27.動き出した漆黒の影
「ねえ、ふたりとも!」
成人の儀まで残り三週間。皇宮内で妙な事件が続き、それが日常となったころ。
沐辰先輩は勢いよく宝飾殿の中へと転がりこんだ。残業を続けていたわたしと浩宇先輩の目は、派手な登場をする彼に向かって自然と釘付けになる。
沐辰先輩はピシャリと宝飾殿の扉を閉め、扉に取り付けられた覗き窓まで丁寧に閉める。そのままわたしたちの方へと振り返ると、「まずい話を聞いちゃって」と震える声で呟いた。
わたしはその様子に蔽膝へ刺繍していた手を止める。
「とにかく落ち着け。なにがあった」
浩宇先輩も細工を止めたようだ。沐辰先輩を手招きすると、沐辰先輩は荒い呼吸を整え、素直にわたしたちの間へ座った。
沐辰先輩の青ざめた顔を見るのは初めてだ。いつもの冗談でも、嘘でもなく、本当にまずい話を聞いたらしい。
「……翠ちゃん、前に、ボクらに話してくれたこと、覚えてる?」
「なんの話です?」
宝飾殿に入ってはや二か月。毎日のように先輩たちと一緒にいるせいで、どの話のことかもわからない。わたしが首をかしげると、沐辰先輩はさらに声のボリュームを一段階絞ってささやいた。
「暁さま暗殺の話だよ」
「っ!」
「なんだって?」
「ボク、さっき聞いちゃったんですよ! 食堂にお夜食をもらいに行こうと思って歩いてたら、やけに酒くさい武官たちとすれ違って」
険しい顔をして沐辰先輩を睨みつける浩宇先輩を意にも介さず、沐辰先輩は続ける。
「第二皇子派の文官から誘われたって。成人の儀に、暁さまを暗殺する計画を黒星さまが立ててらっしゃる。成功すれば、一気に自分たちも昇格できるって」
普段なら聞き逃してしまいそうな声量だが、わたしにはすべて嫌になるほどはっきり聞こえた。
「……そんな」
「前に、翠ちゃんだって言ってたでしょ。牡丹宮でそういううわさが流れてるって。それに、ここ最近の妙な事件だって!」
「沐辰」
「浩宇先輩だって、本当は知ってるんじゃないですか。元々、黒星さまは暁さまのことをよく思ってない。それに第二王妃さまだって……」
「やめろ、沐辰」
浩宇先輩の手が沐辰先輩の胸倉をつかみ、沐辰先輩はようやく口を止めた。
「それ以上はよせ」
浩宇先輩はぴしゃりと言いつけると、沐辰先輩を床へ投げるように掴んでいた胸倉を払う。沐辰先輩は床に尻もちをつく。だが、キッと浩宇先輩を睨み返した。
「や、やめてください、ふたりとも!」
ふたりがそんな風にいがみ合っているところを見るのは初めてだ。わたしが慌てて間に入ると、ふたりはふんと顔を背ける。ふたりともどちらの派閥にも属していないのに、やはり成人の儀を前に、後継者争いが激化する皇宮内にいれば、気も休まらないのだろう。
どうすれば……。
わたしは無意識に自らの胸元を握りしめる。そこに、硬い感触。
――暁さまからいただいた冠だ。
わたしは冠を服の上からそっと撫でて、深呼吸する。
この空気に飲まれてしまってはいけません。わたしたちの仕事は、いがみ合うことではないのですから。
「まずは落ち着いて話し合いましょう」
今すべきことは、ケンカではない。わたしはふたりに向き直る。
暁さまへの思いを諦め、心に仕舞いこんだ夜のことを思い出す。でも。
できることがあるなら、すべてを尽くしてお守りしたい。そう思うくらいは、許してください、神さま。
わたしは頭をフル回転させて言葉を探す。こんなとき、兄さまや姉さまならどうするでしょう。暁さまなら、どうやって場をおさめるでしょう。そんなことを考える。
「黒星さま自らが、暁さまを狙っているかどうかは置いておいて、本当に暗殺の計画があるのであれば、それを阻止しなくてはなりません」
「翠ちゃん……」
「最後の最後に、主を守れるのは我々の作る服飾ではありませんか」
「翠、お前……」
暁さまが暗殺されるなんて、そんなの信じたくなかった。
そのためには、なんだってしたい。自らの命にかえてでも。そうでなくては、夢を選んだ自分を、後悔してしまいそうだから。
「犯人捜しは後にしましょう。ぼくらは、ぼくらができるすべてを、成人の儀に、暁さまに捧げなければなりません」
「でも、ボクらができることって……」
困惑する沐辰先輩を横目に、浩宇先輩がわたしの考えを察知したように「なるほど」とうなずいた。
「やってみる価値はある。ただし、時間がない。翠、お前はまず蔽膝を完成させろ。沐辰、お前、細工は?」
「刺繍ほど得意じゃないですけど、一応は……」
「なら、俺を手伝え。翠、蔽膝が完成したら暁さまの採寸をもう一度頼む。それが終わったら沐辰はもう一度全体の調整を。翠は沐辰と交代で細工を手伝ってくれ」
「はい」
「ちょ、ちょっと待って⁉ どういうこと?」
沐辰先輩が頭にたくさんのはてなマークを浮かべて、わたしと浩宇先輩を交互に見比べる。置いていかれたんですけど、と不満げだ。
「袍衣の下に着る、薄い鎖子甲をつくるんです」
わたしが言えば、浩宇先輩もうなずく。
「皇族の服飾を作り、皇族を守る、だろ」
「嘘でしょ⁉」
「嘘じゃありません。やるしかないんです、沐辰先輩。もう一度、力を貸してください」
わたしが沐辰先輩の手をしっかりと握ると、彼は複雑な表情でわたしを見つめ――やがて、負けたと言うように笑った。
「ほんと、翠ちゃんって大胆っていうか、なんていうか……」
「俺たちが新人に負けたな」
「ほんとですよ、先輩。ボクら、翠ちゃんからずーっと大切なことを教わってばっかりですねえ」
沐辰先輩はわたしの手をほどくと、立ちあがって、「よし」と気合を入れる。
「それじゃあ、チーム宝飾殿、行きますか」
「……なんだそれは」
「ええ~、そこは、乗って来るところですよお!」
わたしと沐辰先輩は、拳を掲げて、えいえいおー! と声を合わせる。浩宇先輩は呆れたように肩をすくめた。
早速わたしたちはそれぞれの作業に移る。
わたしは今まで以上に蔽膝の刺繍を縫うスピードをあげた。速く、でも、丁寧に。
暁さまへの思いは、きれいさっぱり、絶対に諦めます。だから、神さま。どうか、どうか、暁さまのことをお守りください。
わたしは祈りをこめるように刺繍へ夜明珠を縫いつける。
わたしの手の中で、美しい蔽膝ができあがったのは、それから三日三晩、徹夜で作業を進めた夕方のことだった。




