18.煤色の手を握りしめたら
「おかあさーん! 起きたあ!」
ゆっくりと目を開いた先に、見知らぬ子供の顔。かわいい、なんて思っていたら、どこからかドタドタと床が鳴り響いた。
「あんた! 目が覚めたかい!」
南城領訛りに、そうだ、とわたしは今までの経緯を思い出した。
「頭は痛くないかい、大丈夫?」
すっきりとした一重の切れ長の瞳、少しブルーが混ざったようなその色が、浩宇先輩によく似ているとぼんやり思う。わたしがゆっくりと体を起こすと、女性が安心したように息をはいた。
「翠、あんたが無事でよかったわ」
名前を呼ばれてびくりと体を揺らす。女性だからと安心していたけれど、もしかして、この人にさらわれたのだろうか。わたしが体を強張らせると、女性は弾かれるように立ちあがって、部屋の奥へと駆けていく。
「急に言われても怖いわね。これ、わかる?」
戻ってきた女性の手にはひとつの封筒。差出人に、浩宇先輩の名前がある。
「あたしは浩宇の姉、若汐。あんたが倒れとったところを顔の綺麗な男が連れて来てくれたんよ。夜遅くにね。それで、翠を助けてくれっち言いよるもんやから、浩宇の手紙にあった翠があんたやと思って助けたんやけど」
「綺麗な顔の男……」
最後に聞いたあの声は――
「その人は、今朝になってどっか行ってしもうたけどね。なんやの? 浩宇から世話になるかもとは聞いとったけど……」
昨晩、倒れた後に浩宇先輩の実家まで送り届けてもらったんだ、と思うと同時、わたしはもしかして、と顔をあげる。
「その人はどこに⁉」
「さあ、気づいたらどっか行ってしもうたから。でも、あの格好は花都の役人やろ? そんな人が行くところなんか限られとるね。どうせ裏の細工屋にでも……」
「追いかけないと!」
また命を助けられたのではないか。わたしの胸にそんな予感がよぎる。
どうしてあの人がこんなところに。でも、日頃からよくいなくなる困った皇子さまのことだ。皇宮を抜け出すのなんて朝飯前だろう。南城領にいたって、もしかしたら不思議ではないのかも。
わたしは急いで立ちあがる。初めて会ったときみたいに、ただ助けられておしまいなんて嫌だ。ただその一心で。
ズキリと頭が痛んで、体の力が抜けそうになる。足でなんとか体を支えると、驚いたように若汐さんが声をあげた。
「まだ本調子じゃないやろう! 休んでおかな!」
「でも、行かないといけないんです。まだ、やらなくちゃいけないことが残ってて」
「命よりも大事なことなんかないってば!」
「あるんです! 今は、夢のために、命なんて惜しくないって思ってるから!」
わたしはなんとか足を動かして「ありがとうございました」と大きな声で礼を述べる。枕元にたたまれていた羽織とカバンを掴んで家を飛び出す。
「あ、ちょっと⁉」
若汐さんの声には振り返らずに、裏の細工屋に、と彼女が言った場所を目指す。家の裏側に回りこむと、岩々が積まれて山のようになっている荒地と倉庫をはさんだ道向かいに工房がひとつ建っていた。
「あれですね!」
わたしは工房まで急ぎ足で歩いて、その扉をノックする。だが、返事はない。ええい、ままよ!
扉を開けた途端、
「帰りなさい! ここは、あなたさまのようなお人が来る場所ではない!」
と怒鳴り声が聞こえた。濛々と灰が舞い、土煙に汚れた床に頭をつけている青年の姿がわたしの目に映る。
「暁さま!」
思わず悲鳴にも似た声をあげると、がっしりとした体格の男と暁さまが同時にこちらを見つめた。
「翠……」
顔をあげ、困ったように笑った暁さまの顔は煤で薄汚れていた。いつもの綺麗な暁さまではない。わたしの胸がチクリと痛む。彼は、きっと傷ついている。そんな気がしてならなかった。
「どうして」
「ここにいたことは内緒にしておいてくれ。また、会おう」
暁さまはサッと立ちあがると、男に頭をさげた。「邪魔をしました」とひと言残して、彼は顔についた煤を払いもせずに工房の扉へ手をかける。
「待ってください!」
わたしは慌ててその手を引いた。振り向いた暁さまの顔には、下手くそな作り笑いが浮かべられている。わたしは言葉を失って、けれど、ここでこの手を離してはいけないような気がして、その手を引いたままに工房の主であろう男へと向き直る。
「買い付けの話でしょう」
そんな予感がする。民たちのために、暁さまはそこまでする人だ。短い付き合いだけど、わかる。だって、彼は、見知らぬわたしを人さらいから助けた。危険もかえりみずに。浩宇先輩だって言っていた。暁さまは、今の皇宮の在り方を、金の使い方を変えようとしていると。だったら、このまま帰るなんて……。
「話だけでも、聞いていただけませんか」
わたしは暁さまの手を強く握る。彼の横に並んで、男を見据える。
「あんたは誰だ」
しゃがれた声がわたしに向けられた。ビリビリとひりつくような緊張感に、汗が背を伝う。
けれど、そんな威圧には負けません。いつも皇宮で武官さまを見ているわたしには、ちっとも怖くなんてないし、それに、わたしは昨日、ひとりで狼だって倒したんですから。大丈夫、大丈夫です。
わたしは、もう一度強く、暁さまの手を握りしめた。
「ぼくは、皇宮宝飾殿所属、翠と申します。皇族の宝飾を作るものです。本日は、こちらの第一皇子、暁さまの成人の儀に際し、鉱石を買い付けにまいりました」
「なぜ、ここまで来た」
「ぼくはただ……」
わたしはゆっくりと暁さまを見つめ、男に向き直る。
「ただ、このおかたを宝飾で笑顔にしたいだけです。側に寄り添える宝飾という形で、少しでも、笑顔になっていただきたいのです」
皇族の宝飾を作る。
その意味が、ようやくわかった。
この国の誰よりも側で、皇族を守る。体も、心も。それが、宝飾の役割だ。
そして、それを作るのが、宝飾師の仕事だ。
わたしの憧れた、宝飾というものの、正しい形だ。
「ここへ来たのは、暁さまがそれを望まれていると思ったからです。過去の過ちを正し、民の幸せを誰よりも願っていらっしゃる暁さまの望みを叶えるのが、ぼくの仕事です」
わたしがきっぱりと言い切ると、握っていた手が、握り返されたような感覚があった。




