21.夢へ、花葉は絢爛に
「やあ、翠」
「暁さま⁉ どうしてここに」
倉庫から戻ってきたわたしは首をかしげた。なぜ、多忙なはずの第一皇子が今日も今日とて宝飾殿に。答えを求めれば、沐辰先輩が手を止めて苦笑する。
「翠ちゃんに会いに来たんだって~。あ、そうだ、翠ちゃん、ついでだから袍衣の試着をしてもらって」
「え、あ、はい!」
先日からやけに宝飾殿へと現れるようになったからか、すっかり暁さまを気にする様子もない。沐辰先輩はわたしへと袍衣を手渡して、再び作業に戻る。浩宇先輩から頼まれていた細工用の針金を机の上に並べて、わたしは代わりに袍衣を広げた。
「えっと、それじゃあ失礼して……?」
理由はよくわからないけれど、暁さまが成人の儀に少しでも前向きになってくださったのならよいことですよね!
暁さまの背中側から袍衣を着せていく。先日できあがったばかりだ。早く全容を見たい。その思いを抑えて軽く襟を整え、前に回り、仮帯を手に取る。わたしが暁さまの背中へ手を回すと、彼が「そういえば」と口を開いた。
「冠はどうしたの?」
先日、暁さまからいただいたものだ。
「ぼくがつけるにはもったいなくて……、お守りに。いつも持ち歩いています」
制服の裏につけたポケットに忍ばせている。幸いにもあまり大きなものじゃないから、目立つことも、持ち歩きが面倒になることもない。
この冠があれば、どんなに辛いことでも頑張れそうです、とは照れくさくて言えなかった。けれど、暁さまはそんな気持ちを見透かすように満足げに笑う。わたしは照れ隠しにきつく帯をしめる。暁さまはそれを合図に立ちあがった。
くるりと回って見せた暁さまの大きな背中に、沐辰先輩が刺繍した綺麗な龍の模様が現れた。龍の後ろに咲き誇る赤の牡丹は、彼の朱髪とよくマッチしていて上品だ。前側には、草花やそこに止まって羽を休める鳳凰が細かに金糸で刺繍されていて、ところどころにちりばめられた赤や白の宝石がキラキラと輝いている。火や月などの伝統的な図柄もうまく取り入れられていた。
普通の人ならば着られてしまいそうなほど豪華な服を、ここまで完璧に着こなしてしまうとは。
暁さまの内側からあふれる気品や優しさに加え、皇帝となるべき力強さや華々しいオーラのようなものが袍衣に引き立てられている。
これは、美しいというよりも……。
「かっこいい、ですね……」
思わず漏れたわたしの感想を聞き返すように、暁さまがこちらを振り返った。その綺麗な金の瞳と視線がぶつかって、わたしは我に返る。
「いっ、いえ、なんでもありません! よくお似合いですよ!」
今、わたし、なんて……? いえいえいえ、わたしはなにを意識しているんですか! かっこいいのは当たり前です! 沐辰先輩の刺繍はとても美しいですし! 龍の姿だってとても猛々しくて、洗練されているのですから、かっこいいに決まっています! これはそう! 決して暁さまのことではなくて……!
「本当に似合ってるかな? 僕のほうを見て言ってくれるかい?」
「いえ! 本当に! よくお似合いです! あまりにも美しくて、眩しいといいますか!」
まずいです、暁さまが見れません!
南城領での一件以来、なぜかよくお会いするようになった暁さまとは、ずいぶんと仲よくさせていただいていると思う。けれど、そのせいか、最近はやたらと暁さまも距離が近くなり、わたしの心臓はなぜかバクバクしっぱなしである。
暁さまに気に入っていただけて、成人の儀の準備がスムーズに進むようになったのは嬉しいけれど、わたしの体はどんどん変になっているような気がする。
「……まあ、翠がそう言うなら信じるよ。沐辰、このまま進めておくれ」
「承知いたしました。では、残りは裳と帯、蔽膝ですね。色は……」
「ああ、そうだ。蔽膝は翠に頼みたいんだ」
「え?」
「は?」
暁さまがにこりと笑う。わたしと沐辰先輩が目を合わせると、
「沐辰も、翠の作った靴を見ただろう? きっと、よいものを作ってくれると思ってね。だから、蔽膝は翠に作ってほしい」
暁さまは念を押すようにはっきりと言った。
状況が飲みこめない。だって、あまり装飾のない下衣――裳ならともかく、蔽膝と言えば前掛けにあたる部分で、袍衣に続いて目立つ場所ではないか。
わたしが夢か、幻か、それとも耳までおかしくなってしまったのかしら、なんてぼんやりしていると、沐辰先輩がわたしの背中を軽くたたく。
「翠ちゃん! やったねぇ! おめでとう! さすがは翠ちゃんだよお!」
「は、へっ、へぁっ、はいぃっ!」
「これでボクもようやく休める~! 本当にありがとう! 翠ちゃんは救世主だよ! すごいねえ! 嬉しいなあ!」
沐辰先輩自身の休みたい願望が含まれているとはいえ、どうやら心の底から喜んでくれているようだ。そのままわたしに飛びついてきて、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。そのあたたかな体温に、わたしの胸にも遅れてじわじわと実感が湧いてきた。
「あ、ありがとうございます! 頑張ります……!」
自らの実力が認められたという嬉しさと、新人を起用してくださる暁さまの懐の深さ、それを妬まず素直に喜んでくれる先輩の優しさに、ただただ胸がいっぱいになる。
わたしが泣きそうになるのをぐっとこらえて、沐辰先輩の背中に手を回すと、
「沐辰、翠から離れろ」
「沐辰? 翠が苦しんでいるだろう?」
沐辰先輩をわたしから引き剝がす浩宇先輩の怖い顔と、わたしをそっと後ろから抱きかかえる暁さまのどこかじめっとした声にはさまれた。
「とにかく、翠、そういうことだから。よろしくね。後、先輩だからって、沐辰には近づきすぎないように」
「は、はひ……」
「沐辰、翠に仕事を取られるぞ。さっさと手を動かせ」
「先輩も暁さまも怖いですよぉ。翠ちゃんの抜擢に喜んでただけなのにぃ」
「翠も早く仕事に戻れ! 忙しくなるぞ」
「は、はいぃ!」
浩宇先輩の雷に、わたしはサッと暁さまから離れる。暁さまは名残惜しそうな声を出したけれど、それ以上わたしを引き止めることはせず「それじゃあ」と宝飾殿を出ていった。
忙しい中、もしかしたら時間を作ってくださっているのかも。
暁さまの背中を見送っていると、再び浩宇先輩から「仕事しろ」と声がかかる。
「新人、浮かれるのはいいが、蔽膝は目立つ。少しでも綻びがあれば、すべてが台無しになるんだ。心してかかれよ」
完全に浮かれているわたしの心を地面につなぎ止める強烈な浩宇先輩の一撃に、わたしはそうだったと我に返る。
蔽膝は上衣と下裳のつなぎともなるデザインの要。豪華な袍衣と無地の裳をうまくまとめあげるには、帯と蔽膝が肝となる。気は抜けない。
「……考えたら、なんだか胃が痛くなってきました」
途端、プレッシャーが体中にのしかかってきて、わたしはうっとおなかを抑える。
「大丈夫、大丈夫。ボクも一緒に考えるし、帯と合わせてがんばろう!」
「そう、ですね……! はい、がんばります!」
沐辰先輩の励ましに、わたしはぎゅっと拳を握る。
そうですよ、珠翠! こんなところで弱気になっていてはいけません! またひとつ、夢に近づいたのですから!
わたしはひとり、えいえいおーっと掛け声をかけて、拳を高く掲げた。




