15.白金の喜びと
「これ、翠が作ったの?」
げっそりとするわたしと靴を何度も交互に見比べて、暁さまは「驚いた」と小さく口を動かした。
およそ二週間ぶりの暁さまは、相変わらず美しくて、眩しい。
わたしがここ三日ほど満足に眠れていないからかもしれない。朝日が目に刺さるみたいに、暁さまがキラキラと輝いて見える。見ているだけで癒されるような……。いえいえ、今はそうではなくて!
「はい、まだ試作品ですが」
わたしが疲れを隠すように笑みを作れば、暁さまはもう一度しげしげと試作品の靴を見つめた。
浩宇先輩の丁寧ながらも鬼のような細工指導を受け、沐辰先輩の優しくも厳しいダメだしを受けて、ようやく完成した靴だ。
「センスがいいね。正直、驚いたよ。シンプルなのに品があるし、なによりすごく綺麗だ」
「本当ですか!」
「うん、気に入った」
にっこりと美しく笑う暁さまに、わたしの心がじわじわと熱を生む。
がんばってよかった……!
「なんだか、ようやく、ぼくがこの靴を作ったんだと実感がわいてきました」
わたしが喜びをめいっぱい表情に出すと、暁さまは履いていた靴を脱いで、早速試作品に足を通した。
彼は石段を軽やかにおりていく。足取りから暁さまの気分が手に取るようにわかって、思わずわたしの口角があがった。
わたしは、彼の存外がっしりとした骨ばった足首を見つめる。やっぱり、と自らが計算したバランスのよさに惚れ惚れしてしまう。暁さまの足元、金細工で作った小さな牡丹の葉が揺れ、時折、夜明珠の石がチラチラと太陽の光を反射させる。金の糸が白い布を彩り、暁さまを足元からより華やかに引き立てている。
その様子に、自然と吐息が漏れ出た。
まるで、歩いたところから光が生まれているみたい……。
暁さまも気に入ったといわんばかりに楽しそうに歩いて、中庭の池に靴を映して眺めた。
いつもは年齢以上に大人びた笑みを見せているのに、今日はなんだか子供っぽいですね。かわいい、なんて、失礼でしょうか。
でも、心のそこから湧きあがるときめきを抑えきれない気持ちは、わたしもよくわかる。
「すごくいいね。これからは翠にデザインをお願いしようかな」
「え⁉」
「派手なのはあまり好きじゃなくてね。沐辰にはわかってもらえないし」
「沐辰先輩の刺繍は、すごく華があって素敵だと思いますが……」
「僕には豪華すぎるよ」
暁さまに豪華すぎるということはないのではないだろうか、と思うけれど、それを口にする前に彼が「ねえ」と切り出した。
「翠、あの袍衣もなんとかしてくれない?」
「それはさすがに……。歴史ある儀に使うものですから」
嬉しいけれど、先輩がたや文官さまが、ここ数か月たくさん悩んで考えた衣装だ。たしかに少し仰々しいけれど、伝統的な成人の儀にはさまざまなしきたりもあるという。それらを踏襲した柄は、新人のわたしがどうにかできるものではない。苦笑すると、暁さまは「冗談だよ」と本気の表情で肩をすくめた。
「でも、少しくらいは協力してくれるかい? あれはどうにも落ち着かなくてさ」
「そうですね。ぼくにできることがあれば、なんなりと」
「それはよかった。翠は僕の好みをよく理解してくれているみたいだし、期待してるよ」
もったいないお言葉が続き、わたしの心はどこか遠くへふわふわと飛んでいってしまいそうになる。
しばらく中庭を歩き回った暁さまは、石段へと戻ってくると、靴を履き替えて、そっと廊下に靴を置いた。
暁さまがお履きになられて、少しだけ汚れてしまった靴のほうが、ピカピカと輝いて見えるなんて、変でしょうか。
わたしがぼんやりとそれを見つめていると、暁さまがわたしに向き直る。
「ところで、この石はどこで買ったの?」
「え?」
「この糸も」
まさか購入先を聞かれるとは思わず、わたしは「えぇっと」とまわらぬ頭で記憶を辿る。
「普段からご懇意にしている仕入店から卸していただいたものだったかと……」
わたしの回答に、暁さまは先ほどまでの楽しげな雰囲気をサッと隠して、なにかを考えこむように目を伏せた。
「これは試作品だったよね?」
「ええ、そうですが……。お気に召されたのであれば、本番のものはこのままお作りします」
「そう、それじゃあ」
暁さまは、真剣な表情でわたしの方へ靴を返した。
「本番の儀式で使うものは変えてもらってもいいかな」
「え」
気に入らないところがあったのだろうか。わたしが暁さまの表情を窺うと、暁さまは「残念だけど」と切なげに笑う。
「翠のせいじゃないよ。でも、僕は前に言ったとおり、成人の儀を豪勢に執り行うことに疑問を感じているんだ」
そういえば、とわたしは思い出す。暁さまが、内緒だと言いながらもわたしに教えてくれたこと。成人の儀に使う金を、少しでも国民のために。彼はそう言ったはずだ。
つまり、少しでも節約するために、この靴は元の白いシンプルなものに変えろ、ということだろうか。袍衣が豪華すぎると苦笑しているのも、もしかして。
わたしは戻された靴をぎゅっと胸元に抱えて唇を結ぶ。
自らの夢を叶えられると舞いあがっていた。わたしがお仕えする皇族のかたがたの意向などすっかり忘れていた。この靴は、わたしの自己満足のために作られたものだと、今更気づくなんて。
そんなの――本当に、叶えたかったことじゃない。
でも、と同時に思う。靴を履いて中庭を優雅に歩いていた暁さまの顔は、本当に嬉しそうなものではなかったか。
彼は、本当に豪華なものが好きではないのかもしれないけれど、それでも、少しくらいは着飾りたいはずだ。自分なりに、納得のいったものを身につけたいはず。
成人の儀がなくとも、成人になることはできる。それでも、人生でたった一度のイベントだ。誰だって、少しくらい特別な一日にしたいと願う。それは、わがままでもなんでもない。
このまま引きさがるなんて、わたしにはできない。
これくらいのことで諦めていたら、命を懸けてここへ来た意味がなくなってしまいます。
「……わかりました」
わたしは、決心する。
「必ず、成人の儀がよいものであったと思っていただけるような宝飾をご準備いたします」
命を助けていただいた恩を、ここで返さなくてどうするのです!
「ぼくにお任せください!」
わたしがしかと頭をさげ、暁さまを見据えると、彼は少し驚いたように、けれど、どこか嬉しそうにうなずいた。




