12.曙は再会を告げる
「だからって、どうしてぼくが第一皇子の採寸係なんですか⁉」
「ボクは危ないって言ったんだけどねえ」
「いい勉強になるだろ」
浩宇先輩は、わたしに採寸の道具と試着用の礼服を手渡す。
先日、桃姉さまから聞いたうわさを先輩たちにも話した結果がこれだ。
どうしてこうなってしまったんでしょう。
「そんなこと言って、先輩、いつも逃げられてるから嫌になっちゃったんでしょう」
「お前もだろ、沐辰」
「あはは、あの皇子さまを捕まえられる人がいたら見てみたいですよお」
つまり、便利使いってことですよね?
わたしがじとりと視線を送ると、ふたりはそれぞれ顔を背けた。
「そうだ! ボク、刺繍糸を取りに行くんだった!」
「そろそろ炉が準備できたな」
わたしが宝飾殿を出ていくより先にふたりは外へ逃げていく。あ、面倒なことを押し付けられたな、と思う反面、新人でこうして皇族の宝飾づくりに関わらせてもらえるなんて光栄なことか、と思わなくもない。
採寸は衣装をつくるうえで最も大切なこと。おそらく、今回も第一皇子さまは逃亡されていらっしゃるのでしょうけれど……任せてもらえたと思っていいんですよね。
約一か月、みっちりと教えこまれた宝飾の基礎を完璧になるまで夜通し仕事に励んだ甲斐がありました!
わたしは、先輩からもらった行先リスト――ひとまず皇子さまがこの時間帯にいるであろう場所が書かれたものだ――を見つめ「よし」と足を動かす。
「まずは、泡桐宮の中庭ですね! ……って、中庭?」
その後ろに並んでいるのも、牡丹宮の裏庭とか、文化殿の音楽堂付近とか、中務殿の倉庫裏とか、そんなところばかりだ。
最後にようやく、皇族の住まう場所、龍宮の文字。
「第一皇子さまは、なにをされているのでしょう……」
とにかくじっとしていない、成人の儀を前にしてもなにかにつけて姿をくらます、そんな話は聞いていたものの、お部屋にすらいらっしゃらないとは。
第一皇子さまの姿も知らないわたしは、先輩たちや桃姉さま、桃姉さまのご友人や同僚から聞いたうわさを思い返す。
たしか、背が高くて美形、髪をまとめていない変わりもの。掴みどころのない雰囲気で、ミステリアスで、武芸が達者で、口がよくまわって……優しくて、面白い、でも、少しだけ不真面目、でしたっけ……?
外見よりも中身の印象が強い、というのもいかがなものでしょう。わたしは頭を抱える。まったくもって第一皇子さまを見つける手がかりがありません。こんなことなら、ちゃんと外見を聞いておけばよかったです。
「しかたないですね。とりあえず、この場所をまわってみましょう」
わたしは気をとりなおして、リストに書かれている場所をめぐっていく。
どこの場所も官人さまをはじめとする皇宮で働いている人たちや、牡丹宮の女性陣たちの憩いの場だ。休んでいる人々やおしゃべりに興じている人たちがいる。第一皇子さまを探していると伝えれば、みんなが同情するような、おもしろがるような、そんな視線をわたしに向ける。数少ない宝飾殿の新人ということもあってか、わたしのことを知ってくれている人もいて、みんな、協力的だった。今日は見てないだの、昨日はあそこで見ただのと教えてくださって、わたしは次から次へと移動する。
「……それにしても、見つかりませんね」
捜索開始から一刻。わたしは深いため息をはき出した。
さすがに新人の身分で龍宮に近づくことはためらわれ、わたしはリストの最後からひとつ手前、宝飾殿から少し離れた倉庫脇の庭で腰をおろした。
先日、命の恩人と出会った場所だ。庭の奥、命の恩人が現れた茂みの向こう、広がる竹林の先に龍宮がある。
――茂みでも覗いてみろ、存外見つかるかもしれないぞ。
そんなことを言った武官さまの笑い声を思い出して、わたしは中庭の隅、茂みの奥をそっと覗いた。
「……え⁉」
身をかがめ、竹林の影に隠れながら、今にでも茂みに飛びこみそうな低い姿勢の青年とばっちり目があった。
朱色の髪、金の瞳、初めて会ったときと同じ白の羽織。
間違えるはずがない。
「先日の!」
わたしが声をあげると、彼がわたしに飛びかかった。力いっぱいに押されてそのまま茂みに倒れこむ。青年の大きな手がわたしの口元を塞ぎ、彼の体温が布越しにもわたしの体を包むように伝わった。
「皇子!」
遠くで、第一皇子を呼ぶ声がする。ハ、と彼の吐息が感じられるほど近い距離に美しい青年の顔がある。長いまつ毛が揺れる音まで聞こえる気がする。どこかいいにおいがする。バクバクと心臓がうるさい。自らの血液が目まぐるしく流れている音が耳の奥に響いている。
だが、その些細な音はもう一度、誰かが皇子を呼ぶ声にかき消されてしまう。
「どこに行かれたのですか! 今日こそは逃がしませんよ!」
「暁さまぁ~!」
どれほどの時間か。それもだんだんと小さくなっていき、人の気配が消えたところで、青年がわたしの口からようやく手を離した。彼の赤髪がわたしの頬をくすぐって遠ざかる。
青年はしばらくあたりを窺うと、安堵とともに肩をさげた。対して、わたしは顔に熱が集まっていくのを感じながら、パクパクと鯉みたいに口を動かす以外できない。やがて、満月みたいな目がこちらを捉え、やわらかに細められる。
「おや、君だったか」
青年は、すまなかったと謝りながらわたしを抱きかかえるようにして地面から立ちあがらせた。わたしの頭についている葉っぱをやさしく払いのけ、彼は最後にわたしの髪を整えた。
前髪の隙間から、互いに再び視線が交わる。
――二胡の弦を弾いたときの、星がまたたくような音が聞こえた。
どうしてでしょう、もう一度、その手で触れてほしいだなんて。
「……え、と」
わたしが言葉に詰まると、青年も咳払いを繰り返した。数度の咳払いの後、彼はわたしに向き直る。
「この間は黙っていてくれてありがとう。おかげで助かったよ。お礼を言いたかったんだ。また会えて嬉しいよ」
社交辞令ではなく本心だとわかる、その穏やかなトーンに心が落ち着く。不思議な人だ。
「これもなにかの縁かな」
青年は、わたしの手元へ視線を落とし、ヒョイと採寸道具を手に取った。
「あ、ちょっと⁉」
「君のお願いをひとつくらい聞いてあげなきゃ」
「お願い⁉ それは第一皇子さまのものです! 返してください!」
「はは、どうして? 僕が第一皇子、暁だよ」
青年の――いや、暁さまの、ただ後ろで乱雑に結んだだけの朱い髪が風にさらわれてなびく。
美しい金の瞳は、天に昇る龍の鱗を思わせた。