28.白練の裏側
「やっぱり、豪華すぎやしないかい」
成人の儀まで残り二週間。
成人の儀で着る衣装を身にまとった暁さまが苦笑する。けれど、その問いかけに、わたしは答えることができなかった。
金を貴重にした袍衣と裳はきらびやかに暁さまを飾り立て、白の蔽膝と靴は気品とまばゆさを加えている。冠や首飾りにちりばめられた朱い宝玉と帯の赤が華やかだった。
なにより、それを着こなす暁さまは見たこともないほどに美しかった。
派手すぎると散々文句を言われた十二紋様も、暁さまが着れば地味なくらいだ。龍に鳳凰、日に月、炎、草や花。それらが今にも動き出しそうで、けれど、品よく暁さまの体に収められている。
「翠?」
暁さまにズイと覗きこまれ、わたしの胸がギュッとしまった。馬が突如として足を止め、馬車が大きく揺れたときみたいに。
「す、すみません」
完全に目を奪われていた。
――この思いは、もう、諦めたのに。
ダメダメ、なにを考えているのです。わたしは、もう恋などしないと決めたではありませんか。
わたしは大きく頭を振って、「よくお似合いですよ」と述べる。暁さまは不満げだったが、
「これらの宝飾はすべて、民から直接仕入れ、金を払ったものです。みなさま、ずいぶんと羽振りがよくなったと喜んでおられました」
わたしがそう付け加えた途端に、表情をパッと明るくさせた。そのことに、わたしの心が節操なく跳ねる。
「それは本当かい?」
まるで子供みたいだ。普段から輝きを放っている瞳が、ますますキラキラと眩しい。
「ええ。特に、南城領の鉱石商たちが宝飾殿と直接取引してくださるようになってきたおかげで、ぼくらもいつも以上によい宝石を使うことができたんですよ」
「そうか……」
喜びをかみしめる暁さまの口角があがる。その姿に、わたしもようやく、衣装が完成したんだ、と実感した。
だが、喜ぶにはまだ早い。ここから鎖子甲を追加するのだから。わたしは気合を入れなおす。今はただ、暁さまが喜んでくださるだけでいい。
暁さまはわざと裾をひるがえすように動き回っていた。どうやら、民に金がまわっていると知って機嫌を直してくださったらしい。
たおやかに舞いあがる袂、中庭から差しこむ日の光にチラチラと反射する髪飾り、金糸がまばゆい白の靴。どれをとっても、絵画のようだ。一寸の狂いもなく、完璧という言葉がよく似合う。
話していないと落ち着かなくて、また暁さまに見惚れてしまうから、わたしは「そうだ」と切り出した。
「仕入れる先々で、暁さまによろしくお伝えくださいと伝言を預かったんです」
「伝言?」
「普段から皇宮を抜け出して、なにをしていたのかと思えば……ずいぶんと民のもとへとおまわりになられていたようですね」
わたしが言えば、暁さまは怒られると思ったのか「う」と苦々しくうめいた。言い訳をしないあたりが暁さまらしいけれど。
わたしだって責めるつもりは毛頭ない。それどころか、暁さまがなにをしていたのか、この二か月でようやく理解したのだ。彼はただ、不真面目で、わがままで、気分のままに皇宮を抜け出していたわけではなかった。
「自ら外に出て、民の声を聞く。元々皇宮内でも、暁さまのことをたずねれば、みなさん内面の話ばかりでしたが……ようやく、その意味がわかりました」
暁さまは、本当に国のことを思われている。本当に民を思い、人々を愛して、その人たちの幸せを考えている。後継者争いなんて、彼には関係ないのだろう。この国が豊かに、健やかに繁栄することを誰よりも願っているのだ。
暁さまは照れくさそうにはにかんで、「内緒にしておいてくれ」と口元に人差し指を当てがった。今更わたしひとりが内緒にしたところで、気づいている人は気づいているのだろう。
照れ隠しか、暁さまは咳払いをひとつして「つまり」と仕切りなおした。
「これは民からの贈り物なんだね」
暁さまが袍衣を撫でつける指先は愛おしさにあふれている。
わたしの隣に腰をおろすと、
「ありがとう、翠」
と綺麗に笑った。
トクン、と心臓が鳴る。その音に、心が痛む。
やっぱり、かなわないですね。暁さまには、かなわない。
わたしはやっぱり――いいえ、これは、なんでもありません。
もう何度目か、諦めた恋心にフタをして、見て見ぬふりをしてやり過ごす。暁さまの顔をそれ以上見ていたら、目に焼きつくどころか身も心も焼かれてしまいそうで目を伏せた。
恋を夢で上書きするように、わたしはコホンと咳払いをして背筋を伸ばす。
「ぼくはただ、幼いころからの夢を叶えたかっただけですよ」
「夢?」
「昔、皇族のみなさまが白華領へ来られたことがありました。そのとき、ぼくはそのきらびやかな服飾に恋をしたんです。以来、皇族の服飾を作ることがぼくの夢です。その夢に、近づくためにやってきましたから」
白い蔽膝も靴も、やっぱり暁さまによく似合う。今はもう、それだけで充分だった。
「……それって」
暁さまがなにかを言いかけてやめる。
「いや、翠は……男だったね。ごめん、なんでもないよ」
暁さまがなにを言いたかったかわかって、わたしは苦笑した。
「またそれですか、やめてくださいよ。ぼくは、ずっと男ですよ」
苦手な嘘をつく。いつか、それが本当になればいいと思った。暁さまはそんなわたしに笑いかける。
「諦めが悪いんだ。わがままだから、欲しいものはなんでも手に入れたくなる」
「そう、かもしれませんね。民のために仕入店を変えてほしいだなんておっしゃるくらいですから」
心の奥底にある思いがバレないように悪態をついて、わたしは裁縫箱から巻尺を取り出す。
「最後に、もう一度採寸を。暁さまには無礼を承知で、少々、手直ししたいところがございまして」
「手直し?」
暁さまは尋ねてから、「ああ」と表情を暗くした。なんのことだかわかっているみたいだ。彼は敏いから、うわさのことは嫌でも耳に入っているのかもしれない。
「翠たちがなにをしようとしているのかは知らないけど。このまま本番を迎えられないのは残念だな」
言いながら、暁さまは素直に帯を緩める。それが少しだけ辛くて、わたしはまた顔を伏せた。
「……兄弟なのに」
わたしが呟くと、暁さまの大きな手がふわりとわたしの頭を撫でる。兄と同じ、優しい手つきだった。
「過去には戻れない。どれほど僕がわがままでもね」
「すみません、出過ぎた真似を」
「翠にも兄弟がいるの?」
「ええ、わたしは末っ子ですから、兄や姉たちにはたくさん守られてきました」
採寸をしながら、雑談をする。それは、初めて暁さまを知った日を思い出させた。
「それじゃあ、僕は、翠と翠の家族を守れるような人にならなくちゃね」
暁さまがふっと笑った気配がした。
大きな背中に抱き着いて泣けたら、どれほどよいでしょう。
わたしは唇をかみしめて、巻尺をしまう。
「終わりましたよ」
背中に手を当てて、ただ生きていてほしいと祈る。暁さまは「うん」と小さく返事をして、袍衣を丁寧に脱いでいく。
彼の背中は相変わらず眩しくて、大きくて、でも、遠くて、孤独だった。




