3.華やかな街の黒い闇
「ふぉぉぁぁあああ~! ここが花都ですかぁ!」
白華領のどの建物よりも大きな赤い門を前に、わたしは思わず大きな声をあげた。
「はは、お兄さん、花都は初めてかい?」
「ええ! うわさには聞いておりましたが、こんなに大きいだなんて! すごいです!」
御者のおじさまに手を引かれ、わたしは馬車からおりる。
お母さまたちが用意してくださった天蓋つきの馬車は快適だったけれど、それでも丸一週間座りっぱなしだったせいで、地についた足は自分のものではないみたいにどこかふわふわとしていた。花都の陽気に心が浮ついているせいかもしれないけれど。
ついで、載せていたカバンを御者から受け取って、わたしは頭をさげる。最低限の荷物しか持ってきていないが、それでも白華から出たことのないわたしにとっては新鮮な重みだ。
「お世話になりました」
「いいってことよ。俺も白華の領主さんにはずいぶんと世話になっているからねえ。花都はよいところだが、危険もたくさんあるから、気をつけるんだよ」
「はい! ありがとうございます!」
一週間、ともに過ごした御者にも女であることはばれていないらしい。これなら、きっと宝飾殿でも大丈夫ですね! わたしは謎の自信をつけて、御者と別れる。
お役人さまに通行証を見せて、花都の入り口、真っ赤な門をくぐると、途端にきらびやかな世界がわたしの前へと広がった。
「ほぁぁ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
遠くに見える大きな建物が皇宮だろう。どっしりとした構えは、遠くからでも圧倒される。
皇宮へと続く、長くて広い一本道は花都のメインストリート。両端にさまざまな店が立ち並び、わたしの好奇心がくすぐられる。ふわりと羽が生えたような気分だ。
「……っと、いけません! まずは皇宮に向かわなくちゃ!」
わたしは、「よし」と気合を入れなおし、花都での一歩をしっかりと踏み出した。
「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 採れたての魚に野菜もあるよ!」
「そこのお兄さん、金物はどうだい⁉」
最初の決心はあえなく散った。わたしは誘われるがまま、あっちへふらふら、こっちへふらふら。まだまだ時間には余裕があるし、と言い訳を重ねて、自らを甘やかしているけれど、さすがにそろそろまずいでしょうか。
「お兄さん、かわいい女の子、揃ってますよ」
「へ?」
声をかけられ、店の方へと顔をあげれば、そこには服のはだけたお姉さまがたが欄干から身を乗り出してこちらにアピールをしている。かわいい、なんてわたしに向かって投げキッスを飛ばすお姉さまの姿もあった。
「ふっ、ふぉおおお! いい、いいです! 大丈夫です!」
同性でも刺激が強い。わたしは慌てて客引きの手を振り払って駆け出す。まだ昼前だというのに、花都ではこんな商売も堂々とできるのでしょうか。花都にはいろいろな人がいる。その言葉がわたしの脳内をめぐる。
いろいろって……いろいろって!
ドンッ!
「わっ!」
「うぉっ⁉」
わたしが慌てていたからだろう、前から来た人とぶつかって、わたしの体は後方へと弾き飛ばされた。
「痛ってェな! ガキがッ! どこ見て歩いてんだ!」
「ごめんなさい!」
慌てて顔をあげると、目の前に大きな影ができる。相手は熊のような巨体だった。強面な男の眼光が鋭くわたしを貫く。かと思うと、途端、それは舐め回すような視線に変わった。
やばい。わたしの本能が男を嫌悪する。やばいです、これは、とっても大ピンチです。嫌な予感とともに、顔から血の気が引いていく。
「……はっ」
男は乾いた笑みを漏らした。大げさに胸元を手で押さえると大きな声で叫んだ。
「あ~あぁ、体がおかしくなっちまったぜ。おい、兄ちゃん、慰謝料だ。わかってんだろ?」
「い、慰謝料なんて……」
「ああ? 金がねえなら、いい働き口を知ってるぜ? おい」
男がわたしの腕を引いた。強い力で、わたしはなすすべもなくそのまま体ごと持ちあげられる。足がつんのめって、わたしは完全に男の方へと引き寄せられた。
怖い。なのに、声が出ない。
グイと顎を掴まれて、男の顔が近づく。
「っ!」
「いいねェ、兄ちゃん。知ってるか? そういう顔は高く売れるんだ」
わたしは精いっぱいの抵抗を試みる。顔をそらしてきつく目を閉じれば、男の楽しげな笑い声が聞こえた。
「強情なところもいいねェ。いい客がつきそうだ。なに、お前ならすぐ稼げるぞ」
――人さらい。
花都には悪い人たちもいるって、知っていたはずなのに。
わたしが一生懸命男の腕から離れようともがくと、周囲の喧騒が大きくなる。どうやら、わたしたちがもめていることに気づき、周りの人たちが集まってきたようだ。
「誰かっ!」
助けて、と必死で声をあげようとしたところで、それをかき消すように男が怒鳴った。
「おい! なに見てんだ! 見せモンじゃねェぞ‼」
男の恫喝に、周囲の人々は一斉に黙りこんだ。そのまま男がわたしの手を引く。歩き始めた先は大通りからはずれた裏路地だ。それに対して、安堵する人、見て見ぬふりをする人、わたしと合わせた目を気まずそうにそらす人。誰も彼もが、この場を通り過ぎようとしていた。まずい。手を振り払いたいのに、力が強くて振り払えません。
どうしよう……っ! お母さま、お父さま、兄さま、姉さま、白華のみんな、わたし……。こわい。こわい、こわい。
震える足が言うことを聞かない。ごめんなさい、と心の中で謝りかけたところで、男に振り回されて歩くわたしの目に、豪勢で品のある大きな建屋が見える。
皇宮だ。
わたしはハッと目を開く。
弱気になんてなっちゃダメ、ここで終わりだなんてそんなの絶対にダメです! わたしは宝飾殿に行って、皇族の服飾を作るんですから。まだ、やれることはあるはずです!
なにか、なにか……。
わたしは男に悟られぬよう、必死に掴まれていないほうの腕で服の中をあさった。カサリとポケットが音を立てる。
……これしかない、でも……。
ポケットの中で見つけたものを手で握りしめ、わたしは思い切りその手を振りかざし――
「ギャッ⁉」
わたしが御者からもらった豆大福を投げつけた瞬間、目の前で男が倒れた。
「……うそ、でしょ?」
パチパチと目をまたたかせていると、倒れた男の影からひとりの麗しい青年が現れる。
――綺麗な、金の瞳。
わたしが呆然としていると、朱い髪を揺らした青年はやわらかな笑みを浮かべた。