16.鈍色の過去に決別を
「……どうして、あんなに偉そうなことを言ってしまったんでしょう」
わたしは泣きべそをかきながら自らの手で顔を覆う。少しでも気を抜いてしまうと、ため息が口から漏れてしまいそうです。わたしはぐっと息を飲みこんで、これは深呼吸ですから、と大きく息をはく。
「悩んでるねえ。翠ちゃん、大丈夫?」
差し出された陶器から甘い香りがただよった。茉莉花茶なんて珍しいと顔をあげると、沐辰先輩の隣で仏頂面をしている浩宇先輩と目が合う。サッと逸らされてしまったけれど、どうやら浩宇先輩の差し入れのようだ。
「ありがとうございます」
ふたりに頭をさげ、ひとくち。優しい甘さが体だけでなく心に染みる。
「暁さまに褒めてもらえただけでも、ボクは充分だと思うけどなあ」
「仕事を持ち帰ってきたのは自分だ。責任は自分でとれ」
フォローをしてくれる沐辰先輩をぴしゃりと浩宇先輩が一喝して、わたしは苦笑した。
先日、暁さまから突き返された靴を見つめる。
「……国民のために自分を殺して生きるなんて、皇族のかたがたは大変です」
「今更か」
「まあ、ボクら庶民にはなかなかわからないよねえ。かといって、儀式を取りやめるなんて、さすがの次期皇帝候補でも無理だろうし」
わたしのひとり言に付き合ってくださるらしい。先輩たちもお茶を片手に、わたしの前へと陣取った。
「皇宮内の儀式のほとんどは、国民の金で行われる。国民を苦しめるだけで、甘い汁をすすれるのは皇宮内のひと握りの人間だ。俺たちは、第一皇子がそのことに気づいておられるだけマシだと思うべきだな」
珍しく浩宇先輩がトゲを含んだ口調で愚痴をこぼす。暁さまに、というよりは、皇宮のやりかたに少なからず不満があるようだった。
「そういえば、浩宇先輩の実家って南城領でしたねえ」
のんびりと言う沐辰先輩に、浩宇先輩が顔をしかめる。
「なにかあったんですか?」
わたしがおずおずと尋ねれば、浩宇先輩はチラとこちらを見やってから、口外するなと視線で促した。
「南城領には鉱山が多い。それは知ってるか?」
「はい。たしか、ここにある鉱石も、南城領のものがほとんどでしたよね」
「そうだ。昔、皇族がやってきて南城領の鉱山をまるごと買い取ると言い出したのが始まりらしい。ただ、そのときの皇族は私利私欲を肥やすために、自らの側近たちを使って、南城領の鉱石を買いたたいたんだ」
「え……」
「南城領の民たちは莫大な量の鉱石採取や細工を強いられ、それを安い値で売った。皇族のためだと信じてやまなかったが、いざフタを開ければ、花都では信じられない額でそれらが売り買いされていて、皇族のもとに金が集まる仕組みになっていたんだ」
浩宇先輩は茉莉花茶を一気に飲み干すと「もう昔のことだがな」と呟いた。
「結果、南城領の民は疲弊した。領主もいるが、今では完全に皇族の領土だ。俺たち領民に贅沢は許されない。俺も、細工師の家系に生まれ、昔の伝手があって皇宮で働くことができているが……給金のほとんどを実家に送らないと、俺の両親や兄弟は生きられない」
浩宇先輩はにこりともせず告げる。
「ただ、皇族に生かされているのも事実だ。今の皇帝はそれを是正しようとしてくれているし、第一皇子も同じ考えでおられる。だから俺自身は皇族を恨んでもいないし、感謝しているくらいだよ」
嘘ではないようだが、心の底から喜べる事実でもない、そう言いたげだった。
「……そう、だったんですか」
思い返してみれば、白華の民も、決して裕福ではなかった。わたしは領主の娘であり、そのうえ引きこもりだったから、あまり市政には詳しくない。けれど、一年の半分以上を雪に覆われる白華では食糧難に見舞われる年もある。お父さまたちが一生懸命領民たちと協力していたことくらいは知っている。
花都の賑やかで華やかな雰囲気や皇宮の美しさにばかり目を奪われて、すっかりそのことを忘れていたけれど、天亮国の全土が都とは限らないのだ。
「倹約はともかく、せめて南城領の鉱石を正しい額で取引してくれれば、それだけでもずいぶんと違うんだがな」
先輩がポツリとこぼした言葉に相槌を打ちながら、わたしはハッと顔をあげた。
「……もし、仕入店からではなく、直接ぼくが買いつけたら、そのお金ってどうなるんでしょう」
「はあ?」
「皇宮の仕入店を介さずに、翠ちゃんが直接、南城領まで行って石を買いに行くってこと?」
「そうです! それなら、お金はきちんと南城領のかたがたに支払われますよね⁉」
「それは、そうだが……」
「さすがに、もう時間もないのに、石とか糸とか、全部それをやってたら大変なことになっちゃうよ⁉」
いつもは優しい沐辰先輩でさえ、困ったように眉をひそめる。無謀だ。ふたりの顔にはそう書かれている。
でも。
「これは、第一皇子さまの成人の儀ですから。暁さまのご要望にお応えしたいんです。ぼくは、暁さまが納得されるものを作りあげて、身に着けていただきたいんです」
わたしは自らが作りあげた靴をしっかりと握りしめる。
皇族の服飾を作る。
美しいだけではだめだ。見た目が綺麗なだけでは。
皇族のかたがたが真に求めるもの、それを形にして、皇族のかたがたの思いを誰が見てもわかるようにしたものが、服飾なのだから。
「ぼくの夢は、皇族の服飾を作ることです。でも、ただ作るだけじゃなくて、ちゃんと、皇族のかたがたの思いを形にしたいんです!」
これはわたしが言い出したことだ。でも、ひとりではできない。
「わがままだって、わかってます。でも! お願いします、ぼくに協力してください!」
わたしはふたりの先輩を相手に頭をさげる。これでもかと深く、ふたりが納得するまで。
しばらくすると、ふたりが呆れたように息をはいたのがわかった。
ふたりが立ちあがり、遠ざかっていく音がする。
――ああ、ダメでした。
当たり前だ、こんな無謀なこと。ぐっと悔しさが滲む。でも、ひとりでも、できる限りのことはしなくてはいけませんね。ふたりを頼ってばかりでは。
わたしがゆっくりと顔をあげると、扉の前でふたりは荷物をまとめていた。
「……行くんだろ」
「え?」
「三人で手分けすれば、なんとかなるでしょ~。やってみてから考えろってね。ボク、ちょっと感動しちゃったなあ」
「ほら、ぼさっとするな。間に合わなくなるぞ」
ふたりがフッと笑みを浮かべる。
わたしが泣きそうになるのをこらえると、先輩たちがわたしに手を差し出す。その手をそっと握れば、ふたりがわたしの体をグンと引っ張った。




