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「は?」
それが私、藤風 夏海の発した返答、いや疑問だった。
「なんで私?長からは限界集落における科学的調査とかなんとか言っていたと聞いていますが」
その時の私は動揺していた。
だからこそ『返答』などという、明確に違ったことを起こした寺邑に対して悪手なことをしてしまったのだ。
だから気づかなかった。
「――――っ!!」
鳩尾に感じた衝撃も、
悪意をもって嗤った笑顔も、
そして、
「みぃつけた。
俺の魔女」
とてもとても嬉しそうなその声も。
*
7月某所。
梅雨明け宣言を早々になされたこの東京では、テレビで大々的に「異常気象相次ぐ!」「砂漠化が広がる!」などのニュースで持ち切りだった。
すでに気温は30度を前後しており、クーラーはガンガンだ。そうでもしないと暑くてたまらない。
だというのに、だ。
「速見ぃぃぃぃ! 仕事終わったのか?! 原稿はどうした!!」
「すみません! 今日中には無理です! そもそも昨日今日では出来上がりません!」
「そこをお前の持ち前の速さでどうにかしろって言ってんだろうが!」
パーンッ!と丸めた原稿用紙で速見と呼ばれた男の後頭部を叩く所長。
それを見守る俺、成瀬 猛。半泣きな速見 健吾。
この部屋には三人いて、ニュースを見ながらアイスを食べている俺をよそに、二人はコントのような応酬を繰り広げている。
それがこの事務所『冥々(めいめい)探偵事務所』だった。
「成瀬さんもアイス食べてないで手伝ってくださいよ! この原稿書けって言われたの昨日の夜ですよ?! しかも定時なんてとっくに過ぎてる時間に!」
速見は叩かれた後頭部をさすりながら涙ながらに訴えてきた。この速見という男、入社2年目の社会人なりたての21歳。身長は178。猫目、人懐こい性格、くせっ毛の爽やかな好青年でモテるのだが、如何せん運が悪い。まぁ、この所長に目をつけられたのが運のツキなのであるのは運気が下がった要因の一つであるのは間違いない。パワハラモラハラの最悪上司であるこの所長は、ことあるごとに速見に頼み事と称しては仕事を押し付けて彼女とのあまーい時間を潰しているのだ。そこで速見も労基にでも行けばいいのだろうが、これがまた仕事が早い。いわゆる器用貧乏というやつだ。だからこそ所長も頼む、というか押し付けるという悪循環が続いている。
「いやぁ、健吾がいてくれて俺はすごく助かってる。今度合コンセッティングするからがんばれ」
「ここには救いはないのか……」
嘆きながらもパソコンをカタカタと打ってるキミは偉いぞ、速見。
そんなやり取りを見ていた所長が標的を俺に切り替えた。
「そういえば猛。この前に行った不倫調査は終わったのか?」
「……所長。それがですね」
俺は所長の頭一つ低い顔を見下ろしてコホンとわざとらしく咳払いをした。
「調査対象にバレまして。依頼人さん激おこ」
ニコリという表現がつきそうなほどの笑顔で言うと、所長はうつむいて震えている。うん、やばい。
俺は速見の肩をポンと叩くと「がんばれ」とそっというと事務所を出るのと、所長の怒声は同時だった。
「次の依頼とるまで帰って来るな!」
怒声を後ろに速見のひぃっという声も聞こえたが、俺には知ったこっちゃない。
二階にある事務所を階段でひょいひょいと下りながらむわっとする熱気に眉間に自然と皺が寄る。
「あちぃ~」
スラックスに無地の質素なシャツを着ている俺はボサボサの頭を搔きながら、ビルの間をスルスルと出て、人込みの中に紛れ込んでいった。
「あ。たけるくん見つけた~」
夕方の街並みを早速歩いているとそれが当たり前のように腕を絡ませてくる女がいた。茶髪に緩くカールを巻いて、大胆に胸元を開いた服を着るこの女の名はユミ。この仕事をしていてお世話になっている情報源の一人だ。
「おーユミ。どうしたー? 店になら今日は行かないぞ?」
やんわりと腕を解きつつ、頭を撫でてやるとそれだけでも満足したのか嬉しそうに頬を染める。
「お店もいいけど遊ぼうよ~。私たけるくんと遊びたいな~」
上目遣いで見てくるがそれを笑って流して、また今度な~と流してユミと別れる。ユミもそれ以上は追いかけることも言及することもなく喧騒の中に消えていく。この業界だと距離感が大事だと俺は思っている。しつこくしても相手にも自分にも利点はないのだ。
何度か道を曲がり、何人にも人とたわいのない話をして、俺はある場所に入った。
そこは路地裏にひっそりとある『教会』だった。
牧師やシスターなんていない、ただキリストが磔にされた十字架があるだけ。椅子もパイプ椅子というこの上なく質素な場所だった。
十字架の前に立ち、俺は誰に聞かせるでもなく呟いた。
「どこにいるんだ……パルメリア……」
と。




