24.自覚した心は槿花のように
「言ったでしょ? ばあちゃんは、おしゃれ好きだったって。ばあちゃんは、当時の皇帝の第四姫と友達だったんだあ。それで、いつも姫さまが綺麗な服を着ているのを羨ましく思ってたんだって」
「それじゃあ、沐辰先輩は、おばあさまのために皇族の服を作ろうと?」
「そう。それはもう毎日必死だったよ。友達とも遊べないし、あんまり裕福じゃなかったから、刺繍糸だって何度も同じものを使ってさあ」
沐辰先輩は当時を思い出したのか苦い顔をして肩をすくめた。
「でも、そのおかげでボクの夢は無事に叶えられた。ばあちゃんが死ぬ直前になっちゃったけどねえ」
おばあさまに皇族にも負けない華やかな服を着せたとき、沐辰先輩はその美しさにおばあさまがお姫さまに見えたと笑った。
「女性って何歳になっても綺麗になれるんだってびっくりしちゃったあ! それだけじゃなくてね、女性を若々しく、綺麗に見せる服飾ってすごいなあって改めて思ったんだあ」
沐辰先輩はキラキラと目を輝かせていた。
美しい服をまとうだけで、人は笑顔になれる。きらびやかな宝飾を身につけるだけで、人は威厳を放つ。
体を清めるとき以外は、常に身にまとっていて、もはや自分の体と言っても過言ではないほど寄り添っている。
そんな存在が服飾なのだと、わたしたちは知っている。
「だから、宝飾殿の仕事はすごく気に入ってるし、忙しいけど、楽しいんだよねえ」
「……わかります」
わたしは自然とうなずいていた。
「この仕事は大変だけど、すごく、すごく、楽しいですよね」
口に出せば、心が少し軽くなって、わたしは自らの夢を思い出す。
そうだ。わたしが憧れたものは、そういうものだった。きらびやかで、華やかで、美しくて、眩しい。そんなキラキラとした服飾に、わたしの日常は彩られたのだ。
皇族の服飾に憧れて、そんな服飾をいつかこの手で作りあげる。
それが、わたしの夢だったじゃないですか。
そして、それが、わたしの今の仕事なのですから。
「大切な人の、大切な毎日を彩る。そんな宝飾を作るのが、ぼくたちの仕事ですよね」
わたしが力強く沐辰先輩の言葉に同意する。沐辰先輩はやわらかな笑みをわたしに向けた。
「翠ちゃんにも、そういう人がいるの?」
「え?」
「一番素敵な服飾を作ってあげたいって、そんな風に思う大切な人が」
沐辰先輩の茶色い瞳がわたしをじっと覗きこむ。
瞬間、わたしの頭には暁さまの姿がよぎった。
自らの作った服飾で、彼が笑う姿をずっと見ていたいと、強く思う心を自覚してしまう。
「あ……」
言いかけて、わたしは口をつぐんだ。
暁さまです、と言えばいい。変なことではない。成人の儀だって迫っている。わたしが目下、毎晩苦しみながらも服飾を作るのは彼のためだ。
でも、うまく口が動かない。
だって、多分、それは、違う。それだけじゃないです。そんな表面的なものだけじゃ。わたしのこの思いは……。
わたしが言いよどんでいると、沐辰先輩がふっと目を細める。眩しいものでも見たというように。
「恋だねえ」
それはサラリと言い放たれたわりに、ずっしりと重くて、わたしの耳から離れなかった。
「……恋」
「だって、翠ちゃん、今絶対好きな子のこと考えたでしょう?」
「え、えぇっ⁉」
「あはは、誰かは聞かないでおくね。ボク、翠ちゃんがライバルになったらやだしぃ」
「ライバルってそんな」
「でも、そっかあ、恋かあ……。うんうん、恋に悩んで、仕事がうまくいかないとか、手につかないってこともあるよねえ」
勝手に話を進めていく沐辰先輩を、わたしは慌てて「違います」と止める。けれど、違いますと言っている自分自身にも違和感があって、やっぱり強くは否定できなかった。
「あはは、別に恥ずかしがらなくてもいいってばあ。ボク、誰にも言わないし」
「だから、恋なんかじゃ」
「ないって言えないでしょ?」
沐辰先輩に聞き返されて、わたしはぐっと口を閉ざした。わたしの顔がじわじわと赤く染まっていく様子を眺めながら、沐辰先輩は犬のように人懐こい笑みでわたしの頭をポンポンと撫でる。
「大丈夫、恋をするのは悪いことじゃないよ。今はうまくいってないのかもしれないけど、いつか、それが原動力になる日もくるから」
沐辰先輩も、そういう日があったんですか、とは聞けなかった。だって、それは、わたしが暁さまに恋をしていると認めることだから。
「いい? 迷ったり、悩んだりしたら、その人がどうすれば笑顔になるか考えてみるといいよ。どんな服飾が好みで、似合いそうか、何色が好きで、どんな柄がお気に入りか。それだけで、いいんだよ」
認めてしまえば、簡単なのに。
だけど、この恋は――
わたしは沐辰先輩の言葉を素直に受け入れて、でも、自らの心の声にはそっと耳をふさいだ。
「……ありがとうございます」
ありきたりなお礼。それを述べるだけにとどめれば、沐辰先輩もそれ以上は言及しなかった。
「じゃ、おいしいものでも食べに行こっか! 黄河は料理も珍しいものがいっぱいあるんだよ~!」
沐辰先輩の提案にのって、わたしも立ちあがる。
体も心も、先輩のおかげで少しだけ軽くなった気がします。まだまだ自分の気持ちを整理できたとは言えないけれど、それでも。
玄関先でわたしを呼ぶ沐辰先輩の声に返事をして、わたしは足を動かす。
暁さまが誰を妃に選んでも、わたしがやるべきことは、成人の儀を成功させることだ。暁さまを一番美しく、気品高く飾り立てる宝飾を作りあげることだ。
だから、神さま。今はまだ、この胸の痛みに知らないふりをしていてもいいでしょうか。
先を行く沐辰先輩に置いていかれぬよう走れば、制服の碧と布地の薄黄が熱を帯びた風にひるがえった。




