに座るみなを気にせず、堂々と卓の前に並べられた椅子へと腰をおろす。
「あのかたが、黒星さま……」
髪をおろしていることの多い暁さまとは対照的に、ひとつの毛も余すことなく結いあげられた黒髪。キリリとつりあがった眉。くっきりとした目鼻立ちは、暁さまのものよりも鋭い印象を与える。不快感を眉間の谷に閉じこめていて、真一文字に結ばれた口元は笑いかたを知らないようだった。
黒い服に金の刺繍が入った衣装も、質素なものを好む暁さまとは正反対だ。まるで主役のように、さまざまな紋様で華やかに飾り立てられている。真面目そうな見た目、独特の硬質な雰囲気には合わない絢爛さは、まるで黒星さま自身を作りもののように見せた。
どこか異質な存在。暁さまとは違った意味での、なにか、奥底に秘めた熱を感じる。
わたしが黒星さまを凝視していると、隣で暁さまは「はじまった」と苦々しく呟いた。
仰々しく荘厳な儀式に思えるが、それこそ暁さまにとっては無駄な金なのだろう。現に、皇宮に品物を卸している商人たちはもちろん、皇宮外で暮らす一般の国民たちはひとりもこの場に出席していない。皇宮内だけの、いわば身内だけでの、盛大な祝いの場なのだ。
「暁さま」
ノックの音とともに、外から暁さまを呼ぶ声が聞こえ、わたしたちは現実に引き戻される。
「すぐに終わらせてくるよ」
暁さまは苦笑して、蔽膝をはためかせながらわたしたちに背中を向けた。
大きくて、たくましくて、頼もしくて、でも、やっぱり孤独な背中。
わたしが思わず手を伸ばそうとしたとき、
「行ってくる」
暁さまは覚悟を決めたように短く言って、支度室の扉を開けた。外にはすでに、暁さまのお付の人たちが暁さまを待っている。
「いってらっしゃい」
伸ばした手を引っこめる。わたしの声が聞こえたかはわからない。厳かに閉められた扉は、暁さまの表情を見ることさえ許さなかった。
浩宇先輩と沐辰先輩も、暁さまの大きな背中を見送って、口を閉ざす。ふたりも、暁さまの無事を祈っているようだった。
だが、しばらくすると、浩宇先輩が
「式典が終わるのは昼過ぎだ。終わったら、衣装を回収する」
と昨晩文官さまから教えられた段取りを確認するように呟いた。すでに式典が始まろうとしていることを考慮してか、外に声が漏れないように、わたしたちを集める。
「それまでは、典礼堂に立ち入らなければ自由にしていていいとのことだ。お前たちはどうする?」
戻ってもいいし、ここにいて、窓越しにだが式典を見ていてもいい。
わたしの答えはとっくに決まっている。
「残ります」
わたしが即答すると、隣で悩んでいた沐辰先輩もまた「そうだねえ」とのんびりうなずいた。
「せっかくの機会だし、それに、ボクらの衣装がめちゃくちゃにされないか、見張っておかないと」
「縁起でもないことを言うな、沐辰」
「あは、でも、浩宇先輩だって一緒でしょ?」
「俺はただ、自らの仕事に問題がなかったか最後まで見届けるだけだ」
浩宇先輩と沐辰先輩が笑いあう。
「暁さまを最後まで守るのが、俺たちの作った服飾なのだからな」
「それに、ボクらの作った衣装を着てる暁さまを見て、みんながびっくりするところも見たいしねえ」
わたしに向けられたふたりの笑みは、清々しくて、わたしはジンと胸が熱くなる。わたしがうなずくと、ふたりはくしゃくしゃとわたしの頭を撫でた。
小さな窓からばれないように堂内を覗いて、三人でそのときを待つ。
やがて、そのときは訪れた。
「第一皇子、暁さまがご入場されます」
進行役の声とともに、先ほどとは比にならないほどの大きな歓声と拍手、華やかな楽隊の演奏が始まった。
典礼堂の大きな扉がゆっくりと開く音。薄暗い中に差しこんだひと筋の光。
カツン、と石畳を高々に鳴らす靴音と、シャラシャラと金属音がこすれるかすかな音が、たしかにわたしの耳には聞こえた。
まるで朝を告げる陽のように輝く金星が、典礼堂に生まれたようだった。
みんなが息を止め、なびく赤髪からこぼれ落ちたきらめきを目で追いかける。
暁さまは、一瞬だけわたしたちのほうへと視線を向け、口元に笑みを浮かべる。
誰よりも美しく、気高く、この国を思う純真な心を持つ暁さまは、今、世界で一番の光を放って、わたしたちの前に立っていた。




