10.紡がれる運命の朱い糸
「翠ちゃん、文官さまに頼んで、この布を追加でもらってきてくれる?」
「はい!」
「新人、かまど番に明日の昼からかまどが使えるか確認してきてくれ」
「は、はい!」
「翠ちゃん、ごめ~ん! ついでに糸の在庫を調べてきてほしいんだけどお」
「はひぃ~!」
宝飾殿の新人として仕事をはじめて一週間。
桃姉さまのはからいもあって、牡丹宮のそばにある空き室を新居として使わせてもらえることになったわたしに、続いて襲い掛かってきたのは、忙殺されてしまうほどの仕事量だった。
皇族のきらびやかな服や飾りを作る仕事、そういえば、どうしたってそこで働いている人たちも優雅で穏やかなイメージがある。けれど、実際は力仕事や体力仕事ばかりだ。わたしが新人だということを除いても、三か月後に迫った成人の儀を前に繁忙期を迎えているということを除いても、想像以上に体力が必要なのだと痛感させられる。
衣装を仕立てるための大量の布を抱えて歩き、金細工のために火をおこし、ときには各部署との調整ややり取りのために広い皇宮内を歩きまわり、かと思えば街へ出て糸やら鉱石やらを皇宮直轄の店から仕入れる。
先輩ふたりについてまわるだけでも、目がまわってしまいそうです……。
仕事の合間を縫って体力づくりに励んでいるとはいえ、まだまだ先輩たちには程遠い。
宝飾殿から少し離れた倉庫で糸の在庫を確認し、紙に書き起こす。額に浮かんだ汗をぬぐって、わたしは紙と筆を制服の内側へしまった。
見つかったら怒られてしまうかもしれないけれど、このまま倒れてしまうよりはマシだ。それに、たくさん働いているのだから、少しくらい休憩しても許されるはず。言い訳を並べて、わたしは倉庫脇の石段に腰をおろす。
「だけど……この忙しさが嬉しいなんて、変ですね」
爽やかな春風が通り過ぎる。木々の葉や草が揺らめき、隙間から覗く光がチラチラと地面に模様を描く。鳥のさえずりが聞こえる。
春といえば花だと思っていましたけど、たまには刺繍で草模様を編みこんでみてもいいかもしれませんね……。
わたしは図案を頭に浮かべ、ぽわぽわと妄想を頭の中で繰り広げる。最近は服を作ることはおろか、デザインすることでさえ満足にできていない。
制服を勝手に改造したら怒られてしまうでしょうか。
今でも充分にシンプルで美しいが、上腕のあたりに刺繍を入れれば、もっとかわいくなるような気がする。
「そうですねえ……」
制服に使われている碧色の品格を損なわず、それでいて新芽のやわらかな風合いが出る色といえば。
「あえて、白花色で新芽を縫って、青磁の糸でつぼみを添えるとか? でも、水浅葱も捨てがたいですよねえ」
あまり飾りつけても品がなくなってしまう。大小さまざまな葉をいくつか連ね、その中心に小さな花を添えればシンプルだが可憐で目をひくデザインになるかもしれない。
「だとすれば、やっぱり、つぼみと花は色をわけて……」
ガサリ。突如、倉庫の隣、茂みになっている草が音を立てた。
「へっ?」
わたしが目をパチパチとさせていると、茂みがさらにガサガサと大きく揺れる。
なんですか⁉ 侵入者⁉
慌てて立ちあがり、距離をとって茂みを睨みつける。もしも侵入者なら、すぐに武官さまを呼ばなくてはいけない。いや、その前に大きな声を出して危険を知らせるんでしたっけ……? えっと、それから、それから……。
つい数日前に先輩から教えてもらった皇宮内では常識らしい暗黙のルールを思い出して、わたしはぎゅっと拳を握りしめた。
ガサッ!
茂みをかき分けて現れたのは、ひとりの青年。朱色の長髪が陽の光にさらされて燃えるように輝き、柘榴色の深衣が青葉に混じって一層鮮やかに映える。
目の覚めるような光景に、わたしは息を飲んだ。
頭や服についた葉を手ではらった青年がこちらに気付く。スッと伸びた鼻筋も、計算されたように整った額も、陶磁器のように透き通った肌も、なにもかもが初めて出会ったときと同じ煌びやかさだった。
この世にあるすべての美しいものを閉じこめても足りない、金の瞳も。
はくはくと口を動かすわたしに、彼はにこりと微笑んだ。
「このことは内緒にしておいてくれる?」
青年はシーッと口元に人差し指をあてがうと、それ以上はなにも言わずに、深衣をひるがえして皇宮内へと続く石段を登る。廊下を颯爽と歩いていく彼の後ろ姿はやはり気品があった。
「あ、え……⁉ ちょ、ちょっと待ってください!」
「おい」
驚きのあまりワンテンポ出遅れたわたしに、青年が歩いていった方角と反対、宝飾殿の方から静かな怒りが聞こえた。青年を追いかけようとしていたわたしの首根っこが掴まれて、わたしの口からは、ぐぇ、と音痴なカエルと同じ鳴き声がでる。
「なにを待つって? どこへ行くつもりだ」
ゆっくりと振り返れば、鬼の形相をした浩宇先輩が掴んでいた首根っこを離した。
「ええ、と、これには深いわけがぁ……」
チラ、と青年が向かっていった方向へ視線を投げると、すでに彼の姿はない。
「サボるのにわけが必要か?」
浩宇先輩の厳しい視線が痛いほど突き刺さる。先ほどの命の恩人が、このことは内緒に、と言っていた以上、わたしも下手なことは言えない。朱色の髪の怪しい人がいて、なんて彼を差し出そうものなら、命を救ってもらった恩をあだで返すことになってしまう。
「ごめんなさい……」
わたしが素直に謝ると、浩宇先輩の大きなため息が頭上から降ってきた。
「まだまだ仕事が山積みなんだ。行くぞ」
浩宇先輩がズカズカと来た道を戻る。背中越しに
「まったく、第一皇子さまもこの後は採寸があるっていうのに、また逃亡されて……」
と愚痴が聞こえた。
そうだ。成人の儀を前に忙しくしているのはわたしだけじゃない。わたし以上に、先輩たちは皇族の宝飾作りに追われているのだ。
わたしが足を引っ張っちゃダメじゃないですか……!
わたしはパチパチと頬を叩いて気合を入れなおす。
ひとまず、命の恩人が皇宮内にいるってわかっただけでも収穫ですよね!
わたしは後ろ髪を引かれるような思いと、胸によぎった違和感を頭から追い払って、先輩の後を追いかけた。