30.金の冠、碧のかんざし
「まさかこれほどとは思わなかったな」
鎖子甲を縫いつけた衣装の試着を終えた暁さまが苦笑した。
だが、彼の言葉に返事をした人はいなかった。
わたしも、浩宇先輩も、沐辰先輩も、暁さまの着飾った姿に息を飲んでいた。
鎖子甲を中にいれたからか衣装全体に重厚感が出た。結果、衣装は暁さまをより一層たくましく、貫禄ある青年に引き立てている。分厚い布地から覗くすらりと伸びた長い手足がより優美に際立ち、歩くたびに鳴るシャラシャラとした金属音はまるで星の誕生を祝うようだった。
浩宇先輩の作った冠も、沐辰先輩が作った衣装全体も、それぞれが強く主張しているのに、互いを活かしあっている。
わたしが作った靴と蔽膝はそれらに比べればやはり地味だ。だが、白色の布はまばゆい金の衣装と相まって輝き、一生懸命に縫った牡丹の刺繍は布の上でたおやかに咲き誇っている。散りばめた夜明珠は蓄えた緑光をやわらかに発し、帯の紅に彩りを添えていた。
すべてが予定調和。そう思わせるほどに、完璧だった。
すごい、と誰からともなく言葉が漏れ出る。けれど、それだけでは表しきれない。暁さま自身が持つなにかが、衣装をさらに高みへと導いているような気がする。
これほどまでに、美しく、荘厳な皇帝がかつていただろうか。
暁さまこそ、まさにこの国の次期皇帝に相応しい。
そう思わせるに充分な風格が、衣装からも、衣装をまとった暁さま本人からも放たれていた。
「よく、お似合いですよ……」
本当に。
わたしがこぼした声は、やがて震えて、涙になった。
皇族の衣装を作る。
その夢が今、叶ったのだ。
「本当に、ほんとうに……よく、お似合いです」
暁さまは慌てたようにわたしへと近づく。衣擦れの音とかすかな金属音が波の音のように響く。
暁さまはしなやかな指先でわたしの頬に触れると、こぼれ落ちた涙をためらいなく拭う。
きっと、暁さまは皇帝になられます。そうしたら、彼は遠くへ行ってしまわれるでしょう。もう、この手の熱を感じることはできなくなってしまう――
「暁さま」
わたしが小さく彼の名を呼ぶと、暁さまは「どうしたの」と甘く、やわらかに応えた。
「きっと、きっとうまくいきます。成人の儀は、きっと、成功しますよ。大丈夫です」
それは、ただの祈りだ。連日激しさを増す派閥争いを知っている。なんの根拠もなく、暁さまへの励ましにすらなりえない。
それでも、わたしは、そう信じたかった。
一生、この人にお仕えしたいと、そう願っているから。
「はは、翠は大げさだね。大丈夫、僕も心配はしてないよ」
暁さまがわたしの頭を撫でる手は、相変わらずやさしくてあたたかい。このままずっとこうしていられたらよいのに、とそんな贅沢な希望が心をよぎる。
けれど、皇宮でのわたしは珠翠ではなく翠で、男で、皇族の衣装を作る夢だけをずっと追い続けることが、わたしに唯一許されたこと。
それ以上は、望んではいけないのです。
「どうか、ご無事で」
わたしがあまりにも真剣に祈るからか、暁さまの表情からは笑みが消えていた。困ったような、なにかを考えこんでいるような、そんな顔で彼はわたしを見つめている。
やがて、暁さまは先輩たちふたりをチラと見やって、
「少し、翠を借りてもいいかい」
と衣装のままで宝飾殿の扉を開ける。
浩宇先輩は「断っても連れていくんでしょう」と呆れたようにため息をつき、沐辰先輩は「衣装を汚さないでくださいよ~」と眉をハの字にして笑う。
暁さまは礼をひとつ述べると、ごく自然にわたしの手を取って歩き出した。
握られた手が熱く、わたしはその手を振りほどくことができなかった。
「暁さま?」
気を紛らわすために「どこに」と聞けば、暁さまは黙ったまま、宝飾殿から一番近い中庭の前で足を止めた。
普段なら何人かが交代で休憩している庭も、みな、成人の儀の準備に忙しいのか、今は人ひとり見当たらない。穏やかな風が皇宮内に吹き抜け、静けさの中に、鳥のさえずりと草花の揺れる音だけがある。
「一体、どうなさったのです?」
ようやくほどかれた手。かわりに、暁さまがわたしだけを見つめた。
「翠に、頼みごとがあるんだ」
「ぼくに?」
「翠の、一番大切なものを、僕に一日だけ貸してくれないかい」
「え?」
わたしはまばたきを繰り返して、暁さまに理解ができないと訴える。いや、暁さまが言っていることは理解できる。けれど、その頼みごとが一体どんな意味を持っているのか、それは想像すらできなかった。
暁さまは少し恥ずかしそうに、
「僕も、お守りが欲しくなってね」
と付け加えた。
「お守り?」
「うん。以前、僕があげた冠を、翠はお守りにしていると言ってくれただろう。成人の儀が無事に終わるように、僕も、お守りが欲しくなったのさ」
みるみるうちに、暁さまの頬が赤く染まっていく。朱髪に紛れてわかりにくいが、耳まで赤い気が……。珍しい、とわたしがまじまじと暁さまを見つめると、暁さまは中庭へと体ごと顔を背けた。
「こ、子供っぽいってわかってるよ。僕だって、別に、誰だっていいわけじゃない。でも、翠はセンスがいいし」
慌てふためく暁さまは、本当に年相応の青年で、もうすぐ成人の儀を迎えるなんて信じられなかった。
こうしていれば、次期皇帝でも、第一皇子でもなく、ただの暁さまなのに。
わたしは、なんだかそれがおかしくて、愛おしくて、思わず笑みをこぼしてしまう。
「……ふふ、いいですよ」
わたしの大切なものが、暁さまの大切な一日をお守りできるのであれば。それ以上幸せなことなんてない。
「でも、驚かないでくださいね」
わたしは自らのお守り――暁さまがくださった冠――を取り出す。
今までなら、裁縫針や、刺繍糸が一番大切なものだったに違いないけれど。
「ぼくが今、一番大切にしているものはこれなんです」
冠からかんざしを引き抜いて、冠を暁さまに手渡した。
「だから、これを半分ずつ持っていましょう。成人の儀が無事に終わったら、また、ひとつに戻せばよいのです」
わたしが笑うと、暁さまは驚いたように目を見開いて、けれど、どこか嬉しそうにその冠を受け取った。
「はは、やっぱり、翠はセンスがいいね」
暁さまはクスクスと肩を揺らして笑い、そのうちに、笑い声をあげて楽しそうにその冠を胸元にしまった。




