19.信じぬく金青
「それでは、お前さんは、本当に暁さまがただ謝るためだけに来られた、と? そう信じているのか」
男は疑いの視線でわたしたちを睨む。試すような、含みのある問いかけだ。まだ信じられないと態度で告げている。
だが、わたしは迷いもせずにうなずいた。
「暁さまは、成人の儀などやりたくないとおっしゃっているんです。成人の儀は金を使う、その金は民に使うべきものだと言って……」
どう思いますかと聞き返せば、さすがの男も驚いたように目を丸める。
「それどころか、儀式の取りやめが叶わないと知ると、子供のように、毎日毎日どこかへ逃げ隠れては、成人の儀を遅らせようとなされる。ぼくの先輩がたも、散々悩まされておりました」
わたしがたたみかければ、今度は隣で咳払いが聞こえた。暁さまには耳の痛い話だったのだろう。けれど、聞こえないふりをする。暁さまがどれほど民を思っているのか、この男に理解してもらわねばならない。
そして、暁さまのお話を聞いていただかなくては。
「成人の儀で使う袍衣も、散々時間をかけて考えたものなのに、豪華すぎるとわがままを平気でおっしゃられます。ぼくが作った靴だって、鉱石や糸の購入先を聞かれ、皇宮でよく使っている仕入店からだと言えば、取り替えろと返される始末です。すべては、金をかけないため。民に金をまわすために」
わたしは喋り続ける。説得できるまで。納得していただけるまで。
「だから、ここ数日、直接買い付けに行こうと歩き回っていたんです。それもこれも、この皇子さまが、民のためとおっしゃるからです。ぼくも白華の生まれです。貧しい民をたくさん見てきました。そのかたがたを救うために、と暁さまが望まれる気持ちを、どうして受け止めてくださらないのです! 過去のしがらみにとらわれ、疑っていては変わるものも変わりません! 暁さまは……暁さまは、信じるに値するおかたです! もしも、それが」
「もうよい」
ようやく、男が待ったをかけた。わたしがハアと肩を上下させると、男は顔をゆがめ、大きくため息をつく。
「悪かった」
しぶしぶではあるが、わたしに謝って、男はそのまま暁さまを見つめる。少し気まずそうに頭をかいてから、暁さまにも頭をさげた。
「暁さま、ご無礼を。申し訳ありませんでした」
暁さまは弾かれるように「こちらこそ」と深く頭をさげる。
「突然、このように訪れて驚かれるのも無理はありません。それに、僕の判断は、ここに住むみなさまのお気持ちを真に考えた行動ではなかった。謝罪に来たことは本当です。それ以上を望んでいないことも。ですが、それは、自らの欲求を満たすためだけの傲慢な判断だったと反省しています」
男は、暁さまの行動にこれまた驚いたようで、しげしげと物珍しげに頭をさげている第一皇子を見つめる。今までの皇族ではありえないと思っているのかもしれない。暁さまの姿になにを感じたか、男は結んでいた口をゆるめた。
「……我々の生活は、あのときからなにも変わっていません」
男は震える声で呟いた。一度あふれた思いは、せき止めることはできない。
「今の皇帝も、そして、暁さまも、民のために尽力してくださっていると、息子からも聞いています。ただ、それもしょせん戯言に聞こえるのです。それほどまでに、南城領は昔から変わっていない」
わたしも、この数日、南城領にいてわかった。まだまだ、この場所の民たちは苦しみ続けているのだと。わたしたちが、悪気なく、考えなしに利用している店がある限りは、なにも変わらないのだと。皇帝や皇子さまたちだけでなんとかなるほど、皇宮は小さくない。すべてが変わらなければ。
「だから、正直に言うと、暁さまのおっしゃっていることが素直に信じられない」
男はそう言い切った。暁さまの金の瞳が切なげに揺れていた。
交渉は失敗。南城領の民たちがわたしたちを信じ、わたしたちに向き合ってくれなければ、直接買い付けることだってできないのだ。
民と国、それぞれが過去を断ち切り、歩み寄らなければ、どうしたって……。
わたしだけでは、いいや、暁さまがいても、この壁を今すぐに壊すことは困難だった。
悔しさに涙がこみあげてくる。目の奥が熱い。どうしたって、うまくいかない。白華にいたころは、家族に守られて、美しいところばかりを見てきたのだと知った。未熟で、自分がいかにちっぽけな存在であるか、嫌でも気づかされる。
わたしには、なにもできない。
そんな無力感にぐっと奥歯をかみしめると、
「ただ」
と男が続けた。
「暁さまを信じ、ここまで来て、必死に鉱石を買い付けようと泥だらけになっている青年がいるのですから……、嘘ではないのでしょうな」
「え」
聞き間違いではなかろうか。わたしが勢いよく顔をあげると、男は呆れたようにため息をはいた。
「先輩の父親である俺を怒鳴りつけるくらい、暁さまにほれこんでいる青年がいるのです。暁さまが悪い人でないことはたしかなようだ」
「え、え⁉ ちょ、ちょっと待ってください! 先輩の父って……」
「おや、浩宇の差し金で来たのかと思ったが」
「浩宇先輩⁉」
わたしの驚きと同時、隣で、はっはと楽しげに笑う声が聞こえた。
「これは……してやられましたね。僕たちのことを試したんですか」
暁さまはどうやら理解したらしい。いまだ混乱するわたしを置いて、彼はすべて見透かしたとでもいうように、工房の主、あらため、浩宇先輩のお父さまへ視線を向ける。
「試したわけではないですよ。すべて事実だ」
浩宇先輩のお父さまは顔をしかめ、けれど、しばらくして憑き物が落ちたかのようにふっと表情をゆるめる。
「……鉱石はお売りしましょう。お言葉に甘え、すべて相応の値段で取引させてください」
「よろしいのですか?」
困惑しているわたしの代わりに暁さまが尋ねる。浩宇先輩のお父さまは、しっかりとうなずいた。
わたしに向き直ると、目じりにしわを浮かべて笑う。
「これからも、浩宇とともによい宝飾を作り、暁さまを一番側で守ってくれ」
その表情はたしかに、頼りになる浩宇先輩とよく似ていて――わたしはようやく、現状を飲みこんだのだった。




